第十四話「登校」

 翌朝、目が覚めて時計を見ると午前四時をさしていた。


 僅かな物音や気配に反応できるような半覚醒状態で眠るため、生まれてから今に至るまで熟睡したことは数度もない。


 起き上がる前に自分の胸に手を当てて自身の精神状態を確認する。


「…………」


 ベッド脇のチェストに置いてあるピルケースから錠剤を一錠とって備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して飲み込んだ。


 冷蔵庫の中には無料で提供される飲み物各種が入っていて、申請すれば補充してくれるとのこと。


 ベッドを降りてカーテンを開けるとまだ日は出ておらず、ベランダに出てみると冷たい山風が体を打った。


 顔を洗って制服に着替える。昨夜確認したが、部屋の中に監視カメラや盗聴器の類は確認できなかった。油断するわけではないが、室内は盗聴盗撮等、直接監視されていないと考えていいだろう。


 寮の門限は二十時でそれ以降は用事がなければ、翌日の五時までは寮を出てはいけないことになっている。腕時計で確認すると時間はちょうど五時をさしていた。


 エレベーターに乗って一階に降り、受付の侍女に「散歩に行ってまいります」と断りをいれて寮を出た。


 部屋の中に置かれていた『学園外持ち出し禁止』と赤文字で書かれた、学園内の地図をポケットから取り出してそれを見ながら学園内にあるという神社へと足を勧めた。


 清華学園内は広く、一日かけても全て回りきることは不可能だ。任務上この学園内の地形や地理をちゃんと知っておかねば、いざというときに死活問題になる。


 そのため、これからの行動方針は空狐を監視しながら、学園内を探索し地形や警備の配置状況を把握するということにした。


 暫く寮の周囲を散策し戻る頃には七時になっていたので、部屋には戻らずそのまま食堂に向かった。


「相席、いいかな?」

「私もよろしいでしょうか?」


 焼き鮭をほぐしていると、空狐と犬童が給仕を連れ立ってやってきた。


 二人が食堂に入ってきたとき、入り口を見なくても、食堂にいた生徒たちが俄かに活気づいたのですぐにわかったくらいだ。改めて清華内での二人の人気の凄さを思い知る。


「もちろんです、どうぞおかけになってください」


「失礼するよ」

「失礼します」


 二人が席に着く。


「ユリコはお茶漬けでも食べようとしていたのかな?」


「はい。鮭といえばお茶漬けですからね。ですが周りの目があるので断念しました」


 はしたない食べ方と思われてしまうかもしれないからだ。

 

「きっとユリコなら茶漬けを食べる様も絵になるだようから、大丈夫じゃないかい?」


「私は石橋を叩きながら船も視野に入れつつ橋を渡る性分ですので」


「ははっ、それなら無理だね」


 談笑しつつ朝食を終えたボクたちはそのまま一緒に登校することになった。今日は昨日使ったアーケードを抜ける道とは違うルートを案内される。寮と校舎間には、通学路といわれる一本道があるらしく、昨日の道は遠回りになるのだそうだ。


 道の中心を堂々と歩く空狐の半歩横に並び、犬童はその一歩後ろを歩いている。他の生徒たちは挨拶はしてくるが、ボクたちと一定の距離をとっている。


 皆、空狐に気を使っている。言い換えれば桜花家を恐れているのだ。それは敬意もあるだろうが、それ以上に、空狐に対して粗相があれば、万が一にでも勘気に触れることになれば、御家の大事になるかもしれないという恐怖があるからだろう。


 故に、桜花空狐という少女は、この学園内外で孤高なのだろうと思った。生まれながらの身分や立場から、否応無くそうあることしかできないのだ。


「そういえば朝聞き忘れてしまったが、昨日はちゃんと眠れたかいユリコ?」


「はい、おかげさまでよく眠ることができました。ベッドも布団も枕も、私が使うにはもったいないほど素晴らしいものばかりでしたから」


「そうか、ならいいんだが、そう自分を卑下するものじゃないよユリコ。キミはここの、科挙かきょといわれる清華の特待試験を合格した才媛さいえんなんだ。在校生でも特待試験を受けて落ちた者は多くいる。だから、あまり謙遜が過ぎていると、かえって鼻につくというものさ」


「…………」


 空狐の言うとおりだ。自分は使用人階級ではあるが、同時に特待生でもある。その所を注意して振舞わなければいけない。謙遜も過ぎれば傲慢になる。


「そのとおりですね……ご助言ありがとうございます」


「優秀な者は相応に振舞わなければいけないものさ。そうは思っていなくとも、多少は傲岸ごうがん振舞うことも必要なんだ。まぁ、私が見る限りキミは謙遜しているというよりも、純粋に自己評価が低すぎるようだけどね」


 たしかにと思う。ボクは自分自身をクズやゴミのたぐいくらいにしか思っていない。ただ、マスターのお役に立てているとき、リンを守っているときだけは、こんな自分にもほんの少しは価値があるのではないか? と思える程度だ。


「……そう見えますか?」


「見えるね。いつかもっとキミと仲良くなって、もしも、もう少しお互いがお互いをさらけ出して話せるような仲になったら、私はその寂しげなキミの心を、抱きしめてあげたいと思うよ」


 その不意打ちの言葉に胸がトクンと高鳴った。


「……ご冗談を。朝から恥ずかしいポエムはやめてください」


 どういう意味合いの高鳴りなのかは自分でもわからない。わかりたくない。ただ一つ、今抱く感情は自分への嫌悪。できるならこの不埒な心臓をナイフでもペンでもいいから深く刺し貫いてやりたいと思った。

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