第2話 ケビン=ケレンスキーの幸運


 ケビン=ケレンスキーは研究者である。


 元々、彼は隣国エレンスキー王国の、わりと裕福な家に生まれた。


 彼は小さな頃から身なりを整えることに興味がなく、何かを探究することをこよなく愛していた。

 しかし、なかなか家族の賛同を得られない。


 そんな中、ケビンは運命の出会いを果たしたのだ。


 デイジー=デイトナーズ公爵令嬢との出会いである。


 いや、令嬢だけではない。

 公爵家一同は、とても人がよく、身なりに気を遣わず、両親から「お前は茶会に出席するな。熱で寝込んでいることにする」と言われて、庭の隅で遊んでいたケビンに、とても優しくしてくれた。


 そのときもらった言葉が、今のケビンを作っているのだ。


 『両親から勘当され、隣のデシケイト王国で、一代侯爵として身を立てた研究者』の彼である。


 親から勘当されたケビンが隣国デシケイト王国に来たのは、ひとえにデイトナーズ公爵家の存在ゆえである。

 別に、何か彼らと関係しようとは思っていない。

 ただ、たまに王都で見かける彼らの姿にほっこりし、それを燃料に研究に没頭する。それだけのことが、ケビンのこれ以上ないほどの幸せだったのだ。


 そんなケビンの元に、が入ってきた。


 デイトナーズ公爵家のお取り潰しである。


 噂によると、公爵家がエレンスキー王国から密輸をしていたのが発覚。ついでに、長女の貴族学園内での苛烈な学友いじめも発覚。

 結果として、五大公のうち三家が同意のもと、五大公の一角を担うデイトナーズ公爵家がお取り潰しになったのだ。


(エレンスキー王国から密輸? あのデイトナーズ公爵家が?)


