第二十八話「戯苑の誘いと優雅の誘い」
放課後、空狐と犬童は理事長代理の仕事があると部活棟へ向かっていった。
理事長は出張中でゴールデンウィーク前後には帰ってくるらしく、それまでは空狐が理事長代理だそうだ。
今日は寮内の探索をしようかと思いながら、アーケードを迂回して人通りの少ない山沿いの道を歩きながら寮へと向かっていると、大きな
侍女服に百八十近くある長身、金縁の
お互いがはっきり見えるくらいの距離に近づくと、戯苑はやっとボクに気づいたようで、一瞬だけ目を見張ると、二、三言なにか言って携帯をしまった。
「こんにちはユリコさん。気配が薄かったの気付きませんでした。お恥ずかしいところ見られてしまいましたね……聞こえてしまいましたか?」
桜花家の侍女たちは通常、生徒の名字を様付けで呼ぶのだが、戯苑はボクだけは名前にさんづけで呼んでくる。
「こんにちは戯苑さん。気配を出さないことが従者の嗜みでございますので、その癖がつい出てしまったようです。電話のお邪魔をしないようにと思ったのですが、結果的にお邪魔をしてしまいまして申し訳ございません。もちろん、なにをお話しされていたのかは聞こえておりません」
「いえ、お謝りにならないでください。ユリコさんの気配に気付けなかった自分の未熟を恥じ入るばかりです。それに、邪魔なんてことはありません。何故なら私の最優先は一目見たときからいつだって貴女なのですから」
戯苑はずいと身体を近づけて上から覗き込むようにそう言った。
「お上手ですね。ですが私なんかを最優先にしていては、優雅さんに怒られてしまいますよ?」
「なら、このことは二人だけの秘密、ということにしておいてください。それから今度ユリコさんのお部屋にお邪魔してもよろしいですか?」
「話の前半と後半がまったく噛み合ってないことに驚きです」
「いかがでしょうか?」
ぐいぐいと顔を近づけられ、今ではあと一歩動けば唇と唇が触れ合ってしまうくらいだ。
「せっかくのお誘いですが、なんだか怖いのでお断りします」
二、三歩後ろに下がりながら断る。
「いえいえ、なにも怖くありません。ただ、貴方と夜通し愛について語り合いたいだけなのです」
「私は語れるほど愛とやらを知りませんので、お断りいたします」
「ならば私がお教えしましょう。愛とは二人で紡いでいくより糸のようなものなのです」
「戯苑さんの場合、愛というより欲が強く思えるので結構です」
戯苑には度々こうやって誘われるが、冗談なんだか本気なんだかわかりにくい上に、はっきり断らないとなかなか話が終わらないのだ。
「それは残念。ですが私はめげませんよ」
「私も折れませんよ。ではごきげんよう」
戯苑に背を向けて寮へと歩き出すと、後ろから声がかかった。
「ユリコさん、もし侍女長に会っても、私がここにいたということは秘密にしておいてくださいね。サボっていたことがバレてしまいますので」
「仕方ありませんね」
片目を閉じながら念押しする戯苑に苦笑を返して寮へと向かった。
戯苑と別れ寮へ着くと、いつぞやと同じくエントランスの前に優雅が立っていた。彼女はボクを見つけるとこちらへと向かってきた。
「姫草様、少々お話があるのですが、お時間よろしいでしょうか?」
大切な話ということはその雰囲気でわかった。
「……はい」
「あまり人に聞かれたくはないお話なのです。ですから、申し訳ありませんが、鷺之池までご足労を願えますか?」
「構いませんよ」
先を行く優雅の後ろをついていく。春も半ばとなりだいぶ温かくなり日も延びてきた。まだ夜は肌寒いが、基本的に暖かくて、風も少なく過ごしやすい陽気が続いている。今もそうだ。ゆっくりと差し込んできた夕日があたりを染め上げている。
「夜はまだ肌寒いですが、日中は温かくなってまいりましたね」
「はい。とても過ごしやすい、一年のうちで一番良い季節だと思います」
「今がですか?」
「はい。朝と夜は少し肌寒いくらいのほうが、私は好きなのです」
「どうしてですか?」
「布団や毛布を掛けて寝られますから」
「あらあら……姫草様はお布団や毛布が好きなのですか?」
癖なのだろうか、優雅は「あらあら」と言うときや驚いた反応をするときは、必ず揃えた左手の指先で口元を隠すのだ。
「はい。あのふわふわとした柔らかさと重みがとても。毛布や布団を自分が埋まるくらい掛けて、顔を上半分だけ出して寝るのが好きなんです」
「……んふっ」
思わず、といったように優雅が吹きだした。普段ほとんど感情を出さない彼女のこういった姿をみたのは初めてだったので、今なにかおかしなことを言ったか? と不思議になる。
「え……? な、なにかおかしかったでしょうか?」
優雅は唇の端を震わせながら、必死に込み上げてくる笑いを堪えている。
「いえ……んふっ……申し訳ございません。大量の布団と毛布に埋もれながら眠っている姫草様を想像したら、子供みたいで可愛らしくてつい、微笑ましくなってしまいました……っ」
「微笑ましいというよりは、滑稽で吹き出しているようにお見受けしますが……」
「気のせいでございます」
そういえば、たまにマスターが部屋に侵入して寝ているボクを見て大笑いすることを思い出した。
確かに言われてみればボクの寝方は酷く子供っぽいのかもしれない。そう思うと途端に羞恥心が沸き起こってきて顔が熱くなった。
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