第十九話「少しだけ踏み込んだ二人」

「…………」



「でも……多分だが、その絶妙な距離感は、キミの天性のものではなく、努力の末に身につけた社交術の一つだなんだと思う。つまり、計算だ。経験上そういう手合いに深く入れ込むのは、危険だとわかっているはずなのに……。分かっていながらその手管にかかってしまう……。それも、まだ出合って数日も経たない人間に対してだ。だから悔しいんだよ。不思議とキミには惹かれてしまうね。まるで一目惚れのようだよ」



 さすがだと思った。幼い頃から権謀術数の世界に身を置き、様々な人間と接した桜花空狐の観察眼は確かだ。


 ボクは今、ボクでありながら同時に、姫草ユリコという別の少女を、人が引いている他人との一線を、半歩だけ踏み込むような少女を演じているに過ぎない。それを空狐は正確に見抜いているのだ。



「――まるで告白のようですね、桜花さん。思わず胸が熱くなってしまいます」


「茶化すなよユリコ。今のは私の本音だよ。その答えが、それなのかい?」


「…………」 


 試されている。私は本音を言った。キミを信用してみたいから。ダメならそれでかわまわない。だが本音には本音で返してほしい。と――


「……」

「……」


 二人、無言で見つめ合う。



 まいった……。深窓のご令嬢と侮っていたワケではないが、この目の前の少女は規格外だ。ここまでやりにくい相手は初めてだ。踏み込むしかない。万が一、自分が空狐に取り込まれてしまうことになるかもしれない。そう理解しつつも――



「……私は、桜花さんが思うほどに器用な人間ではありませんよ。一から十まで教本通りに動くことなんて、できないんです」


「と、言うと?」


「今の私の桜花さんへの対応を、自分自身で評価するとしたら、間違いなく落第点です。殴ってでもこんな危ない真似はしないよう、矯正させたほうがいいでしょう」


「危ない?」


「私は従者でございます。主人の為に生きておりますし、主人の為にこの身を投げ捨てる者です。私は主人の望むことならばどのようなことだっていたします」


「ああ。確かにキミはそういうタイプだろうね」


 ボクの目をまっすぐに見て頷く空孤に続ける。


「そうして考えて見ますと、今私がしているような、桜花さんとの対等に接するような付き合いは、リスクとメリットでいうところの、リスクのほうが大きすぎます」


「そうかな? 私に取り入れれば、大いにキミの主人のためになるんじゃないのかな?」


「いいえ、リスクのほうが大きすぎるのです。ただでさえ、桜花さんと馴れ馴れしくしていると周りの目が痛いですし、いらぬ風聞を生む可能性もありますし、なにより一度でも桜花さんの勘気を被ってしまえば、それでお終いじゃないですか」


「まぁそうだね……」



 空狐は少し考え込むようなま間を置き、再びボクを見た。



「じゃぁ、なぜキミはそれでも続けているんだい? 昨日、私が桜花空狐だと知ったあの瞬間、私の不興を買っても、全てをなかったことにできたじゃないか」


「ですから言ったではありませんか。私は貴女が思うほど器用な人間ではありません。と」


「なるほど。つまり、キミはこう言いたいんだね? 今の私との付き合い方は、デメリットが大きすぎるが、キミも私と同じように、なにかしらの感情が邪魔して、切るに切れず、今ここに、こうして座ってお喋りをしているんだと」


 ボクは小さく笑った。演じきれない、徹しきれない自分を嘲るように。



「桜花さん」


「なんだい?」


「よくできました」



 大きく吹いた一陣の風が、空狐の目にかかった髪を払った。そこにある金色の瞳は、あっけにとられたように大きく見開かれていた。



「……バカにするなよ」


 

 空狐は不機嫌そうな表情を浮かべ口を尖らせているが、頬は赤らんでいた。


「褒めてるんですよ」


「ふんっ。そっ、そうか?」


「ふふっ」


「ははっ」


 二人笑い合う。


「ユリコ」


「はい」


「キミは自分でたいそう嫌っているようだが、私はキミのその白い髪が好きだよ。美しい。素敵だ」


「ありがとうございます。私も、桜花さんのその金色の瞳が好きですよ。引き込まれてしまいそうなほど」


「言ったな、実は私はこの目の色が大嫌いなんだぞ」


「私もこの髪の色が大嫌いです」


 くすくすと笑い合う。


「ユリコ」


「はい」


「まぁ……なんだ……。私たちはもう、友達のようなものだろう?」


 その言葉になぜか胸が熱くなった。


「……はい。そうですね。私にとっては、生まれて初めての友人です」


「そうか……その……友達というものは、互いの名前を呼び合ったりするものらしい」


 だから――。と、空狐は続けた。


「私のことは、これから名前で呼んでいいよ」


「空狐さん」


 試しに呼んでみる。


「……なんだいユリコ?」


「人がいないところでは、そう呼ばせてもらいます」


「人前でもかまわないよ」


「私がかまうんです」


「「あははっ――」」



 不思議な気分だった。


 この人生で、師は、妹は、敵はいた。けれど、友というものはいなかった。


 もし、今のボクと空狐の関係が、その友人関係に近いものなのだとしたら、例えそれが仮初だったとしても、悪い気はしなかった。


 言葉にできない不思議な気持ちが胸にあふれる。


 だがボクの任務は桜花空狐の監視だ。


 対象に感情移入してはならない転移してはならない。そう自身に言い聞かせる。


 近しい仲になれば任務がやりやすくなる。それだけだ。それ以上でも以下でもないのだと――

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