第三十話「優雅とユリコ」

(ああ――)


 そうか……桜花空狐は愛されているんだ……。これが合理を捨てた先にあるものなのか――


 ボクはどうだ? マスターを愛しているのか? わからない。ボクには愛というものがわからない。ボクが理解し得ない、持ち得ないものを持っている彼女らが眩しく思えた。



「頭を上げてください優雅さん。従者たる者、主人以外に頭を下げるものではありませんよ」


「お願いいたします。どうか、どうか空狐様の想いを裏切らないでください」


「……優雅さん、お答えいたしますから、頭をあげてください」


 頑なに頭を上げようとしない優雅に近付いて頭を上げさせる。近距離で見つめ合う形になる。


「優雅さん、私は今から、嘘偽り無く正直にお答えします。よろしいですね?」


「……はい」



「私は姫草ユリコです。それ以上でも、それ以下でもありません。私は幼い頃、主人にこの命を救われ今まで育てられてきました。この恩は私にとってなにをもってもお返ししきれないものです。私の血と肉と魂は全て主人のものです。主人が命令するのならば、私はどんなことだってやりましょう。たとえそれが、空狐さんを裏切ることであったとしても、そう命じられたのなら私は逆らわない。全力で与えられた役割を全うするでしょう。それが私という人間です」



「…………」


 優雅は黙ってボクの話を聞いている。その表情から感情は窺い知ることができない。下手をすればこの場で危険分子として学園から排除されてしまうかもしれない。だが、今ここで嘘をついて「私はなにがあっても絶対に空狐の味方だ」などと言うほうがよほど怪しく嘘くさく、軽薄な言葉だと思った。


「ですが……できれば空狐さんとそのようなことになりたくない。と、思っていることも本当です。だって空狐さんは、私の人生で初めてできた友人ですから。裏切りたくない。このまま平穏な学生生活が送れるならば、これ以上素晴らしいことはないと思っています」


 これは嘘ではない。空狐がただの監視対象のままなら、ボクも彼女も穏やかな学園生活を送れるのだ。


 言い切ってお互い無言のまま見つめあう。どちらの瞳もぶれずに、真っ直ぐに、そして一陣の風が吹き、二人の髪を撫でたとき――



「ずいぶんと、ムシの良い言葉ですね……」


 優雅の体から緊張が解けた。



「自分でもそう思いますが、これが私の本音です。ですから、もし私がそのようなことを命じられたなら、貴女は全力で私を排除しに来て下さい」


 優雅は呆れたような、仕方ないヤツだといったような笑いを浮かべた。


「なんですかそれは……。そこは嘘でもはいわかりました。と返事をすれば良かったのではないんですか?」


「そんな軽薄なことは嘘でも言えません。それに、優雅さんがおっしゃったように、この世界は常に敵と味方が変わり続けます。どれだけ親密な仲だと思っていても、明日には敵になっているかもしれない。そんな世界で、主人がそのような命令をすることが絶対に無い。とも言い切れませんから」


「……そうですね。本当に嫌な世界です」


「そうとも限りませんよ」


 乾いた笑いを浮かべた優雅は、ボクの言葉を聞いて驚いたようにボクを見た。


「その世界に身を置くおかげで、私は空狐さんや弥生さん、そして、優雅さんに出会えることができたのです。だから、そんなに嫌なことばかりでもないと思っていますよ」


「いつかは争いあうことになってしまっても? ですか?」


「そうなったら嫌だ、と思える人に出会えたということが、私は嬉しいのです」


「……かもしれませんね」


「ですから私は、優雅さんのお願いに、はい。と言うことはできません。ですが、できる限り私は貴女たちを裏切りたくはないし、仲良くしたいと思っていることも本当です。もしかしたら、私は貴女たちのことが好きなのかもしれませんね」


「あらあら……なんですかそれは……」


 手を口に当てクスクスと笑う優雅は、笑い終えると、顔を上げ日の沈みかけた空へと目を移した。


「従者の定め……ですね。確かに、主人がある以上、自身の意思の上に主人の意思がある。ええ……そうです。確かに、従者とはそういうものですね……。姫草様、たしかに貴女の本音を聞かせていただきました」


「納得していただけましたか?」


「ええ。おかげで、なにかあっても遠慮なく貴女とやりあうことができそうです」


「それは恐ろしい……」


「姫草様」


「はい」


「これからもよろしくお願いいたします」


「こちらこそ、よろしくお願いします。それと……できれば優雅さんには名前で呼んでいただきたいですね……」


「……それは難しいご注文ですが……他の目がないところなら、いいですよ。ユリコさん」


「……ありがとうございます」


 胸がじんわりと温かくなる。きっと優雅を懐柔できたことへの達成感のためだろう。


「……ふぅ、少し恥ずかしいですね。それでは戻りましょう。日も落ちてしまいましたし」


 優雅がパタパタと顔を扇ぐ。


「私はここで優雅さんと夜空を眺めるのも、悪くはないと思っていますよ」


「そうですね。ですが、それはまた今度にいたしましょう。あまり長いこと貴女と一緒にいると、また空狐様がヤキモチを焼いてしまいますから」


「ふふっ……そんなことを言ったら怒られてしまいますよ?」


「もちろん黙っていてくださるんですよね? ユリコさん?」


「はい。二人だけの秘密ですね」


「ふふっ――」


 笑い合いながら寮へ帰った。

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