第2話 方針を固める

「まさか、こんな事になるなんて」

 こんな馬鹿げた事が待っていると分かっていたら、ここには来なかったわ。と、蓮杖美代れんじょうみよが呻く様に呟き、重苦しい沈黙を破った。


 若さと言う潤いが弾けた、可愛らしい相貌。自身のプロポーションをくっきりと押し出している服装は、彼女の持つ可愛らしさを強調していた。

 韓国風に施したメイクで真っ白のファンデーションが厚く塗られているが、今の白さは塗りたくられたファンデーションが原因ではなかろう。


「つまり俺達は、この馬鹿げた試みに集められた実験体って事っすか?」

 若埜一也わかのかずやが全員を伺う様におずおずと尋ねた。その口調は、チャラい容姿とあまり相違ない様な、軽やかな口調ではあったが。それでも、彼が抱いた大きな不穏はヒシヒシと感じられた。


「多分、そう言う事だわ」

 一也の問いに答えたのは、羽衣石和歌子ういしわかこである。この場の年長者らしく、落ち着いた雰囲気と落ち着いた容相をしている女性だが。彼女の気弱な性格は抱く動揺を隠しきれず、天敵にガタガタと震える小動物の様になっていた。


「幾ら金に困っているからって言っても、殺人を犯してまで金が欲しいとは思わねぇよ」

 そうだよな? と、藤木雄成ふじきゆうせいが吐き捨てる様に言い、がっちりと腕を組む。

 彼の威厳の象徴と言わんばかりの、川に流れる桜の刺青が強調され、首元に付けられたシルバーネックレスも五人をギラリと睨んだ。


「当たり前です。喉から手が出る程に欲しい額だとしても、殺人なんてする訳ないです」

 罪を犯した人がいたら、その人は異常者ですよ。と、鳴海理玖なるみりくが眼鏡を押し上げながらきっぱりと言い切った。

 前言者の雄成とは正反対に居る、真面目な容姿。他の四人が気軽に遊びに来た様なフランクな出で立ちだからか、カッチリとしたスーツ姿の彼はもはや異質の領域に居る。


「まぁ、ここに私達を集めた与木丈一郎って奴は間違い無く異常者だわ」

 美代が美しく手入れされた黒髪をバサッと払って言った。


「こんなアカウント一つで、ここまで上手い事転がされて……ああ、本当にムカつく!」

 自身の手にしているスマホに恨みがましくぶつけると、「普段転がす側だから、余計そう思うだろうなぁ?」と雄成がニヤリと茶々を入れる。


 飄々と飛んだ一言に、美代は「何ですって?」と、剣呑に噛みついた。


「嬢ちゃん。パパ活か、風俗でもやってるんだろ? じゃねぇと、そうも高級なブランドに身を固められねぇんだよな」

 雄成の口から滔々と吐き出される言葉に、美代の可愛らしい顔が般若の如く歪められる。カツカツと高いヒールを打ち鳴らし、詰め寄ろうと動き出すが。「辞めましょう」と、力強い宥めが飛びかかった。


 そしてその怒りに隙を与えない様に「落ち着いて、状況と事情を整理しましょうよ」と、四人を同時に先へと進ませる。


「僕達の居るこの屋敷は、与木よぎ氏名義の別荘。海の真ん中にある孤島なので、来た時と同じ様に本島に帰るには船を使わねばなりません。しかしながら、船が迎えに来るのは今日から一週間後と決まっています。こうなった以上、すぐに迎えに来て貰いたい所ですが」

 理玖は言葉をゆっくりと区切る様に振り向き、後ろに置かれた電話機に一瞥をくれた。

「電話線は切られ、頼みのスマホも圏外です。ここのどこか、または本島でここを監視している与木氏に直談判してみても望み薄と言う所でしょう」

 理玖が淡々と紡いだ纏めに、総員の面持ちが陰鬱となる。


「あの、俺、思うんすけど。俺達をここに集めた与木って奴は、本物なんすかね?」

 唐突に一也が口を開き、暗澹と待ち構える一週間に不穏を覚える四人に投げかけた。


 雄成が「今はそこを確かめても意味がねぇだろ」と言わんばかりの目で、ギロッと睨む。

 その睨みに、一也は首を小さく竦めて「すんません」と自身の問いを撤廃しようとした。


 だが、その前に「恐らく、本物だと思います」と理玖から肯定が飛ぶ。

 肯定を飛ばした理玖に、バッと一斉に視線が集まった。


「彼は大富豪と言う事で有名な方ですし、この場所と言い、僕達に突きつけた条件と言い、いかにも金持ちと言う事が窺えます。それに余命幾ばくもないと、スピーカーからの声は言っていましたね。これは、昨今のニュースとなっている与木CEOが末期の胃癌を患ったと言う事と合致しています」

