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「お祝いお祝い、大したものじゃなくてごめんねー」

 私が一人で暮らし始めたことを知って、美月さんは心配してくれていたらしい。バイトが休みの金曜日の昼下がり、乾燥スープとお菓子の詰め合わせを抱えて、遊びに来てくれた。ピザでも頼もうと言ってくれていたけど、私はポテトサラダを作っておいた。

「そんな気遣わなくてもいいのに」

「材料余ってたし、使い切りたくて」

「謙虚だねー。美味しそー」

「高瀬さんは、結局来られそうなんですか」

 手を洗って六畳のワンルームに入る美月さんは、手をクロスさせてばってんを作った。

「高瀬、やっぱ追試だって。それが終わってもバイトだって残念がってたよ。試験対策せずに心霊スポットばっかり行って、ばかなんだから」

 運が悪ければ追試が入ると言っていた高瀬さんは、運がなかったらしい。私は折りたたみのローテーブルを出して、真ん中に据える。

「お、やってるねー。相変わらず上手だなあ」

 安いデスクの上で開きっぱなしのノートパソコンを見て、美月さんは軽く拍手の真似をした。画面の中にはさっきまで描いていたイラストがあって、彼女の嫌味のない純粋な仕草に嬉しくなる。

「そういえばヨダカは? 来るんでしょ」

「ちょっと遅れるって言ってました。バイト帰りの電車が遅延してるんだって」

 イラストに保存をかけて、パソコンをスリープモードにする。美月さんはテーブルの前に座って自分のスマホを取り出した。

「じゃあ、先に決めちゃお。唯依ちゃん、何が食べたい? 今なら言ったもん勝ちだよ」

 顔を突き合わせて、私たちはピザやポテトやジュースを選ぶ。こんな時に出費やカロリーがどうのなんていうのはナシだ。注文をし、ポテトが被ったなと思いながら、ボウルいっぱいのポテトサラダを冷蔵庫から出す。お皿はまだ足りないから紙皿だ。

 やけに早い到着だと思いきや、ヨダカがピザ屋のデリバリーより先に来た。私たちが五分前に注文を済ませたと知ると、「走ればよかった」と悔しがった。

「ヨダカ、なんか顔色悪いね」

 席に着く彼の顔を美月さんが覗き込む。確かに彼には疲れた雰囲気が漂っていた。

「あー、そうですかね。大したことないすけど」

「梅雨でじめってるし、体調崩しやすい時期だからね。ピザ食べれなかったら遠慮なく言って」

「いやいや、何のために昼飯ぬいたと思ってんすか。……てか高瀬は?」

 追試だってと私が言うと、残念と指を鳴らした。

「ほんとに残念だと思ってる?」

「思ってるよ。俺の取り分が増えるとも思ってる」

 彼の返事に美月さんが吹き出した。「やっぱ面白いなあ、あんたは」

 ピザが届いて、歓声を上げながら狭いテーブルに頑張って乗せた。床にまで紙皿や紙コップを溢れさせて、わいわい喋りながら食事を摂る。そういえば、こうした気兼ねのないイベントは私にとって初めてのことだった。楽しい時間は日常の疲れを忘れさせてくれる。

「そういえば、ヨダカ、最近よく来て依頼受けるようになったじゃん。なんか心変わりしたの」

 ジャーマンポテトのピザを齧る美月さんに、フライドポテトを食べながら、ヨダカはいたずらっぽく目を細める。にやついた顔が私に向いたことに気付き、美月さんが「なになに?」と私たちを交互に見た。私はくすくす笑ってしまう。三人家族の心霊写真を撮ったことは、そういえば誰にも話していない。

