蒼月書店の奇々怪々Ⅵ ーかりそめの旅人ー

望月 栞

かりそめの旅人

 今日は定時で仕事を終えられた。帰宅途中で寄り道が出来る。

 昨日、残業後に疲れを感じながらマンションに向かっていたら、気になる建物を見つけた。近付いてみたら、古民家の本屋だった。こんなところにあったかと首をひねったが、もしかしたら、アレが置いてあるかもと期待して本屋に近付いた。

 軒先には、鈴蘭のような小さな白い花をつけた植物がある。看板には『蒼月書店』とあった。入ろうかと思ったところで、店の扉が開いた。

「あら、こんばんは」

 現れたのは、茶髪ショートヘアの整った顔立ちの女性。年齢不詳の美女だ。翠色の瞳をしている。ハーフだろうか。

「もしかして、入店するつもりでしたか?」

 俺が頷くと、目の前の女性は頭を下げた。

「もう閉店の時間なんです。申し訳ございません」

「あぁ、そうでしたか。じゃあ、また別のタイミングで来ます」

「はい。ご縁がありましたら、ぜひ」

 にこやかに微笑む姿に見送られ、俺は本屋から離れた。角を曲がる前に振り返ったら、女性は軒先にある植物に向かって何か作業をしているようだった。手入れでもしているのだろうか。

 ひとまず、このときは自宅に帰った。

 今日こそは行けると、足取り軽く本屋へ向かう。

 蒼月書店には明かりがついている。営業時間を確認していなかったが、まだやっているようだ。

 俺は扉に手を伸ばしたが、先に扉が開いた。驚いて手を引いたのと同時に、昨日とは違う女性が出てきた。店内から「ありがとうございました」という言葉が聞こえる。

 女性は俺を避けて去っていった。客だったようだ。俺は気を取り直して、扉を開ける。

「いらっしゃいませ」

 声のした方へ視線を向けると、黒髪の長身男性がカウンターにいた。カウンター横にある椅子にはグレーの猫が鎮座し、目が合ったと思ったら、逸らされた。

 店の看板猫だろうか。愛想はなさそうだ。

 店内を見渡したが、昨日の女性はいない様子だ。

「何かお探しですか?」

「あぁ、えっと・・・・・・」

 まさか、女性の店員を探していたとは言えない。

 男性店員の顔を見て、瞳が女性と同じ翠色の瞳であることに気付いた。男の俺から見てもイケメンとわかる顔立ちだし、姉弟かもしれない。

「・・・・・・絵本はどこですか?」

 とりあえず、本来の目的のものを訊いた。

「それでしたら、こちらです」

 店員に案内された陳列棚を確認すると、それは見つかった。棚から引き抜く。

「ここにもあったか」

 五歳になる甥にも読んでほしくて自費出版した『ぼくはどこから来たの?』という絵本。少年が窓の外の夜空を見上げている表紙絵だ。二週間前に出版されたばかりで、本屋に立ち寄ると、あるかどうかをついチェックしてしまう。

 読書が趣味である俺は、自分の本が本屋の陳列棚に並ぶことが夢の一つだった。それが絵本になるとは想定していなかったが、甥が生まれてしばらくしてから、それもいいかもと考えた。

 俺は引き抜いたそれを元に戻した。甥にはすでにプレゼントしている。今は甥だけでなく、どこかの誰かがこの絵本を読んでくれたら嬉しい。

 せっかく本屋に来られたので、何か気になる本はないか見て回った。奥の棚へ移動すると、平積みされている本の上に一冊だけ大きさが違う本が置かれていた。

「あっ」

 俺の絵本だった。誰かが戻さずに置きっぱなしにしたのか。

 買ってもらえなかったんだな。

 いくつもある絵本の中で、無名の俺の絵本を手に取ってもらうこともなかなか難しいのに、買ってもらえたらそれは奇跡と言える。

 一度手に取ってくれたのなら、少しは興味を持ってもらえたのかもしれないなんて前向きに考えて、俺は自分の絵本を手にした。

 元の場所に戻そうと振り返ったところで、誰かの声が聞こえた。

「ぼくはどこから来たの?」



 一瞬でここがどこか、わからなくなった。本屋にいたはずなのに、辺りを見渡したら知らない部屋にいて、景色が一変してしまっている。ここは子供部屋のようだった。子供用の机、ベッド、タンスがある。

