第10話 独白(1)

 文字だけでは、その文章を打った人間がどういう人間性をしているのか。なんて、奥深い所までは見えない。


 本性を隠す為にわざと何かを飾っているのかもしれないし、わざとそれらしく振る舞い続けているのかもしれない。勿論、そのままにストレートな人も居るだろう。


 僕はどちらかと言うと、前者だと思う。

 飾りを付けて、誰かが「少しもおかしくない」と思う様な性格を装って生きている。


 だから上辺しか知れないネットのやりとり一つで、与木丈一郎が僕の全てを見抜けないのは当然の話だ。


 きっと、思いも寄らなかっただろう。


 金を欲する者の中で、常々人を殺したい欲に満たされている男が居たなんて。


 金か、命か……他の人達にとっては、馬鹿馬鹿しいと思いながらもかなり揺らぐ究極の命題だ。


 でも、僕にはあまりにも馬鹿馬鹿しい命題だった。

 五億円なんて、正直どうでも良かった。

 被る不利益が一切ないと言う美味しすぎる状況で、人を殺す事を許されたのだ。選び取る方は、考える間でもなく決まっていた。


 スピーカーからの声が淡々と説明している間に、四人が蒼然としている間に、僕は殺人の計画を急いで組み立て始めた。


 そして金の話題を振って、狙うターゲットの順番と場に引き起こす猜疑が徐々に高くなるストーリーを決める事にした。


 あれはごく自然な流れであっただろう、何の疑いも向けられなかった事であろう。


 だからこそ、僕は早速行動に移った。

 まずは自分を殺す為に、簡素な「自分」を作り上げる。初めて見た時には疑問が湧いたが、客室の棚に置かれてあったロープやらガムテープを彼の思惑通りに使ったと言う訳だ。


 布団を丸めて縛り、天蓋付きベッドのカーテンの裾を切り取って枕に貼り付けて、着ていたスーツを着させる。


 近くで見れば、明らかに簡単な作り物だと分かるが。夜と言う暗闇、しかも波が高くなっている海と言う場に投げ捨てるのだ。


 部屋を荒らし、悲鳴をあげ、不気味に窓を解放されていれば……人を殺せば五億が貰えると言う欲と猜疑を煽れば、あれが作り物だと見抜ける者は居ないだろう。


 案の定、僕の策は上手く決まった。

 僕が殺されたと決め込んで、皆で揃って引き上げて猜疑心をぶつけ出す。


 その間、僕はどうしていたかと言うと……僕の部屋を後にする皆の足音を風呂場で耳を欹ててから、するりと部屋を抜け出し、藤木さんの部屋へ移った。


 鍵はかかっていなかったから、簡単に忍び込めた。

 そうしてベッドの下に忍び込み、息を殺して、確実に部屋へ戻ってくる彼を待ち侘びていた。

 思ったよりも、なかなか戻ってこなかったが。戻ってくるや否や、息巻いて暴れる彼をしっかりと視認する。


 僕は彼の居る反対から、ゆっくりと這い出て机の上に置いてあった灰皿を手にした。


 そして彼が背を向けた瞬間、手にしている灰皿を躊躇なく彼の後頭部へと叩き込む。ガツンッと醜い音がすると同時に、藤木さんは「うがっ」と変な呻き声をあげて倒れ込んだ。


 体躯も力も充分な彼が起き上がってくれば、マズい展開になるのは分かりきっていた。

 僕の企てた計画が、早々に崩れてしまう危険もあった。


 だからこそ僕はすかさず二撃、三撃を打ち込んでいた。

 めこっ、ボコッと人から発せられるはずのない珍しい音が発せられても、どろりどろりと頭から血が溢れ出てきても手を止めなかった。


 何とも形容しがたい快感が内側からゴポッと溢れ出して、ソレに僕は満ち満ちていたからだ。


「嗚呼、これが人を殺す感覚か!」

 自分の顔が喜色満面になっている事は、鏡を見ていなくとも分かった。

 どれほどその快感に浸っていたかは、覚えていない。その時を思い返してみても、明確に思い出せるのは、沸々と湧き出る快感に満たされていたと言う事だけだ。