「なに、秘密? お姉さん寂しいよ?」

「いや、全然大したことないんすよ。俺に人助けの精神が備わっただけで」

「人助けの精神? へー、キザなヨダカくん」

「そういう美月さんは、最近あまりいない気がする。高瀬ばっかで」

「あいつが入り浸り過ぎてるの。あくまで学生の本分は勉強だってこと忘れてんだから。そもそも、そんな言葉知らないのかな」

 ポテトサラダを口にして、「唯依ちゃん、うちの家政婦にならない?」なんて言ってくれる。

「そんでも、美月さんもよくあの部屋まで来ますよね。学校から遠いのに」

 ヨダカの言葉に、私の頭に疑問符が浮かんだ。

「学校まで歩いて五分じゃないの?」何軒かの家がなければ、あの部屋の玄関からは大学が見えるはずだ。とても遠い距離だとは思えない。

「あたし、通ってる大学は高瀬と違うとこなの」

 彼女の口にした大学名は、学歴に疎い私でも実家で何度か耳にしたことのある名前だった。よほど偏差値が高くないと通えない学校だ。

「違う学校から、高瀬さんの学校のサークルに入ってるんですか」

「大学では、学校またいでサークルや部活やるって、そこまで珍しいことじゃないんだよー」

「……前から気になっていたんですけど、美月さん、どうしてサークルに入ったんですか」

 しなやかで華のある彼女は、一見してオカルトサークルと無縁の人種だ。ダンスサークルとかテニス部だとか、もっとアクティブなイメージの活動の方がしっくりくる。

「んー、なんていうか、暇つぶし? 学外の人とも交流持ってみたくて、それにこれまでと違うタイプの人たちと付き合ってみたかったんだよね。SNSでサークルのアカウント見つけて、連絡とって、気付けば入っちゃってたって感じ」

「アクティブ……」

 私の口から思わずその単語が零れた。ヨダカと美月さんが可笑しそうに笑う。

「実際楽しいよ、こっくりさんだとか肝試しだとか、心霊写真とか」ヨダカを見てにやりとする。「全部新しい体験だし、新しい価値観も知れるし。追試受けるほどのめり込むのはアホだと思うけどね」

 目の前の女性が更に眩しく感じられ、私はまさに尊敬の眼差しで美月さんを見つめた。「そんな目で見ないでよー」と苦笑いして、彼女は私の前で手のひらを振る。

「美月さんのすごさに気付いちゃったんですよ。まるでアイドルっすね」

 ヨダカが愉快そうにからかって、美月さんは笑ってその頭を軽く叩く仕草をした。

「私も美月さんみたいな人になりたいなあ」心の底からそんな言葉が出る。

「大したことないって。あたしは、唯依ちゃんの方がすごいと思うよ? まだ十六とか十七なのに、やりたいこと見つけて、バイトして一人暮らしして。大人で偉いなって、感心してるんだよ」

 思わぬ褒め言葉に、つい体温が上昇するのを感じる。うっかり両手で頬を包むとヨダカがくすくす笑うので、咄嗟にその頭を小突いた。

「それに、実は唯依ちゃんの絵のファンになっちゃったんだよね」

「そんな大げさな……」

 けれど、彼女が口にしたアカウント名は、聞き覚えのある名前だった。慌ててスマホを出してツーエルを確認すると、まさにそのアカウントが比較的新しいフォロワーの中にある。

「本名で登録してないから暴露するタイミングが分からなかったけど、バレちゃった。期待してますよ、先生」

 ひええと変な声が出てしまう。相思相愛と、にやにやしながら呟いたヨダカの肩を握って、美月さんはぐらぐらと揺さぶった。

「ヨダカの写真もチェックしてるから。最近投稿頻度上がってて、楽しませてもらってるよ?」

「わーい。俺のことも先生って呼んでよ」

「ちょーしに乗る人は呼んであげない」

 ふざけ合う二人を見ながら、もう後には引けないことを自覚した。家族だけでなく、他にも私を応援してくれる人がいる。それも実際に手で触れられる距離にいる。

 それはプレッシャーよりも、私にポジティブな気合を与えてくれた。もっと絵を描いてもっと上手になって、心から満足のいく絵を仕上げたい。私は、スリープ状態で真っ暗なパソコンの画面にちらりと視線を向けた。徹底的に自分の可能性を試したい。改めてそう思った。

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