 そして、俺は違和感を覚えた。いつもより目線の位置が低い。自分の手を見ると、明らかに子供の手だった。

「何だ、これ。どうなっているんだ・・・・・・?」

 動揺しながらキョロキョロしていると、窓が開いているのに気付いた。外を見てみれば、知らない街並みが広がっていた。

 夜空を見上げると、星々が瞬いている。

「ぼくはどこから来たの?」

 ハッとした。自分の意識とは関係なく、口をついて出た言葉だった。

「それは、宇宙からかもしれないね」

 どこからともなく声が聞こえた。その途端、身体がふわっと浮かび、勝手に夜空へ向かって高く飛んだ。

「これって・・・・・・」

 覚えがあった。この流れ、俺が書いた絵本と同じ。同じはずなのに、この後の展開が思い出せない。

 あっという間に、宇宙へやってきた。月や火星、木星と、遠くへ移動して、今は光の渦巻く銀河の中だ。無数の星が煌めいている様は目を奪われた。その中にぽつんといる状況が恐怖よりも、自分自身の小ささを感じた。

 また、自分の意思とは無関係に口を開いていた。

「ぼくは、こんな大きな宇宙の中のほんのちっぽけな存在なの?」

 すると、煌めく星々の中で、一際輝く翠色の星の方から声がした。

「そうかもしれない。でも、小さくても君は特別なんだよ。どんなに小さくても、君にしか出来ないことがあるんだ」

 俺は引き寄せられるように、翠色の光の方へ向かっていた。その星へ降り立つと、眼前には大きな木とその周囲にたくさんの小さな芽が出ている光景があり、中には花を咲かせているものもあった。

 新緑に染まる大きな木の傍らに、誰かがいた。近付いてみると、その人は振り返った。

 龍のような角に、翠色の長い髪と尖った耳、陶器のような白い肌。その上から白いケープをまとったその異星人らしき人物は、翠色の瞳を俺に向けて優しく微笑んだ。

「よく来たね、旅人さん」

「さっきの声はあなたですか?」

 異星人はコクリと頷いた。絵本の流れと同じとわかっているからか、初めて見る異星人に対して不思議と恐れは抱かなかった。

 むしろ、この人は大丈夫だという妙な確信と安心感があった。

「あなたは?」

 異星人は懐から何かを取り出し、掌を俺に差し出した。その上には植物の種のようなものがあり、光っていた。

「これは星の種。私はそれを育て、見守っているんだ。この星の種は、まだ誰のものでもないよ。君が大切に育てると、新しい星になる」

 俺はその種を受け取った。

「ぼくも、だれかに育てられた種みたいなものかな」

 また自然と喋っていた。異星人は、もう一度俺に手を差し出した。

「君のルーツを探しに行くかい?」

 俺はその手を取った。異星人に手を引かれて飛び立ち、しばらくすると、輝く光の川を見つけた。

 あそこにも、たくさんの星が・・・・・・。

「この光は、全ての命が繋がっていることを表しているんだ」

「ぼくもこの光の一部なの?」

 俺は異星人を見上げた。異星人は微笑むだけで何も言わなかったが、翠色の瞳が穏やかに光った気がした。

「ぼくがどこから来て、どこへ行くのか。それはいつかわかる?」

「それはきっと、君しだいだ」

 異星人は俺の両手を取った。すると、掴まれた両手から翠色の光が迸り、全身を包んだ。眩しくて目を瞑る。

 再び目を開くと、子供部屋に戻ってきていた。そばにいる異星人は、窓から夜空を見上げている。

「君は今、この星にいる。いつか答えがわかるのかもしれないけれど、それに捕らわれる必要はない。今は君にしか出来ないことを、君がしたいと思うことを存分に楽しんでいったらいいんだ。君はいろんな体験をして、君自身を育てていく。そうしていった中で、気付くときが来るかもしれない」

 異星人の言葉は、すっと俺の中に入ってきた。

「年を重ねても、まだ、育てていけるのかな?」

「それもまた、君しだいさ。君がどうしたいのか、見つめ直せばいい」

 俺は大きく頷いた。自分の中にある霧が晴れていくような感覚だった。

「あなたは・・・・・・何者なんだ?」

 すでに一度尋ねているのに、俺はもう一度訊いてみたくなった。

 星の種を育てる異星人。それだけではない気がした。異星人は視線を俺に移して、フッと笑った。

「それは、絵本にはない台詞だね」

 俺は目を丸くした。この異星人は、絵本の登場キャラクターと同じ姿をしているのに、それとは違う存在なのか・・・・・・?