 まぁ、何はともあれ、藤木さんを殺した僕は藤木さんの部屋の風呂で血を洗い流し、上機嫌で湯に浸かった。

 あれは、本当に良い時間だった……なんて、こんな事はどうでも良いか。


 こうして屋敷においての二人目の殺人事件、正確に言えば一人目の殺人事件を終えた僕は、二人目に移る事に決めた。


 殺しを達成したから、五億は確定になった。五億を重要視する人間であれば、一人を殺せば鳴りを潜めるだろう。


 けれど僕は、金ではなく、他人の命を取っていた。

 だから次へと進んだ訳である。


 猜疑を煽り、更に場を混乱させる人物を選んだ方が良い。そう思った僕は、ターゲットを羽衣石さんに絞った。

 蓮杖さんを残しておけば、より激情的になって若埜君と良いバトルを起こしてくれると思ったんだ……けれど、綻びが一つ出来てしまった。


 恐怖で怯えているばかりだと思っていた蓮杖さんが、夜中に突然動き出した事だ。

 そろりと広間を抜けだし、その足を食堂に向ける。


 彼女が何をしようとしているのか、どうしようとしているのか……暗闇にも関わらず、爛々と光る目で分かってしまった。


 彼女は武装し、正当防衛と言う名の殺人で五億円を狙っているのだと。


 武装されると厄介なのは考えるまでもなく分かっていたし、阻止する他なかった。


 僕は五億に眩んだ彼女の背後にするりと忍び寄り、キュッと背後から首を絞めた。

 使ったのはカーテンの紐と言う、やや太めの物だが。充分、効果はあった。

 突然自分の喉を圧迫する紐を必死に剥がそうともがき、あぐあぐと苦しく喘ぎながら抵抗していた力が、じわじわと削られていく。


 僕は彼女が死を迎える手前で止め、だらりと弱って弛緩しきった身体を台所に運び込んだ。

 そして包丁で彼女の弱り切った身体を刺し貫いた。何度も、何度も。藤木さんの時以上にドロドロと鮮血が吹きだし、刃傷の間から人体の神秘的な構造が覗いていた。


 嗚呼。計画を早々に崩された恨みでそんな風にしたのかと思われる前に、これは言っておこう。


 僕は別に蓮杖さんを恨んでなんかいないし、計画が上手く行かなかった怒りなんて物も抱いていない。


 思考の読めぬ他人を自分の計画に填めると、確実にどこかは綻ぶ。計画変更を余儀なくされる事が、現実と言う事なのだ。


 僕はただ「刺殺がないと殺人らしくない」と思っていたから、刺し殺したまでの事。

 まぁ、悲鳴を上げられたり、僕が殺す前に包丁なんていう物騒な物を持たれてしまったら困るって言う理由も、少しはあるけれどね。


 兎にも角にも、これで蓮杖さんを殺し、残るは二人となった。


 二人にとっては、死んだ藤木さんを含めて三人と思っていた事だろう。


 だから二人は、殺された蓮杖さんを見つけた後に二階へ上がった。彼が殺人を犯した真偽を確かめる為だろう。


 僕はその時すでに羽衣石さんの部屋に潜り込んでいたから、見つかる事はなかった。

 そうしてしばらくすると、羽衣石さんの大絶叫が聞こえ、バタバタッと廊下を駆ける音が弾けた。


 強い猜疑心に駆られ、仲違いをしたのだろう。

 羽衣石さんは「さつじんきが忍び込んで居る」部屋に飛び込むと、ガチャリと鍵をかけた。


 有り難い事に、逃げ場を自分から潰してくれたのだ。


 その時点で、僕は「彼女は優しく殺してあげよう」と思ったのだが。「子供がいる、家族が待っている。死ぬ訳にはいかない」と、ぶつぶつと呟いていた姿で決定した。


 美しい親子愛に敬意を、そして自分から死地に戻り、居続けてくれる事に感謝を示して、彼女は美しいまま殺してあげよう、と。


 僕は羽衣石さんがトイレや洗面台に立つ間に抜け出して、部屋に飾っている水仙や百合が入った花瓶の水を全て羽衣石さんが呑んでいる飲料に注いだ。


