第十一話「優雅」

「ユリコ、あれが寮だよ」


「寮……? 外観といい大きさといい、ホテルといったほうがしっくりきますね。プールもついてそうですし」


「もちろん付いてるよ。しかも屋内外両方だ。まぁ、屋外のほうは夏限定だけどね」


「……凄いですね」


 あまりの規格外さに言葉がでなかった。


 寮へ近付くと、エントランスの大きなガラス扉の前で、侍女服を着た一人の女性が誰かを待っているように佇んでいた。


 腕には桜の腕章が付けられていることから、今朝の集会のときにもいた桜花家の使用人なのだろうということがわかった。


「ああ、いたいた優雅だ」


 妙な感嘆の言葉をもらすのだなと空狐を訝しく思っていると、その侍女がボクたちを見たかと思うと、こちらへ向かってきた。


「空狐様、弥生さん、ご案内ありがとうございました。姫草ユリコ様ですね。お待ちしておりました」


 一礼をされる。整った顔立ちだが、無表情でどこか冷たさのようなものを感じる。笑った顔を想像できないような、油断できない人物だ。


「この学生寮で寮母をしております、鷺雅飛優雅さぎがとぶゆうがと申します」


 自己紹介されて先程から空狐が言っていた優雅というのは感嘆の言葉でも形容詞なのでもなく、人名だったのかと合点がいった。


「英国より参りました姫草ユリコと申します。こちらこそ、これからよろしくお願いいたします」


 こちらも一礼を返すが、それにしても名字からして凄い名前だ。


「姫草様、今、私のことを、すごい名前をしているなコイツ。と、思いましたね?」


 一瞬顔色を読まれたのかとヒヤリとしたが、優雅の反応を見るに、これは彼女が持つ自己紹介のときのジョークなのだろうと理解し、どんなリアクションが最適なのか反射的に考えたが、正直に答えることにした。


「……失礼ながら、少しだけ思ってしまいました」


「あら……素直な方ですね」


 ボクの回答に口に手を当てて少し予想と違うといった顔をする優雅。


「失礼いたしました」


「いえ、別に怒っているのではありません、ですが大抵の人は思ってはいても、そんなことないと言われるもので」


「そう言ったほうがよかったのでしょうか?」


「……そんなことはありませんよ? ですが、そう素直に返されてしまいますと、その後に用意していた私のウィットに富んだジョークを、披露できなくなってしまうのです」


 ずいぶんと冗談の通じる寮母らしい。

 これは寮生になるボクの緊張を和らげようとしてくれているのだろうか? だからボクも彼女のノリに合わせることにした。


「なんてことでしょう……それは是非とも聞いてみたいです。では……もう一度、今の会話をやり直すわけにはいきませんでしょうか?」


「そうでございますね……。やりなおしてみましょうか?」


「はい。では最初から」


「二人とも、いつまでとぼけた会話をしているんだい?」


 見かねた空狐に止められた。


「失礼いたしました桜花様」


「空狐様、私たちは今大事なところだったのですが」


「わかったわかった。だけどそれは後にしよう。でなきゃ、私たちはなんのためにお茶を我慢してまで急いできたのか、意味がなくなってしまうだろう」


「お茶を我慢? 仕方ありませんね。姫草様、空気を読めない空狐様に水を差されてしまいしたので、ジョークはまた今度ということで」


「はい。楽しみにしております」


「ユリコ、気をつけるんだよ。優雅はこう見えて、人が困る姿を見て喜ぶ癖があるんだ」


「空狐様、誤解されるようなことをおっしゃらないで下さい。私はそんな悪趣味ではありません」


「そうでしょうか……?」


 つい、無意識という感じで犬童がポロっとこぼす。


「弥生さん、後で私の部屋まで来てくださいね?」


「失言でした。ごめんなさい」


 犬童は小さく震えていた。


 優雅と合流してから、空狐たちの空気がひとしお柔らかくなったように感じる。特に犬童が顕著だ。今までずっと反応のなかった仏頂面が、穏やかな笑みすら浮かべている。


「皆様はお知り合いなのですか? 近しいご関係のようにお見受けいたしますが」


 優雅と犬童が空狐の顔を見てボクの質問に対し、どう答えようか? どこまで話していいのか? と、空狐に視線を送り、答えたのは空狐だった。


「ああ、私たちは小さな頃からの付き合いなんだよ。弥生は私専属の護衛として、優雅は私専属の侍女としてね。優雅は私にとって姉のようなものだよ」


「そうだったのですか」


「ええ、ちなみに寮母をやっておりますのも、空狐様が清華に入学されたからでございます。私は空狐様専属の侍女でございますから、空狐様が御卒業なさる再来年には、私も寮母を辞する予定です」


「ちなみに寮母だけじゃなく、清華学園侍女衆の責任者でもある。侍女長ってやつだね」


「それはすごいですね……」


 見たところ、二十歳前後くらいか? ボクらとそこまで歳は変わらないように見える。

 その歳で侍女長とは、コネではなく実力でなったのだとしたら相当に優秀なのだろう。

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