「そろそろ、君を元いた場所へ帰そう。君が君自身を育てる楽しみは、まだ終わっていない」

 異星人の背後から白い光が差し込んできた。子供部屋の景色が消えていく。光は強くなり、俺は顔を背けた。



 光が収まると、景色が一変していた。本が並ぶ陳列棚が目に入る。

 俺は蒼月書店にいた。

「何だったんだ・・・・・・?」

 思わず呟くと、後ろから声が聞こえた。

「本を落とされましたよ」

 振り向くと、翠色の瞳の男性店員が本を片手に微笑んでいた。

 彼が差し出したそれは、「ぼくはどこから来たの?」だった。

「あぁ、すみません。ここの棚に置きっぱなしになっていて。元の場所に戻そうと思っていたんです」

 この状況に戸惑っていたが、ひとまずそう答えた。

「そうでしたか。では、こちらで戻しておきますね」

 瞳のせいか、目の前の彼が異星人と被って見えた。異星人の言葉が脳内で響く。

 俺は、白昼夢でも見ていたんだろうか。あの絵本を見たせいかもしれない。

「実は、そろそろ閉店の時間が近付いていまして。何かお会計されるものがあれば、お早めにどうぞ」

 店員に言われ、腕時計で時間を確認した。

 そんなに時間が経っていたのか。

「また時間があるときに、ゆっくり見に来ます」

「ご縁がありましたら、ぜひ」

 俺は踵を返して、店の扉に向かって歩き出す。

 まだ、俺にもやりたいことはある。

 扉を開けて外に出ると、大きく息を吐いて夜空を見上げた。



 最後の客が出て行くと、翠はカウンターに置かれていたアイスコーヒーを飲み干した。

「ご苦労だったな」

 私が声をかけると、翠は私の背の毛並みを撫でた。今日もこのグレーの毛はツヤが良い。

「お店は問題ありませんでしたか?」

「あぁ。店番をしている間、誰も来なかったぞ」

「それは助かりました」

 先程の男が絵本の中へ入ってしまったことに、翠はすぐ気付いた。「ちょっと行ってきます。店番、よろしく」とだけ私に言い残して、さっさと絵本の中へ追いかけていった。

「今回は普通の絵本だったんだろう? 何故、あの客は引きずり込まれたんだ?」

「カイルさんから入荷した本を奥の棚に陳列していたんですが、どうやら浄化した際の僕の霊力がその本に少し残ってしまっていたようで。そのそばにこの絵本が置かれていたのを、あの男性が手に取ってしまったためですね」

「あぁ、満天星ドウダンツツジの花のエネルギーと交換で仕入れたやつか。しかし、いつもならその程度では何も起こらんだろう? 本の陳列も整っていると思ったが」

「おそらく、男性の前に来店されていた女性が別の絵本を購入されていたので、一度手に取ったこの絵本を戻さなかったのでしょう。そして、男性はこの絵本に関して何か想い入れがあるのか、あるいは彼自身が抱える想いとこの絵本が共鳴してしまい、あのようなことが起こったわけです」

「それで、また世話を焼いたのか?」

「たいしたことはしていませんよ。絵本のキャラクターになってみたくらいです」

 翠は飽きもせずにコロコロと姿を変える。

「・・・・・・そういえば、久しく見ていないな。本当の姿を」

 私がそう言うと、翠は瞳を光らせ、控えめに微笑む。時折見せる、翠の優美な姿だ。

「せっかくここへ来ているんですから、それに合った姿になるのを楽しまないと」

「そうだな」

 私でさえ、本当の姿を見られたのは一度きり。翠が別の姿に変わるのは、楽しむためだけではない。こちらが認識できるように合わせてくれているということを、私は忘れてはいない。

「そういえば、この間来店されたおばあさんが、猫用のおもちゃを譲ってくれましたよ。使ってみます?」

「私はその辺にいる猫とは違うっ!」

 私が抗議すると、翠はおかしそうに笑った。


                              ー了ー

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