35
引越し先のワンルームに荷物を運びこんで、三日後にはやっと一息ついた。余り物だといって、母親から段ボールいっぱいの荷物が届いたのは嬉しかった。食器やレトルト食品、ポケットティッシュなどの日用品が詰まっていて、随分と助かった。
六等星での最後のバイト代が振り込まれて、私は一度だけヨダカと訪れたリサイクルショップで中古のパソコンとペンタブ等の周辺機器を買った。パソコンは以前のものよりスペックは低めだけど、絵を描けてネットに繋げられたら問題はない。以前描いた絵の多くは、ブラウザのアプリ上に保存したりツーエルにアップしているから、アカウントにログインすれば回収できるはずだ。
毎日は目まぐるしく過ぎる。ぽつぽつと安価な日用品を揃えて、スーパーのバイトに行って、帰ったらひたすらペンを走らせる。合間の食事は生活費を抑えるために出来る限り自炊で賄う。スーパーの休憩室で手作りのお弁当を食べていると、パートのおばさんたちが褒めてくれて嬉しかった。
あっという間に二週間が経って、カフェで待ち合わせたヨダカに私はやっとそれを手渡せた。
「本当にいいの、これ」
頷いて、私が包んだ包装を解いていく彼を見ていると、何だかこっちが緊張してくる。誰かにプレゼントを渡すとき、いつだって照れくささと同時にこちらの心臓も高鳴る。喜んでくれるかな、がっかりされないかな。どきどきしながら相手の顔をうかがってしまう。
「え、ほんとにいいの?」
ヨダカがさっきと同じ台詞を繰り返した。手元に現れたデジタル一眼レフカメラに、それだけびっくりしている。
「うん。いつもスマホじゃ味気ないと思って。……えっと、ごめん、新品じゃないんだけど」
「それでも安くなんかないだろ。カメラなんて中古でも高いんだし。それに唯依、引っ越したばっかなのに」
「いいの、前から決めてたんだから!」
中古のパソコンを買った時、一緒にカメラも購入して自分でプレゼント用に包装した。当初の予定通り六等星でのバイト代を鑑みて決めた価格帯は決して上位のものじゃない。しかも中古だ。もっとお金を貯めた後にグレードを上げたかったけど、一刻も早くヨダカにプレゼントを渡したかったのだ。
「えー……マジか、すげえ」手でしっかりカメラを支えて、彼は感嘆の声を上げた。「まさかカメラ買ってもらえるとは思わなかった」
「喜んでもらえた……?」
「うん、すっげえ嬉しい、ありがとう」
ヨダカはにっこりと擬音が見えそうなほど満面の笑みを私に向けた。向日葵畑をバックしたはるくんの面影が感じられる無邪気な笑顔に、私まで嬉しくなる。
「それでたくさん写真撮ってくれたら、嬉しいかも」
「撮るよ。めっちゃ撮る。ありがとな。……嬉しいんだけど、語彙力ないのが悔しいな」
あまりに喜んでくれるから却って恥ずかしくなって、私はカウンターのグラスに手をつけてストローからアイスココアを飲む。中古であるのが心苦しいけど、バイトを頑張ってプレゼントができてよかった。
「これ、今使えそう」
彼の声にふと顔を向けると、その顔をレンズがとらえた。ヨダカが受け取ったばかりのカメラをこちらに向けて構えている。
「ちょっと、ちょっと待ってよ」
慌てる私を見て、彼は笑いながらカメラを下ろした。私はむくれて隣に座る彼の腿を軽く叩く。
「いたずらしないでよ。びっくりするじゃん」
「いたずらのつもりじゃないんだけど」
「わかってる? 記念すべき一枚目だよ」
「だからだよ」
怒ってるくせに急に恥ずかしさがこみ上げて、私は顔が赤くなっていくのを感じた。彼は顔色一つ変えないで、私の返事を待っている。「駄目?」と言わんばかりの顔で、ちっとも照れていない。
彼にとってトイカメラ以来のカメラ。初めてシャッターを切る被写体に自分を選んでくれている。嬉しさと気恥ずかしさがごっちゃになって、返事を渋るごとに羞恥心が増すことに気が付いて、私は観念した。ばか、とだけ口の中で呟くのに留めて、わかったとようやく頷いた。
上手く笑えた気がしなくて、彼が撮った写真は見なかった。よく撮れてると恥じらいなく彼が言うだけで頭の中が熱くなって、ストローを吸って必死に冷却した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます