第三十一話「報告」

「……以上で報告は終わりです」


 太陽の光を反射させる水面を見つめながら通話をしていた。


 外出許可を取り、前に犬童とデートをした商店街よりもさらに先にある海、清華海水浴場に来ていた。


 まだシーズンではないため、サーフィンや散歩に来ている者がちらほらといる程度だ。


 その海水浴場の端に向かって歩いていけば、だんだんと人気ひとけがなくなって消波ブロック群が見えてくる。その消波ブロック群を海に向かって奥へ飛び伝っていけば、釣り人一人いない完全な無人の空間があらわれる。先頭のブロックに腰を下ろして、携帯電話を取り出し、定期報告のためマスターへと電話をかけた。



『なるほどな。わかった。あっちも依頼に変更はねえみてぇだ。引き続き監視だ。頼むぜ』


「はいマスター」


 久しぶりにマスターの声を聞いていると郷愁のような気持ちが芽生え、そんな自分を情けなく思う。


『ふぅー……ところでシロよぉ、やっぱり私の予想は間違ってなかったな。うまく溶け込めてるみたいじゃねえか』


 電話口の向こうでマスターがタバコ吸い出した。仕事の話は終わったということだ。


「はい。おかげさまで、任務に支障をきたすような事態にはなっていません」


『学園生活ってのはどうだ? 楽しめてるか?』


「…………任務に支障がでないように溶け込めてはいると思います」


 一瞬口ごもったのが失敗だった。マスターは全てを察したように笑った。


『ははは! なるほどなぁ、友達でもできたか? いや……恋でもしたか?』


 その言葉に空狐や犬童、優雅の姿が一瞬浮かんだが、慌てて振り払う。


「……表面上の友人なら」


『お前がそんなに上手く割り切れる性質かよ』


「……恋に関しましても、ボクはマスター以上に魅力のある人を知りません」


『なんだなんだ急に可愛いこと言いやがってお前このやろー! よし、帰ってきたらチューしてやるからな』


「それは結構です」


『なんでだ!』


 マスターと通話を切るのは名残惜しいが、このままだと、いつまででも話していたくなってしまう。情けないボクの本性が、甘えが出てしまう。


「そろそろ切らせてもらいますよ。ここは清華市、桜花の庭ですから、安全な場所とはいえあまり長話は危険です」


『なあシロ――』


 一言発せられたマスターの声色が、いつになく優しいもので、何故だかボクはその優しげな声色が、かえって突き放されてしまうように感じて怖く思った。


「……なんでしょうマスター?」


『この仕事が終わったとしても、なんなら、そのまま卒業までそこにいたっていいんだぜ?』


 唐突な提案に一瞬頭が真っ白になって、


「……ご冗談を」


 そう返すのが精一杯だった。


『なんでだよ? リンだって仕事の合間に学校に通わせてんだ、お前が通ったっておかしかねえだろう?』


「かもしれませんが……」


『ははっ! まあ、向こう次第だが、いつどうなるかはわからねえからな、最悪含めた諸々の覚悟だけはしておけよ。じゃ、切るぜ』


「はいマスター」



 電話を切ってもすぐには立たず、消波ブロックの上に座ったまま、なにも考えずに、目の前に映る広大な海原を、眺めた。


 うららかな陽気に輝く水面みなも。むせ返るような潮の香り。波の音、海鳥の鳴き声――



 清華に入学してからもうゴールデンウィークになろうとしている。


 思えばあっという間のように感じる。特待生が特別扱いされるということを知らされていなかったので、一時はどうなることかと思ったが、空狐たちのおかげでなんとか問題なく過ごすことができている。いや……むしろ心地いいとすら思えてしまっている――



「空狐さん……」



 桜花空狐。不思議な人間だ。マスターともリンとも違う、凛とした貴人たる雰囲気を持ちながら、どこか心安い。こんなボクを友と呼んでくれた、どこか惹かれてしまう――


「…………」


 ボクの任務は桜花空狐の監視だ。最悪、初めての殺しの命令が下るかもしれない。もしそれを命じられたときボクは空狐を殺せるのだろうか? 考えたくもない。だが、やらなければならない。それが、ボクの選んだ道なのだから――


 立ち上がり、海を背に学園への帰路についた。マスターとリン以外に情など持たないと覚悟したはずなのに、酷く胸が痛むような気がした。

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