第12話
未復縁
結局、閉店までいて、バンは酔いつぶれた管理人さんを背負って店を出ることになった。私は渡した薔薇の花束を持ってあげた。タクシーの拾える大通りまで向かう。
「今日は、来てくれてありがとう。でも何か照れくさいわ」
「そう見えなかったけど?」
管理人さんのずれたかつが落ちそうで取る。右手に花束、左手にかつらになった。交互に見比べたが、不思議な取り合わせだった。大通りに出たとき、後ろから何かを投げられた。振り返ると、客だった大学生がいた。
「女がいるから、偽オカマじゃねぇか。金返せよ」
五人いて、五人とも酔っ払いながら笑っている。バンは聞こえないふりをして、歩き出した。
「もっとまともに働いたらどうだ?」
「楽しやがって」
「詐欺だ。訴えるぞ」
口々に言いたいことを言っている。私も後を追って歩いていたが、さっきのこともあって我慢の限界に達した。
「いい加減なこというんじゃないわよ。このバカ学生が。親の金で遊んどいて何言ってんのよ。金なら返すわよ」
かつらを投げつけ、私はポケットに入っていた五百円玉を放り投げた。
「マリー」
バンの声が聞こえる。でも私はすでにその時、薔薇の花束で、向かってきた大学生の頭を叩いているところだった。酔っ払っているので、足を蹴ると、すぐに倒れてくれる。でも人数が多かった。すぐに周りを囲まれた。
「ふざけやがって」
「大真面目よ。バカ」
口では負けていないが、喧嘩は負けそうだった。もう右手の薔薇は殆んど花びらがなくなっている。すると後ろの男がふわりと浮んだ。
「警察呼んだろか」
バンが男を抱えている。痩せてはいたが、背の高い鍛えられたバンは軽々と男を抱えあげた。
「それともこのまま、私の部屋に来る?」
抱き上げられた男の顔が白くなっていく。周りの男も、仲間を見捨てて逃げ出した。ゆっくり降ろすと、男は腰を抜かしたようで、動けなくなっていた。バンは電柱の横で眠っている管理人さんをもう一度背負い、私は車道に落ちたかつらを拾い上げ、タクシーを止めようと大通りに目をやった。
「マリー、そんなんやったら、命がいくらあってもたりへん。おてんばも小学生までにしときや」
「ごめんなさい」
茎と葉だけの花束を出す。たった一つだけ蕾が残っていた。
「あぁ。折角の花束やったのに」
「でもほら、蕾は残ってるよ」
ふん、と鼻を鳴らした。私は俯いて、歩道のタイルの模様を見る。
「ありがとう」
ふいに上から言葉が降ってきた。私はちょっと涙ぐんでしまった。タイルの模様がぼやける。役に立てないばかりか、手を煩わせてばかりでごめんなさい、と。そう口に出して言いたかった。でも想いは伝えられなかった。黙って顔を擦った。
「あ、タクシー来た」とバンが手を上げる。
秋が深い、夜中の空気は昼の汚れが落ちたような澄んだ冷たさがあった。星を見上げれば、溜まっていた涙が頬を滑っていった。
マリリンが失踪した。あんなに仲良かったジェフにも行き先は教えていないらしい。ジェフはかなりショックを受けたみたいで、部屋から出てこなくなった。
「何度呼んでも、部屋から出て来ない。一応、英会話学校には行ってるみたいやけど」
大崎武志はため息をついた。気にかかることが一つだけあった。マリリンの微笑み。目だけは笑っていなかったあの微笑は一体、何を表していたのだろうか。
十二月に入り、街も慌しくなってきた。仕事も残業が増え、クリスマスの予定もない私は周りが浮かれていく分、気分が沈んだ。バンもクリスマスは仕事がある。
朝、忙しい時間に押し入れから呼び出される。
「マリー、マリー」
私はふすまを開け放して、大きな声で話した。
「何? 忙しいの」
「サンタにお願いするなら、何?」
「え? 何言ってんの? プレゼントくれるの?」