 人違い――というか、家違いではなかろうか。


 首をかしげつつ、執事のリーンハルトから聞いたデイトナーズ公爵一家の処分は、割とひどいものだった。


 主人ダリウスと十二歳の長男は鉱山の鉱夫として、一生終わらない罰金の支払いのために働く。

 妻ディアナと十八歳の長女のデイジーも、罰金や慰謝料の支払いのためら、それぞれ評判の悪い男爵家の下女として売り飛ばされるらしい。

 一家の行く先の環境は悪く、どうやら彼女達は悲惨な結末を迎える予定のようだった。


 それを、ケビンは回収することにした。


 唯一の人手である執事リーンハルトと二手に別れて、とりあえず先に女性二人を迎えに行くことにする。


 下賎な男爵その一(五十三歳)は、最初、ケビンの登場に苛立ちを隠さなかった。

 お金のかかった体をブルンブルン震わせながら、突然現れた不躾な交渉人に怒りを露わに叫ぶ。


「私は王太子直々にあの女を賜ることになったんだぞ! 私の好きにしていいと!!」


 ケビンが百万リロの札束をサッと取り出すと、唾を散らしていた男爵がスンと静かになった。


「好きにしてよいと、言われたのですね?」

「そのとおりで……ございます……」

「なるほど。この金を受け取り、女を売り飛ばすのも……あなたの自由なわけですね……」


 百万リロの札束を男爵の手に置き、手を重ねてしっかりと握らせる。

 もう百万リロの札束を取り出し、その束で優しく男爵の頬を撫でると、男爵はニッコリ素敵な笑顔を見せてくれた。


「わたくしめの、自由でございます」


 誰に売ったのかの口止めも含め、五百万リロを渡したケビンに、男爵その一は揉み手で長女を渡すことに同意してくれた。


 ただし、長女はまだ男爵その一の家に届いていなかったので、男二人でニコニコ笑顔で彼女の到着を待つ。

 彼女が到着し、馬車から降ろされたところで、男爵その一が未練のある顔をしたので、もう百万リラを取り出したところ、円満に彼女を引き取ることができた。


 いや、気持ちはわからないでもない。

 デイトナーズ元公爵家の長女は、金髪碧眼、吊り目ガチの大きな瞳が魅力的な、色白巨乳の大変な美女だったのだ。

 粗末な服に身を包む彼女は、だからこそ、その内なる輝きが目に眩しく、大変に危険な存在である。


 ちなみに問題の長女デイジーは、ニコニコ顔で彼女を迎えたケビンと男爵その一に、馬車を降りるなりビクッと体をこわばらせた。

 そして、目の前で彼女を買い取り、別の馬車に乗せてきたケビンに、ガクガクと震えている。


「おやおや、可哀想に。恐ろしい体験をしたのですね」

「……(いや、お前が)」

「とりあえず、お父上と弟君を迎えに行きましょうか」

「……(この格好で?)」

「あなたが着替えている間に、お父上と弟君が男の園で危険な目に」

「急いでいただけますか」

「もちろんです」


 こうして、ケビンは長女をお供に、ゲーイナー鉱山に向かった。


 ちなみに、途中で馬車を二台に増やして、一人ずつ乗車することにした。

 こちらを気にして話しかけようとする長女に緊張しすぎて、ケビンは気絶してしまいそうだったからだ。

 色々話を聞きたそうにしている長女の意向は、無視である。


 ゲーイナー鉱山にたどりつき、鉱山長執務室に案内されたケビンと長女は、ガタイのいい鉱山長と取り巻き二人にすごまれる。


「アアン、なんだぁ!? あの親子はなぁ、俺達が王太子殿下直々に賜ることになったんだぞ!!」

「そうだそうだ! アイツらは俺達の好きにしていいと言われてるんだ。充分に鍛え上げてやるヨォ! ギャハハハハ!」

「なよついた元貴族だと思ったら、父親のほうはいいカラダしてやがる。あれはオレ達のもんだ!」


 ケビンが百万リロの札束をサッと取り出すと、唾を散らしていた鉱山長ほか二名が、スンと静かになった。


「あの二人を、好きにしてよいと言われたのですね?」

「そのとおり……だな……」

「ああ……」

「……そのはずだ……」

「なるほど。この金を受け取り、男二人を売り飛ばすのも……あなた方の自由なわけですね……」


 ケビンがうやうやしく、それぞれの手に百万リロの札束を乗せると、三人はしっかりとそれを握りしめる。

 それを見たケビンは、他に五つほど百万リロの札束を取り出すと、鉱山長の執務机の上に積み上げた。


「これを、ここの鉱員の皆様でお分けください。二人の男という労働力を奪う対価でございます」

「……対価……」

「そして、その三つの束は、見なかったことにしましょう」

「「「!!!」」」


 ニッコリ笑うケビンに、鉱山長ほか二名は目を丸くした後、堪えきれないといった風情で爆笑した。

 つまり、ケビンは、その百万リロのことを他の鉱員に黙っておいてやるので、父子二人とケビンと長女を無事に返すようにと言っているのだ。


「ヒョロヒョロのくせに、上手いことやるじゃねえか」

「お褒めに預かり光栄です」

「いいだろう。あの親子はお前にやる。お前達もいいな?」

「へい!」

「もちろんだ!」


 こうして、ケビンは元公爵ダニエルと長男ドビアスを回収した。


 連れてこられた十二歳のドビアスは、デイジーを見て泣きながら駆け寄ってきた。ドビアスを抱きしめたデイジーも、目に涙を浮かべている。美しい姉弟愛である。


「あなたは一体」


 そう声をかけてきたのは、筋肉隆々の元公爵ダニエルである。

 まだ鉱山に来て半日だというのに、服はボロボロで、戦いのあとなのか体には打ち身もあり、それだけでなく、なんだか首元に多数の赤い痕が見えるような気がする。

 ケビンが沈黙していると、精神頑強な元公爵は、ケビンに向かってニカッと笑った。


「私は清い体だ」

「何も聞いていません」


 ケビンはとりあえず、「チェルシーさんはうちの執事が回収してると思いますよ」とだけ告げて三人を馬車に放り込み、自分は別の馬車に乗り込んだ。

 ケビンに話を聞きたそうにしている三人の意向は、無視である。

 ケビンはそもそも、人付き合いが苦手なのだ。

 あまりに人口密度が高くなると、血の気が引いてきっと気絶してしまう。


 こうして、ケビンは自宅に戻った。


 そこにはすでに元公爵夫人チェルシーと執事リーンハルトが居て、家族四人は再会においおいと涙を流している。


 それを見たケビンは、ニコニコ笑顔だ。


「ようこそ、みなさん。自分の家だと思って、ゆっくりしていってくださいね」


 そうして、だんだんと青ざめていく四人に、ケビンは気づかない。


 彼はわかっていないのだ。


 自分の家が相当なゴミ屋敷であることを。


 そして、そこに住んでいいよと招かれる人間の気持ちが、どのようなものであるのかを――。


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