「じゃあ、なんでそんなお偉いさんが俺達なんかを集めたってんだよ?」

 金持ちの道楽にしちゃ、気味が悪いぜ。と、雄成がぶっきらぼうに投げかける。

 その先に居る理玖はうーんと考え込みながら受け取ってから、「恐らく」と静かに紡いだ。

「彼が目を付けた金に困っている人間が、幸か不幸か、この場の僕達だったんじゃないでしょうか」

 理玖は一人一人の顔を見渡し、「皆さん」とやや声を張り上げる。


「今、お金に困っていますよね?」

 彼の問いかけに、それぞれがぎこちない態度で応えた。


 雄成は後頭部をガシガシと乱暴に掻き、和歌子はばつが悪そうにおずおずと頷き、美代は唇を噛みしめて憮然と腕を組み、一也は「まぁ確かに、困ってるっす」と安穏と答える。

 異口同音の答えに、理玖はサッと目を落とし、キュッと唇を結んだ。


 そしてしばしの沈黙の後、彼は「では」と、居心地悪そうに佇む四人をそれぞれ見据えた。

「今、どれくらいお金が必要な状況に居るのか。言い合っていきませんか」

「ハ?」

 美代が不機嫌な声で直ぐさま反発し、「何の為にそんな事すんのよ」と吐き捨てる様に打ち返す。


 あまりにも剣呑な打ち返しに、理玖は小さく身を竦ませ「いや、あの」としどろもどろになりながら言葉を継いだ。

 だが、そのビクビクとした姿勢に、美代が「何、アンタ」と剣呑な調子で更に噛みつく。

「アタシ達の誰かが、突きつけられた金に目が眩んで殺人を犯す異常者だって思ってんの?」

「い、いえ、そういう訳ではなくて」

「だったら、アンタ自身が異常者だから誰からやれば都合が良いかって考えてる訳?」

「そ、そんな恐ろしい事考える訳ないじゃないですか!」

 理玖が声をひっくり返しながら、必死に訴える。


 すると「その兄ちゃんは、そんな事をする為に聞いてんじゃねぇだろ」と、野太い声が乱暴に割って入った。


「眼鏡の兄ちゃんは、俺等の為を思って言ってくれてんだ。そうだろ? まぁ、確かに気持ちの良い告白じゃねぇがな。そうする事で、万が一の時に犯人が誰か簡単に絞り込めるだろ。それに、誰が一番凶行に走りやすいか、全員で監視・牽制が出来る」

 雄成がぶっきらぼうながらも、力強く理玖の案を担ぐ。


 己の意見に賛同してくれたばかりか、美代の言いがかりを一蹴してくれた雄成に、理玖は「そうです、ありがとうございます!」とうっすら涙が滲んだ目で彼を見つめながら、嬉々とした声を張り上げた。


 雄成の言葉に、美代は納得いかぬ様な態度であったが。傍観者であった和歌子と一也が「確かに、そうね」「成程、それは確かに良い考えっすわ」と揃って賛同した。


 自分以外の賛同者を禍々しい眼差しで睨めつけてから、美代はぐぬぬと奥歯を噛みしめて「あぁ、もう分かったわよ!」と乱暴に白旗を揚げる。


「っつー訳で言っていくか」

 理玖に変わって、雄成がパンッと手を打った。


「じゃあ俺からな。俺は総額四千五百万の借金がある、原因はギャンブルよ」

 雄成の告白に、「じゃあ次は僕で」と理玖がぐいと眼鏡を押し上げて続ける。

「僕は一千万円の負債があります。とある知人の連帯保証人になったのですが、どこかに飛んでしまったので……それが丸々僕に」

 おずおずとした告白の後、和歌子が「私は」と勇気を必死に奮い立たせた声で紡いだ。

「借金と言う訳ではなく。息子の学費と受験費やらで、六千万程が必要なんです。医学部志望なので、色々とかかるんです」

「俺は二千三百万弱っすね。ホストやってんすけど。ある痛客に今すぐ貢いだ金返せ、じゃないと殺すって脅されてんすわ」

 和歌子の言い分に続き、一也があっけらかんと打ち明ける。


 残りは美代、ただ一人。彼女の可愛らしい容姿は、いつもとは違った意味で人の視線を奪っていた。

 針のむしろに座らされたからか、美代はチッと鋭く舌を打ってからバサッと髪を払って高圧的に告げる。


「アタシは六百万の借金よ」

「理由は?」

 雄成がぶっきらぼうに突っ込んだ。

 すると美代は、彼を睨めつけて「言いたくないわ」と剣呑に答える。

 雄成は「さよかぁ」とわざとらしい関西弁で、ニタァと打ち返した。


「まぁ、これで今すぐに欲しい額と、何故金が必要なのかが分かりましたね」

 漂い始める不穏に終止符を早めに打つべく、理玖が声を朗らかに張り上げ、そそくさと先に進める。


「そして与木氏が提示した金であれば、全員事足りるどころか余る状況にあると分かりました。つまりこの場の誰もが、いつ何時、欲に眩んだ凶行に走ってもおかしくないと言う事です」

「だからそんな事」

「する訳ない、仰る通りです!」

 美代の反発を遮る様にして、理玖は素早く否定を重ねて彼女に強く同意してから、全員を見渡した。


「僕達は、ここで初めて顔を付き合わせた他人とあっても、倫理観を欠如した異常者ではないはずです。金か、命か? そんなの明らかに命が大切ですし、これは実に馬鹿馬鹿しい試みですよ」

 平和にいきましょう。と、締めくくった言葉を契機に、五人は「一週間を無事に過ごす」方針に固まった。


 五億を取れば、赤の他人の命を捨てる。赤の他人の命を取れば、五億を捨てる。


 取捨選択にもならぬ命題であったはず……だが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る