「嫌ね。即物的な人は。とにかくプレゼント交換せん? 私、着せ替え人形が欲しい」
「分かった。私は考えとく。穴からリクエスト入れとくね。じゃあ、もう行かなきゃ」
「いってらっしゃーい」
ふすまを閉めると、私は鞄を掴んで表に出た。
外は気温がぐっと下がって、マフラーが無ければ冷たい風が入り込んでくる。私がマフラーをきつく締めなおすと、見慣れた車が視界に入った。私が近づくと、車の窓ガラスが降りる。
「会社まで送るよ」
「大丈夫…で」と言いかけて、私は息を飲んだ。
開けられたドアに乗り込んだ。いつもと違って精彩の無い表情が気になったからだ。
「元気?」
「ええ。篠塚さんは?」
「会社が潰れた」
「え?」
「婚約者の父親が経営している会社が…不渡りを二回、出した」
私は何も言えなくなる。
(じゃあ、婚約は無くなって、私と?)と思ったが、今更、という思いがこみ上げてくる。
「…君を愛人になんかしようとした罰が当たったな」と自嘲の笑みを浮かべている。
罰が当たったのだろうか。
「でも…篠塚さんは私のこと、愛してくれてたんですよね?」
こんな時に何を聞いてるんだ、と自分でも思う。思うけれど、聞かずにはいられなかった。
「愛してた…。君の前では取り繕う必要がなかった」
信号が黄色くなったので、車が止まる。
「自分で…そうしたかったんだけど、なりたい自分になろうと無理して、医者でエリートでってもちろん努力もして…、開業目指して…、結婚する相手だって、自分に相応しいって思う人を探して…、目標だった自分に疲れて、本当の自分との剥離に気づいたときにはもう元に戻れないほど、遠くなってた」
信号が変わって車が動きだす。
「そんな時に、誘われた合コンに顔を出して、医者って肩書で、きっとつられる女性がいるだろうと思ってたら、麻里江は早く帰りたそうな顔をしてて…」
「あ…あの日はちょっと具合が悪くて」
合コンの日にたまたま生理になってしまい、ナプキンの替えがもうない状態で、早く家に帰りたかったのだった。コンビニに寄る時間もなく参加した合コンで、みんなが楽しそうにしている間に、腹痛とナプキンがない不安で私は話を半分しか聞いていなかった。
「それで話しかけたのに、全然、話しが弾まなくて」
(初対面の男性に生理になりましたとはさすがに言えなかった)と私は思い返す。
でもあの日、生理にならなかったら、私は確実に篠塚さんに食いついていたと思う。だから不思議なことだけど、愛想がなかったから、気にかけてもらった。
「私だって…体調良かったら篠塚さんにアプローチしてたと思います」
「じゃあ…運命だったんじゃない?」
まぁ、そう言われればそうでもないかもしれないと思い始める。
「でも…私のこと、どうして好きになったんですか?」
「動物園に行った時の…麻里江の作ってくれたお弁当。すごく上手ってわけじゃないけど、お弁当デートなんてしたことなかったから」
「お弁当デート?」
「高校は男子校で、勉強ばっかしてて、付き合ったことなくて、大学になってデビューしたけど…。みんな医学部生って金持ちってイメージで。そういうのにも必死で…」と篠塚さんは言う。
「お弁当なんて…誰でも作るんじゃないですか? 私レベルのなら、なおさら…」
「そうだったのかな。…ちょっと端がこげた卵焼きとか…見てたら、嬉しくなって」
(えー。あれ何度も作り直して、一番できのいいものを選んだのに)と軽く落ち込む。
「いいレストラン、綺麗な彼女、高級品のプレゼント…そういうのが当たり前になってて、でも…麻里江はいいレストランもすごく驚いてくれたし、プレゼントも当たり前じゃなくて…」
それはそうだ。全てが私にとっては非日常的な体験だった。
「そう言うのが、一つ一つ、可愛かった」
少し遠くなっていた記憶が近くなる。
