第四話「桜花空狐」

「ふぅん……キミは一途なんだね。素敵だ」


 感心している様子の空狐に、主導権はこちらが握らねばと口を開く。


「……先程から私のことばかりおからかいになられていますが、貴女のほうが私などよりよほど素敵ですよ?」


「おやおや、反撃かな? そんなことを言われたら顔が熱くなってしまうじゃないか」


 空狐は微笑を浮かべた涼しげな顔で心にもないことを言う。


「実は来日する前、主人の好意で大英博物館に寄らせていただいたのですが、私はそこで、言葉にできないほど美しい肖像画に心を奪われたのです。しかし、その絵にはタイトルはあっても、モデルになった方の名は記されていなかったのです。今でもその肖像画のモデルになった女性が気になって仕方なく、できる限りの手を尽くして探したのですが、残念ながらモデルになった女性は見つかりませんでした……」


「ふぅん、それで?」


 空狐は興が乗ってきたというように続きを促す。


「今はっきりわかりました。あの絵画のモデルは貴女だったのですね」


 ウソであるしそんな絵は存在しない。これはボクと空狐の二人の間に交わされた戯言、冗談だ。空狐も分かったうえでボクの言葉を楽しげに聞いている。


「まさか……私は自分でも知らぬうちにモデルになっていたのか……。ちなみになんという画題だったのかな?」


「主人たる乙女」


「ふむ……キミが見たその肖像画は美しかったかな?」


「ええ掛け値なしに素晴らしいものでした。数ある名画の中でも、群を抜いて美しく素晴らしいものでした。一度見たら二度と忘れられないほどに」


「そんなにかい?」


「はい……。ですが……今日、実物を見て考えが変わりました。酷なことを言うようですが……あの作者は三流です。何故なら、貴女の魅力を、十分の一すら表現できていなかったのですから」


 伏し目になっていかにも残酷な宣言を告げるように力なく首を振る。


「ふふっ」

「ははっ」


 どちらともなく笑いがこぼれる。


「ふふっ。思っていたような人とは全然違った。面白いねキミは」


「ありがとうございます。私も久しぶりに楽しい会話をした気がします」


「空狐様」


 主人をたしなめるように犬童が声をかける。


「分かってるよ弥生。自己紹介が遅れてしまったね。私は桜花空狐おうかくうこだ。木嶋先生からキミのエスコートを頼まれたんだ。後ろに控えているのは、私の護衛ボディーガードでありキミと私のクラスメートでもある犬童弥生いんどうやよいだ」


「犬童弥生です」


 犬童はその場から動かず目礼する。


「見てのとおり、弥生は仕事に忠実過ぎてね、融通が効きにくいのが玉に瑕なんだ。キミのことを嫌っているわけじゃないんだ。ただキミが安全な人物か確かめるまではこんなんだから、あんまり怖がらないであげてくれ」


 ボクはここで初めて目の前にいる変わったお嬢様が桜花空狐だと知ったことになる。


「ん……? どうしたのかな?」


「おっ、桜花家の次期御当主様でしたか……っ。数々の放言、大変失礼致しました。英国より参りましたエリナ・バートリー伯爵が従者、姫草ユリコと申します。桜花様にエスコートしていただけるとは大変恐れ多いことですが……」


 ボクが戦々恐々とした態度にうって変わると、楽し気にしていた空狐の表情が一瞬で曇った。


「いや……そういうのはいいよ」


 頭を下げるとやんわりと止められる。笑顔は浮かべてはいるが、その口調も語気も、先程とは打って変わって、隠しきれない落胆の色を帯びていた。


「はい……?」


「キミの立場も分かるけど、清華ここに来たのなら、キミも私も一介の生徒だ。同い年だし、クラスだって一緒なんだ。必要以上にへりくだる必要はないよ。私はキミの主人じゃないんだ」


「ですが……」


 潜入上のボクの身分はバートリー家の一使用人だ。いくら同じ学生同士とはいえ、一介の使用人が桜花家の御息女と対等に接することなどありえないし、あってはならない。


 いくら彼女自身がそう望もうとも、周りの目のことも考えるとできるだけ控えたい。ほぼ確実に周囲からいらぬ反感を持たれることになる。任務上なるべく波風は立たせたくない。


「必要なら私から一筆バートリー卿にその旨を送ろう。とにかく、キミと私は今日からクラスメートだ、必要以上に礼を尽くす必要はない。いいかい?」


 その言葉からは強い意志が見て取れる。

 これ以上断ると空狐の不興と、それ以上の落胆を買うであろうから得策ではない。


「はい。わかりました。これからよろしくお願いいたします。桜花様、犬童様」


「様はいらない。さんでいいよ」

「私も様は不要です」


「……分かりました、よろしくお願い足します桜花さん、犬童さん」


「よろしくお願いします、姫草さん」


「……私としては畏まったキミよりも、さっきまでの気安いキミのほうが良かったんだけどね……」


 空狐は寂しさを覆い隠すように微笑を浮かべてはいるが、かげりは隠しきれていなかった。

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