第13話
年下の男の子
年末は伝票がいつもより多くなる。私は一つ一つ、間違えないように確認しながら入力していった。その方が結果的に効率よく仕事が終わるからだ。営業部長の経費はまた上がった。本当に経費なんだろうか、と思う。飲み屋の伝票が多い。しかもどうも高級店のようだった。私は一度、上司に報告したことがある。しかし上司は伝票を見て、そのまま私に返した。それ以来、私は数字を間違えないように入力するだけの機械に変わった。
「小嶋さん、これ、お願いします」
今年入ったばかりの営業の小沢君が、交通費を請求してきた。五千円だ。さっきの伝票と桁が違う。新人も後二十年もすれば平気で飲み屋の請求をするのだろうか。願わくば、その時はここにいませんように、とひっそり思った。
「どうかしたんですか? ため息なんかついて」
「あ、ううん。ちょっと…忙しいから」
「そうですか。日曜日、映画行く暇もありませんか?」
私は驚いて、小沢君の顔を見た。私より五歳も年下の、大学を出たばかりの男の子に誘われるとは思ってもみなかった。
「あ、忙しいですよね」
「そうじゃないけど…。何か見たい映画あるの?」
「えっと…小島さんが見たい映画が見たいです…なんて」
すごく分かりやすい誘い文句なのに、ちょっと焦りながら早口で言うのが、可愛く思えた。私は頷いて、携帯電話の番号を渡した。あまり無駄な話をしていると、上司に叩かれる。営業部長の私用経費は見過ごせても、平社員の私語は見逃せないらしい。
私はまた入力機械にもどった。
日曜日になった。私は洗濯を土曜日に済ませていたので、朝から出かけられる。隣の部屋はまだ眠っているようで、静かだった。こっそり音を立てないようにドアを閉めた。
結局、映画を見ることになった。こういうデートは久しぶりなので、うきうきしてしまう。つい年下の男の子とデートする時のファッション、という特集を組んでいる雑誌を買って、それを参考にして、いい大人風の白い大き目セーターとジーパンにした。
映画館前に立って、こんな風に待ち合わせするのも新鮮だと思いながら待つ。小沢君は私の姿を見つけると、子犬のように駆け寄ってくる。
「すごい人ですね。でもチケット、もう買ってるんで、入れますよ」
「うわぁ、ありがとう」
ポップコーンも買い込み、席に座った。映画が始まるまで、いろんな話をした。こんなに長く話したことはなかったけれど、真剣に自分をぶつけてくる姿は好感を持てた。映画を見るより話をしていたい、と思うほどだ。クリスマス時期の映画らしいラブストーリーで最後はハッピーエンドに終わった。現実も映画のように上手くいけばいいのに、と私は小沢君に感想を言った。
「また行きましょう。今度は何がいいかなぁ」
入口付近に並べられたのパンフレットを片っ端から集めている。そんな姿を見ていると、微笑ましく思える。
その後、ぶらぶらとショッピングする。激しい人込みでも、少しも気にならない。小沢君はしきりに喋り、私の関心を惹こうとしている。そういうストレートな表現も感じがよかった。
「アイス、食べませんか?」
「うん。食べたい」
ふと大きなおもちゃ屋が目についた。バンに言われていたプレゼントを思い出す。
「あ、友達の…子どものクリスマスプレゼントを買いにいってもいい? ついでだから」
「いいですよ」
人形もいろいろあった。私の目にとまったのは映画女優の格好をしたバービー人形だった。
「これにしようかなぁ」
「いいですね。お名前はなんて言うんですか?」
「え? あ、バン…坂東さん」
「坂東さん? お子さんの名前…」
「あ、えっと…思い出せないや」
なぜか小沢君にバンの話ができなかった。
私はバービー人形をレジに持っていった。プレゼント用に包装してもらう。それを見ていて、小沢君が私に聞いた。
「小嶋さんはプレゼント、何が欲しいですか?」
「え?」
「クリスマス、何かあげれたらいいな、と思って」
