第二十話「懸念」

 空狐と二人きりの茶会をしてから数日が経った。


 学園での生活も慣れ始め、特待生騒動も一段落し質問攻めにあうこともなくなり、クラスメートをはじめとした他生徒たちとも今のところ上手くやれている。 


 清華の広大な敷地のマッピング、警備員等の人員の配置状況も着実に把握し始めている。


 今のところ順調に進んでいるが、問題があるとすれば犬童のことだった。



 先日の茶会で空狐を名前呼びすることになってからというもの、犬童のボクに対する警戒心が目に見えて強くなった。


 当然といえば当然であるし、犬童の行動は正しい。今、桜花財閥は大きな騒動が起きており、当主だけでなく空狐自身にも危険が迫る可能性がある最中であるのに、素性も不確かな転入生がやってきたのだ。


 それだけならいざ知らず、守るべき主がその不審な転入生に日に日に好意的になっているとなれば、護衛を任される身からすれば到底看過できざる問題だろう。


 だが、だからといって主人である空狐にボクと仲良くすることは控えてくださいとは言えないだろうし、言っても空狐は聞かないだろう。


 だから犬童は主人である空狐がボクに気を許した分だけ、より強くボクを警戒するしかないのだ。


 犬童のボクに対する警戒心をあらわれている例を挙げてみれば、こういうことがあった――



 朝の通学路、いつものように三人で歩いていると、空狐の頭に桜の花びらが付いていた。


「桜花様、頭に花びらがついていますよ」


「失礼」


 それをとってあげようと何気なく空狐の頭に伸ばしたボクの手を、犬童が右手で遮って、空いている自身の左手で空狐の頭についていた花びらを取った。


「……失礼しました犬童様」


「いえ、私のほうこそ失礼しました。ですが仕事ですので悪しからず」


「はい……」



 ある時は、前に空狐が歩いていたので近寄ろうとすると、ボクに気付いて振り返った犬童は「こちらに来るな」というような目で睨まれたこともあった。



 犬童に話しかける機会もあったが、


「犬童さんはなにかお好きなものは、ありますか?」


「ぬ……特にありません」


「実は昨日、鷺之池さぎのいけに初めて行ってみたのですが、とても綺麗で驚きました」


「そうですか」


「犬童さんはどのような武道をなさっているんですか?」


「色々です」


 このように、こちらから歩み寄ろうと話しかけても、全て素っ気無く返され取り付く島もない状態だ。


 実際犬童の懸念は正解だ。ボクは殺し屋から派遣された間諜であり、マスターから命令を下されれば、空狐に限らず学園内にいる誰それを手にかける事態だってありえるのだから。


 幸いなことは、犬童はボクを疑惑の目で見ているというよりも、どちらかといえば空狐がボクに好意的だから。という、おそらくは犬童自身も気付いてないであろう、嫉妬の感情が強くあらわれていることだ。


 だから犬童はボクが空狐に近付けば獰猛な番犬よろしく唸りだすが、ボクが一人で行動することに関してはあまり注意を払っていないようであるし、犬童セキュリティにもボク自身が警戒、監視されているということもなかった。



 そのような日々を過ごしながら日曜日、ボクは清華ここへ来てから始めて外出許可を取り、遅い朝食を食べた後、街へと出かけるため寮を出た。


 空狐はどこぞのビルの落成式があるらしく朝一番で犬童と出かけてしまったので、監視対象がいない今の内にできることをやっておこうと思い、緊急時の逃走経路を考える上で、校門から検問所までの道のりをもう一度じっくり確認しておこうと決めた。


 一応外出許可がなくても検問所までは行っていいらしいのだが、用もないのに検問所付近をうろうろするのはあまりにも不自然であるから、街へ出かけるという名目のもと検問所を通ることにした。



 支度をして校門を出たのは昼前で、晴れ渡った青空がどこまでも続いていくような日だった。



 陽の光を反射させる海を眼下に、周囲を観察しつつゆっくりと坂を下り、警備員に会釈をしつつ、一つ一つの機器や機材、検問所の構造を確認しながら通り抜けた。



 後は帰り際にもう一度検問所を確認することが目的なのだが、学園を出たばかりですぐに帰るのも不自然なので、時間を潰すため街へ出る。



 清華学園の眼下に広がる街は、清華市という。清華学園が市から名前をとったのではなく、清華学園から名前をとって清華市と名付けられたらしい。



 ゆっくりと地形や風景を覚え見ながら商店街の広場へと出た。中央に大きな噴水があり、いたるところにベンチが置かれている。



 今日が日曜であるということもあってか予想以上に活気があり、とても賑わっていた。


「今日はどこで遊ぶー?」


「新しくオープンしたっていうぬいぐるみ屋さんに行ってみたい!」


「だるいわーなんでこんな天気のいい日に部活なんかしなきゃならないんだ?」


「本当に? あの有名人見たの?」


 清華市は清華学園からの寄付や税金といった面で多大な恩恵を受けており、財源が豊かで都市開発が進んでいるため、非常に先進的な建物や施設が多く、清華市では清華学園以外の学校も数多くあり、市全体が学園都市のような造りになっている。


 ここから見る限り清華の生徒はいないが、他校の制服を着た学生や、ボクと同い年くらいの人たちが多く歩いている。学生で賑わう若々しい街という印象だ。



「ねぇ、見てあの人凄いキレイじゃない?」


「モデル? 外国の人?」


「なぁ! あれもしかして清華の制服じゃねっ?!」


「えっ? あのお嬢様学園の!」


「すげぇ清華の生徒ナマで見んの初めてだっ」


 周囲からとても注目を集めていることに気付く。


「しまったな……」


 ただでさえこの街中では目立つ清華の制服に、ボクのこの白い髪が余計に悪目立ちしていたのだった。

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