「麻里江と一緒にいるとすごく頑張らなくていい…って下に見ていたという訳じゃなくて、君の前だと僕はただの男になれたから」
お弁当を開けた時、一瞬、間があった。いつも美味しいものを食べさせてくれている篠塚さんにお返しをしようと頑張って作ったお弁当だった。
『お口に合わないかも…ですけど』
『ううん。…ありがとう。嬉しい。食べるのもったいないな』
『え? 高級食材何一つ入ってないですよ?』と私は言ったけど、そう言えば、随分、長い間、お弁当を眺めていた。
本当は素人が作ったものなんて食べたくないのかな、とこっそり後悔したことを思い出す。
『美味しい。なんか…ほっとする味だね』
その意味が私は分からなかった。私は篠塚さんのことを何も分かっていなかったのかもしれない。私の方こそ、篠塚さんをちゃんと見ていなかった。
篠塚さんが少し悲しそうに笑った。
「幸せが何かまだ分からないけど、君といた時はきっと幸せだったんだなって、今になって思うよ」
私もそうだった。大切にされていた。
「開業が遠のいて、考えた。…罪滅ぼしじゃなくて、僕は婚約者を大切にしようと思う」
思わず私は篠塚さんの横顔を見た。話の流れで、私と復縁ということになると勘違いしていたからだ。
「そうでなきゃ、僕はまた自分が遠くなる気がして」
本当の自分となりたい自分を近づけていこうと努力していた。私はなんて言ったらいいのか分からなくて、口を開けたまま言葉を探す。会社の近くまで来ていた。
「あ…ありがとうございます。あの…幸せでした。一緒に居れて」
薄っぺらい言葉しか出て来ない。
(復縁ターンだと思っていたのに…)という落胆を隠して言う。
車が通りで止められる。会社の前ではなくて、少しだけ歩くけれど、都合のいい場所に停めてくれた。
「いろいろ考えて、今更だけど…一番欲しいものは、お弁当かなって」
「お弁当?」
「あれが人生のクライマックスだった気がしてる」
「また…お弁当は…婚約者さんに作ってもらってください」と私は必死で言ってしまった。
「そうだね」
「君も早くあの人と結婚するんだよ」
あの人とはバンのことだろうか…と私は思いながら、車を降りた。
むりやり笑顔を作ると、手を振って、走り去る車を眺めた。なんだ癪に障る。復縁ターンかと思ったら、思い切り振られてしまった。わざわざ言いに来なくていいのに、と足音を大きく立ててしまった。
その晩、出勤前のバンにその話をすると、お腹を抱えて笑われた。
「なにそれ? 人生のクライマックスが? マリーのお弁当?」
あまりにも笑われるから、頬を膨らませて「頑張って作ったんです」と言う。
「で、あんたは復縁できると興奮して、肩透かし食らったって思ったん?」
しっかり見透かされている。
「別に? そんなこと思ってないですけど?」
「マリー。そんな変な男に付きまとわれんで済んで良かってんって。若干ストーカー気質ありそうやし。探偵使って居場所を探るとかさー」と言いながら笑う。
「そうそう。バンと早く結婚しなさいって」
「え? あははははは。最高やね、そいつ」とまた大笑いされた。
それは少し淋しかった。バンに話してもすっきりしない。
「マリー、あたしたちはずっ友。恋人は別れたらおしまい。夫とも離婚したらおしまい。でもあたしたちは離れても、ずっ友。尊くない?」
「ずっ友?」
「うん。そう。ずっ友。お互い結婚しても、おばあちゃんになってもずっ友」
「…尊い」
「でしょ? あんな変な奴は大笑いして忘れるのが一番やで。あははは」と大声で笑うから、私も大声で笑った。
笑っていると、脳内から変なものが出て、私もおかしくなってきた。
バンとはずっ友
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