第三話「邂逅」
黒絹のような艶めく髪は眉の辺りで切り揃えられ、そこから覗く丸い大きな瞳は金色。
形のいい小鼻に薄く広い唇、実物は写真以上に美しい。それが素直な感想だった。
背は低く小柄だが、マスターが持つような強い人間特有の風格が肌を通して感じられる。
次いで、桜花空狐の後ろから従者然として入室してくる少女に目を向ける。
清華学園警備員の証である腕章を付け、スラックスを穿き、赤茶色の髪をポニーテールに結わっている、凛々しい顔つきの少女――
桜花空狐専属のボディーガード、
犬童家は桜花家の発祥当時からその護衛を担ってきた由緒ある家柄らしい。資料によれば空狐と弥生は幼い頃から一緒に育った姉妹同然の間柄ということだ。
「…………」
なるほど。確かに護衛ということだけはある。纏う雰囲気や息遣い、一つ一つの挙動から相当な実力が窺える。こちらに気づかれないように、ボクの息遣いや指先の僅かな動きまで注視している。
「いいところで来てくれたわね。ちょうど貴女を呼ぼうとしていたところなのよ」
「それはよかった。話の腰を折らずに済んだようでなによりです」
木嶋先生の言葉に応える桜花空狐の声は、よく通る澄んだ響きを持っていた。
「それで先生、こちらの彼女が噂の特待……」
桜花空狐はボクと目が合うと、驚いたように目を小さく見開き、言いかけていた言葉を止めた。
「あ……あの……?」
なにか自分に不自然な所があったのではないかと不安になる。その瞳の前では嘘など簡単に見破られてしまいそうな、マスターの目と似た凄味があったからだ。
不安になりながら声をかけるが返事はない。ただ、桜花空狐はボクから目を離さず、ボクもまた彼女から目を離せなかった。
「……空狐様? いかがなされました?」
固まっている自分の主人に犬童が耳打ちする。
「……キレイだね」
呟くようにそうこぼした桜花空狐は後ろの犬童を見た。
「空狐様……?」
「弥生、そうは思わないかい? あんな試験に受かるくらいだから、どれだけ眼鏡のレンズが厚い子が来るのかと思っていたけれど、彼女、裸眼だ。それに、とっても美人じゃないか」
「……左様でございますね」
犬童はまた悪い癖が始まったとでも言いたげに唇の端を軽く上げた。
「ね? キミもよくそう言われるんじゃないかい? 聞いたところによると帰国子女らしいね。無理には聞かないけど、問題がなければ答えてほしいんだが、向こうには何人くらいのボーイフレンドがいたのかな?」
「はい……?」
こちらへ向き直った桜花空狐は瞳に好奇心をありありと浮かばせて、真っ直ぐにボクを見つめてきた。予想外な方向から話を振られたことや、想定していた人物と大分違う空狐の反応に咄嗟に言葉が詰まってしまう。
「どうなんだい?」
ボクをどんな人間か見定めようとしているような瞳で、下から上目遣いに顔を覗き込まれる。
桜花の一人娘であり次期当主である空狐は滅多に表舞台にでてこない。
情報が殆ど出回っていない中、桜花空狐という人物についてボクなりに情報を集め、ある程度どのような人物像か予想を立てていたが、全く見当違いであったことを今理解する。
だが、ボクもここで呑まれるわけにはいかないと、気を取り直し、マスターの教えを思い出す。
潜入や偽りの身分を使うときの極意は演じようとするのではなく、下手に作ろうとしないこと。極力自然体でいることが至極なのである。演じれば必ず無理がでる。と――
だからボクはゆっくり息を吸って気を落ち着かせ、家でマスターやリンと接しているような自然な気持ちになって口を開いた。
「ふふっ、秘密です」
含みを持った笑みを浮かべ、片目を閉じながら右手の人差し指を自身の口に当てた。
「……おや?」
ボクの反応が意外だったのか、空狐はキョトンとした顔をすると、一拍置いて「キミは冗談が通じるんだね」といったような、面白いものを見つけた悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「小慣れた反応だね。同性なのに思わずドキリとしてしまったよ。もしかしてキミは、そんな一途そうな清純な見た目とは裏腹に、人に言えないほどに恋多き人なのかな?
「ふふっ……」
マスターと似ているようでいて全く違う空狐の反応が面白くて思わず笑いがこぼれる。
「おや? いい笑顔だね。花が咲いたみたいだ」
そう問う空狐の声色は、怒ったものでも、からかうようなものでもない、純粋に楽しんでいるような響きを持っている。
「失礼しました……。貴女の反応がおかしかったもので、つい、張っていた肩の力が抜けてしまったのです」
「それはよかった。キミの緊張を解くのも私が頼まれていたことの一つだからね。よかったらそのお礼に、質問の答えを教えてくれないかい?」
「申し訳ありません。実は、私も恋愛なんてしたことがないのです。背伸びしたい年頃ですから、つい思わせぶりなことをしてしまいました」
「本当かな? キミみたいな素敵な女性に、恋人がいたことがないだなんて、中々に信じ難いことだ。もしそれが本当だというのなら、紳士の国の紳士たちの口でもってしても、キミの知性は誤魔化せなかったということかな?」
「それはどうか分かりませんが、どれだけ口が上手くとも、顔の造形が良かろうとも、知性があるお方であろうとも、私は
ボクの返答に空狐は納得するように頷いた。
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