「そんなの…もらうの…なんか…えっと…おこがましいっていうか…」
「どうしてです? 僕がプレゼントしたいだけなんで」
「欲しいもの…特に思いつかなくて」
本当に欲しいものが買えるものであるのだろうか。いつからか、何が欲しいのか分からなくなってきた。
ちょっと哀しそうな顔をするので、私はハンドクリームが欲しいかも、と言った。
「じゃあ、買いに行きませんか」
「今から?」
「はい」
「クリスマスはまだ先よ?」
「クリスマスプレゼントはまた別に…。でもそう言ってくれるってことは、一緒に過ごしてくれるって期待していいんですか?」
小沢君のダイレクトな気持ちが恥ずかしいのと嬉しいので俯いてしまう。
「もし、今、誰ともお付き合いされてないのなら…。クリスマス一緒にいちゃだめですか?」
畳みかけるように言われて、私は頷いた。
その後、夕食の時に、私は小沢君に篠塚さんのことを話した。呆れられるだろうと思っていたけれど、本気で怒ってくれる。
「そんなやつ、良かったですよ。麻里江さんに似合いません」
いつの間にか名前で呼ばれている。
気を張らないファミレスに入った。デートっぽくなるのが少し不安でそこを選んだ。
「…ありがとう。優しかったけど…。私、見る目ないみたいで」
「不安ですか?」
「小沢君のこと…疑ってるわけじゃないけど、私、年上だし…。職場以外でも…もっと可愛い子もたくさんいると思うの。合コンとかして」
「あんまり、ああいうノリが苦手なんですよねぇ」
嫌そうな顔を見せる。私は最近、みんなが落ち着いて合コンのお誘いもないけれど、あればほいほい行ってたので、ちょっと気まずくなる。
「私、結構、参加してて。だから…良くないのかな」とわざと言ってみる。
「あ、すみません。そういう…意味じゃなくて」
「ううん。ごめん。私のこと、どう思われてるのかなって不安はある。仕事を見て…、しっかりした人とか思ってくれてるのかな? でも中身はそんなでもなくて。合コン行ったり、ブランドバッグ持ってたり…とミーハーだし、あんな元カレに揺れたり…情けないところもいっぱいあって…年上だけど、ほんと…中身はそんなに成長してないから」
私はなんでこんな話をしているんだろう、と自分でも思う。
「…ごめんなさい」
年下の男の子に謝らせてしまった。申し訳ない気持ちで「私こそ」と言おうと口を開けた。
「麻里江さんのこと、年上だからとか、しっかりしてるからとかじゃなくて…。ごめんなさい。ただ、タイプです」
思わず笑ってしまった。すると小沢君も少しほっとしたのか、にっこり笑う。
「外見?」
「外見は二百パーセントタイプです。内面はこれから教えてください」
「…私も」
「見た目、合格ですか?」と真剣な顔で聞かれる。
あまりにも可愛いから、私は頷いた。惜しげもなくガッツポーズを見せてくれる。完敗だ。
その後、家まで送ってくれる。そしてあまりの古びたマンションに息を飲んだ。
「ここに…住んでるんですか?」
「あ、えっと…。うん。一度、別れて…急いで探したの。それで…」
「麻里江さん、あの…一緒に…引っ越しませんか? 僕も狭くて…」
それはさすがに、と私は断った。
「すみません。早まりました」
「ううん。引っ越しはいつかするつもり。その時、また一緒に考えよう」
嬉しそうな笑顔を見せてくれる。私はそのまま手を振って、アパートの中に入る。煌々と光るLEDライトは相変わらず汚い部分を余すところなく浮かびあがらせる。
(引っ越しは考えてるんだけどな)
そう思いながら、私は自分の部屋まで上がる。
バンの部屋をノックしようかと思って、止めて、自分の部屋の鍵を開けた。バンに会わない週末は久しぶりだった。少し勿体ない気持ちになる。楽しいデートだったはずなのに、と自分で唇を噛んだ。
こうして私はバンに会わなくなるんだろうか、と。
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