第14話

クリスマスが来た


 クリスマスが来た。私はバンの部屋のドアの前に人形を置いた。仕事に行く前に分かるように。今日は大忙しだと言っていた。


「お店終わっても、同業のところを回ってバカ騒ぎするの。マリーも来ない?」と誘われていたけれど、私は小沢君との約束があった。


 断ったら淋しそうな顔を一瞬だけしたけれど、小沢くんのことを話すと大喜びして背中を叩いてくれる。


「どんな人であれ、とりあえずはチャレンジよ」


 そう言われて、私は上手く笑えたのか自信がなかった。それでも小沢君に誘われたら、出かけていたから、前ほどバンと一緒に過ごすことはなくなった。


 朝、私が出勤しようとするとドアに大きな包みがおいてあった。バンからのプレゼントだった。手編みのカーディガンだった。頼んでいた白い毛糸で作ってくれている。ちょっと大きめのサイズだったが、それも丁度よかった。


 私はその包みを部屋の中に入れると、白いワンピースで出勤をした。


 その日の夜は小沢君とディナーを食べる予定だったからだ。



 学生の頃の初めてのキスを思い出した。ちょっと震えている手を肩に置かれる。唇が軽く触れて、息が頬にかかった。



「付き合ってください」と一時間前に言われたっけ、と思いながら小沢君を受け入れる。


 もう私は学生じゃないし、いい歳をした大人だ。何度かデートをしたのだから、そろそろ答えを出すべきだし、彼を拒否する理由は何もなかった。



 ディナーの後、私のお化け屋敷のようなマンションに招待した。やっぱり普通に驚かれたけれど、どうして私はそうしたのかというと、その時は分ってなかったけれど、こんな場所で私のことを判断するなら、そうしてくれたらいいと思ったからだ。


 壁の薄い、でも隣はきっと朝になっても帰ってこない。最後はどこかの店で酔いつぶれてるはずだって言ってたから。


「麻里江さん」


 部屋に入ってすぐに抱きしめられた。


「あ、お風呂がね」


「え? お風呂?」


「シャワーがなくて」


「え?」


 恥ずかしすぎて、逆に全てをつまびらかにする。


「お湯溜める湯舟しかなくて…。それで…だから、一緒に入ろう?」

 

 赤くなる小沢君を見て、私は彼が年下で良かったと思った。


「あ…えっと」


「明日はお休みだし、泊って行くでしょ?」と一々確認する。


 小沢君はコートも脱がずに、ディナーのワインのせいか汗を額に浮かべている。その様子を見ながら、私は何かが失われていく気がしたけど、気づかないふりをして、小沢君のコートを掛けるハンガーを渡した。


「あ、の…コンビニ行ってきます」と小沢君が言う。


「…コンビニ? お水とかあるよ。あと…ゴムも」


 どんどん小沢君に私は自分をさらけ出す。逃げるなら今のうちですよ、と言うように。でも小沢君は逃げなかった。


 狭い湯舟に二人で浸かって、少し笑いたくなる。小沢君と向いあって、お互い緊張している。


「麻里江さん。急に…ごめん」


「急じゃないよ。あ、下着はね。手で洗って。ここ洗濯機を置く場所もなくて」


「えー」と小沢君が驚く。


「ちゃちゃっと洗って、エアコンの前に干しておくと、明日の朝には乾くから。私も洗っちゃうね」


「それで洗面器に下着いれてるんだ」


「そうなの。用事は先、すませとこう」と言って、私はそこに液体洗剤を入れる。


 自分の分をささっと洗って、小沢君に彼の分を渡した。


「…新鮮です」


「ごめんね。せっかくなのに…ムードもなくて」


 そう言うと、小沢君は軽く笑って洗い始めた。


「洗濯から始まるなんて…なかなかないです」


「ほんと、ごめん」


「でも…麻里江さんを近くに感じました」


「え?」


「こうやって、毎晩、お風呂に入ってるんだなって思うと」


「桃太郎のおばあさんみたいでしょ?」


「いいえ。なんか…可愛いです」


 小沢君は私を全て受け入れようとしてくれる。それが伝わったから、私もそうしようと思った。洗い終えたパンツを浴槽の淵に広げて置いて、私からキスをした。



 タオルで体を拭いて、そのタオルもハンガーにかけて、私はエアコン前に紐をつけているので、そこにひっ掛ける。まとめてコインランドリーに行くから、軽く乾燥はさせておく。