 葉や茎に含まれた毒の成分がたっぷりと染み込んだ水を彼女は疑いもせず、呑んでいた。

 毒の回りもあって、彼女の死はなかなか遅かったけれど……傷跡一つない状態で、彼女は美しく死を迎えた。


 あまりすっきりしない殺し方だったけれども、そこまで気落ちする必要はないと思った。


 僕にはまだ、あと一人残っているから。


 僕は羽衣石さんが閉ざしていた鍵を開けてあげてから、するりと洗面所の方へ忍び込んだ。

 そうして息を呑んで待っていると、次なるターゲットである若埜君はドタバタと羽衣石さんの部屋へやって来た。

 かと思えば、ドタバタと下へ戻って行く音がした。


 客室は危険だとでも思ったのだろうか? 今となっては確かめようがないから、彼がどんな理由で下へ戻ったのかは分からない。


 でも、これで狩り場は決まった。

 果物ナイフを手にしていた彼の目眩まし、そして手向けの花として、水が空になった花瓶に突き刺さる花たちをギュッと握りしめてから、僕は階下へ降りて行った。


 僕が姿を見せたら、若埜君は本当に驚いていた。


「ど、どうして! 死んだはずじゃ!」

 なんて驚きすぎて、手にしていたナイフを落としちゃった位だ。


 その隙を突いて、僕は笑顔でバッと距離を詰めた。


 咄嗟の出来事に、すぐに対処しきれなかったのか。それとも、彼の根が小心者だったのか。

 彼は大きくもんどり打ってから、失禁してしまった。

 それからどうしたかと言うと……彼は近くにナイフがあると言うにも関わらず、ガタガタと震えて「頼みますから、殺さないでくださいよ」と懇願し始めた。


 若埜君は子供っぽい人ではあったが、一応でも二十歳を超えている大人の男だ。

 だからこそ、ズボンと床を惨めに汚しながら命乞いをする姿は、本当に面白く映った。


 一気に仕留めてしまうのは勿体無い! これは逸材だ!


 そう思って、僕は彼の手にしていたナイフを素早く手にしてから「良いよ」と笑顔で答えてあげた。


 その時の、若埜君の安堵の表情よ! 本当に自分の命が保障されたと思い込んで、心底安心しきっていたんだ!


 僕は「素直な子だなぁ」と思いながら、手にしていたナイフをサッと下ろした。

 刃がグサリと彼の太ももを貫くと。パッと暗転するステージの様に、彼を覆っていた安堵が瞬く間に消えた。

 彼は顔を涙と絶望と恐怖でぐちゃぐちゃに歪めながら、絶叫していたが。僕がスッとナイフを抜いてあげると、彼はわたわたと僕から距離を取った。

「良いよって言ったじゃないかよぉ」

 なんて、可愛らしい泣き言を恨みがましくぶつけながら。


「良いよ、今日は殺さないであげるねって事さ」

 僕が肩を竦めて答えると、彼は僕を狂人とでも断定したのだろう。


 彼は「ここに居たら間違いなく死ぬ」と言う危険に切羽詰まり始めた。

 そして痛む足を押さえながら、ジクジクと貫く痛みを我慢しながら「うおおお!」と声を張り上げて、僕に体当たりをかます。


 今までの殺人は、こんな抵抗がなかった。抵抗している人間をじわじわと弱らせていくのも、また一興だな。

 時間もあるし、最後の一人だし……ちょっと遊ぼう。


 それから僕は彼の抵抗を受けて、若埜君と追いかけっこに興じた。


 アレは、本当に楽しかった! 生き延びる為に必死に逃げる男を狩るのは! 

 彼を捕まえてからも、勿論、楽しかった! 懇願する男にあれこれと手を変えて、死を引き寄せる享楽は堪らなかった!


 ……と、まぁ、長々と語ってしまったけれど。これが、与木氏の別荘で起きた事件の全貌だ。


 ミステリー小説の様には上手く行かなかったし、ミステリー小説の様な進め方は出来なかったけれど。現実は小説の様には動かないのだ。

 


 

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