 大き目のスウェット上下を渡してみたけど、ぴちぴちで何だかかわいそうで、さっさとドライヤーをかけてもらった。私はひとまずパジャマを着て、お茶を入れる。


「明日、コインランドリー行ってくるから。シャツとか全部洗ってくるね」と声をかけると、ドライヤーをわざわざ切って、耳を傾けてくれる。


 お茶を出すと、今度は私の髪を乾かしてくれた。


 年下の男の子。


 優しい手つきで髪を乾かしてくれる。


「…麻里江さんと付き合えるのが不思議で」


「えー? どうして?」


「いや、なんか…無理かなって思いながら、誘ってたから」


「嫌ならデートなんかしないから」


 嫌なら、と心の中で繰り返す。


 髪の毛は時間とともに乾いていく。


「じゃあ…」と私が言うと、小沢君に震えるキスをされた。


 いろんなものを見せあったのに、まだ緊張しているんだ、と思うと愛おしさがこみ上げてきた。


「お風呂で…触ったりするのかなって思ったんだけど」


「え? 良かったんですか?」


「洗濯してたら、無理か」と言うと


「あ、それで洗濯させたんですか?」と言われて、笑った。


 キスを何度も繰り返す。ベッドは近くにあるのに、遠く感じて、私はぴちぴちしているスウェットを脱がそうとした。きつくて脱げにくい。


「ごめんなさい。伸びたかも」と小沢君が謝りながら自分で脱いだ。


「ううん。いいの」と言って、私は自分でベッドに腰かけた。


 そしてゆっくりと押し倒される。


 セックスって不思議だ。いつもそう思う。


 肌が触れ合うのも、快楽を求めるのも、愛が伝わるのも、あるいはちょっと単調に感じるのも、本当で、でも少し嘘も混ざる。


 だからなんのためにしてるんだろ、と思ったりもするけど、私は深く考えはしない。しないけど、不思議だと思いながら、小沢君の背中を指で辿った。


 そこに彼がいるんだと思いながら。不意に動きが止まる。


「麻里江さん…ゴム」


「あ、ごめん」と私はまたムードを壊してしまった。


 押し入れの箱から取り出して、渡す。押し入れの穴は真っ暗だった。私は振り返って、小沢君にゴムを渡すと、少し恥ずかしそうにでも可愛い笑顔で受け取ってくれる。


「大好き」


 なぜか突然、そう言ってしまった。


 小沢君の喜ぶ顔を見ながら、私は自分の言った言葉に驚いた。そして抱きしめられる。小沢君の匂いに包まれながら、私は自分に戸惑いながら抱かれた。



 眠っている小沢君の顔を見ていると、不思議な気分になる。


「麻里江さん…幸せで。ありがとう」と言われた。


「私も」とふわふわした気持ちで言う。


 変な話だけれど終わった後「大変よく頑張りました」と言う気持ちになったのだ。


 いいのか、それで、と心の声が聞こえつつも、疲れもあって、そのまま淡い気持ちで眠った。


 深い眠りについた。夜中のドアを叩く音が聞こえるまでは。



 激しいノック音がしたので二人は一斉に飛び起きた。


「マリー。メリークリスマス! ケーキもらったんやんか、開けて! 明日は土曜日、会社はお休みやろー。あ、と、バービーありがとー。むっちゃ感動したわぁ」

 

 私は慌ててパジャマを着て、扉を開けた。酔っ払ったバンが入ってくる。


「あのバービー、オードリーだったでしょ? もう感動したわ、ほんまに、ほんまに」


 状況が分からないまま話しだすバンをとりあえずキッチンの椅子に座らせた。水をコップに入れて渡す。


「誰?」


 小沢君がベッドから上半身だけ出して、訝しげにバンを見る。


「いやぁ、ええ男やわぁ」とバンの声が高くなる。


「隣人なの」


「ゲイの隣人のバンでーす」


 酔っ払って上機嫌のバンは大声で話し出す。


「ごめんなさい。すぐに帰ってもらうから」と私はバンにお水をなんで帰ってもらおとする。


「いや。ごめん。ごめん。私が悪いんよー。私、オカマ、オカマ、ニューハーフになれないオカマ。マリーには世話になってるの。まさかこんなに早くベッドインするなんて思ってなくて」


 ようやく状況を把握したバンが酔っ払いつつフォローを始めた。


「これ、みんなで食べへん? ほら、もうそんな顔しないの」


 高級そうなケーキの箱をゆらゆら揺らす。


「ごめん。今日は帰って」


 私は小さい声で、バンにそう言った。


「いや、僕が帰ります」


 ベッドから出ると、小沢君はすぐに用意をし始めた。かろうじてパンツは半乾きというところだろうか。


「帰らんといて」


 バンがすがったものの、小沢君はそのまま部屋から出ていった。


「オカマ、嫌いなんかな」


「そんなんじゃないわよ。きっと」


 私はパジャマの上からコートだけ羽織ると、後から追いかけて、建物の前で見送った。


「ごめんね、驚かせて。でもいい人なのよ」


「うん。今度、一緒にご飯でも食べよう。…でも今日は恥ずかしいから帰る」


 いつものような笑顔を見せてくれる。タクシーを呼び止めて、乗り込む。私は小沢君の乗ったタクシーを見送ると、脱力感に襲われた。


 部屋に戻ると、バンが三つ指をついて平謝りをしてくれる。


「ごめん、ごめん、ごめん。マリーのラブチャンスを壊してもうた!」


「いいよ。大丈夫だったし」


 私はベッドに背中を凭れさせて、ため息をついた。


「でもいい子やん。どこで見つけたん?」


「会社の後輩」


「いいなぁ。お祝いにケーキ食べよう」


「うん」


 そう言ったものの、私は動かなかった。何事もないようにバンはお皿を運んでくる。私が男とベッドにいたことについて、何も言わない。楽しそうに箱からケーキを取り出している。指先がちくちくとする。痺れが走った。


「カーディガンありがとう。ちょうどよかった」


「そうやろう? あ、彼氏の分も編んであげよか」


「そうしてもらおうかな」


 ケーキを慎重に切り分けている。サンタクロースの砂糖菓子とウエハースで出来た家は横に取り除かれている。


「バンは…好きな人と上手くいった?」


「上手くいかなぁい」


「私は駄目なの?」


「何が?」


「私はどうやっても好きになってもらわれないの?」


 バンの動きが止まった。


「マリー?」


「好きじゃなくてもいいから、一緒にいたい」


「何言ってんの?」


「私…小沢君と寝てしまったけど」


 バンに知られたくなかった。下世話な話も沢山した。でもそれはファンタジーであって欲しくて、見られたくない。私は訳が分からなくなって、泣き出した。


「マリー?」


「…あなたが好き」


 あぁ、そうだ。だから小沢くんにしつこく確認するようにして、そして寝てしまった。


 こんなに好きなのに、違う人と寝てしまった。


「分かったから」


 ため息のような声が聞こえた。

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