第02話 七海光②

 それから俺はお風呂掃除を済ませてお湯を沸かせ、夕飯の準備を始める。


 今日の献立は、豆腐とわかめの味噌汁、特製肉野菜炒め、納豆という簡単なものだ。


 料理も凝り始めてみるとなかなか楽しいのだが、毎日続けるにはモチベーションが続かない。


 炊事をサボらず続けるコツは、こうして手抜きできるメニューを自分の中で作っておくことだ。


「ただいまー」


 19時過ぎ、父親が帰宅。


「おかえり。お風呂沸いてるけど、ご飯ももうできるよ」


「おぉ、いつもありがとな。じゃあ先に飯もらうか」


 父、七海 雪也ななみ ゆきやはそう言って自室へスーツを着替えに行く。


 それから男二人での晩飯。


 炊きたてのご飯をお椀によそって、コップに麦茶を注いでから料理をテーブルに並べる。


 そして父と二人で着席して、手を合わせて「いただきます」。


 この部屋にはテレビも無いから、食器や箸がカチャカチャとぶつかる音と蛍光灯がジーと鳴る中、モクモクと食事を進める。


 俺だけ先に食べていてもいいのだが、なんとなく家族での食事の時間は大事にしたいという思いから、父の帰りを待って食べるようにしている。


 だからこれが七海家の毎日の晩飯スタイルだ。


「光、最近学校はどうだ?」


「うん、楽しいよ。友達も結構いるし、特に不安なことはないかな」


「おお、そうか。お前は昔っから人懐っこくて友達多かったからな。心配してないけど、それ聞いて安心したよ」


「勉強のほうも順調。でも志望校まではまだまだ届かないから、頑張るよ」


「……そうか。父さんのことは気にしなくていいから、お前の選ぶ道を応援するぞ。今なにか必要なものはあるか?」


「うん、ありがとう。二年生になったら新しい問題集欲しいかもなぁ。まぁ必要になったらそのときにまた言うわ」


「あぁ、遠慮せずに何でも言ってくれよ」


 中学生や高校生になると親に対して反抗期を迎える子供も多いらしいが、俺の場合は父親に対してそんな時期は全く無かったと思う。


 そうしてちょっとした親子の会話を交えながら食事を終え、二人で「ごちそうさま」。


 今日は父が食器を洗ってくれるということで、階段を登って自室に戻る。


 ちょっとだけ落ち着いたら、その後は夜の勉強タイム。


 そうしてキリのいいところまで勉強した後は、筋肉系Toutuberの動画を見ながら少しだけ筋トレ。


 家でできそうなメニューを探して、数セットだけ簡単に取り組んでいる。


 今日は肩のメニューをこなし、お風呂に入る前に、明日は燃えるゴミの日なのでその準備としてゴミ箱のゴミを集めようと——


 ——したそのとき、先ほど捨てたラブレターが目に入った。




 ◆◇




 俺は小学校四年生以来、この家で父親と二人暮らししている。


 原因は、母親の不倫による離婚。


 まぁそんなのはどこでも聞くようなありふれた話だし、今どき高校生で片親なんてのも珍しくないだろう。


 ただ、ほんのちょっとだけ普通とは異なることがあるとしたら。


 俺の両親は高校生で出会って、それはまるでラブコメのような恋をしていたらしい、ということ。


 交際するまでに色んなドラマがあり、校内でも有名なカップルで、多くの人に祝福されていたんだとか。


 そして二人は同じ大学へ進学し、卒業後に二人が就職すると同時に結婚。


 数年後に俺を産んで、幸せな家庭を築き、順風満帆な結婚生活を送っていた。


 ……はずだったが、結果はご覧の通り。


 学生時代からお互いどれだけ好き合っていても、時間さえ経ってしまえば女はそれを忘れて、簡単に男を裏切る生き物なんだと俺は学んだ。そしてそれは逆も然りなのだろう。


 それが例え、ラブコメのような恋であっても。


 俺の母親は身を以てそれを証明してくれただけだ。


 『好き』という感情だけで付き合うような高校生の恋愛は、あんな末路を迎えるだけの意味ないものなんだと。


 そんな学びもあって、俺は政略結婚だとか金だとかで付き合うような恋愛の方がまだ信用できるとさえ思っている。


 だから俺は、予定がない放課後や夜の時間は自己研鑽に努めるようにしているのだ。


 大卒資格は生涯収入に大きく関わるし、会社選びの幅が広がるという観点から見てもマストなので、学業は決して疎かにしない。特に有名大学に進学することができれば、そのネームバリューは様々な場面で活きることになるだろう。


 そのために俺は通学に電車で1時間以上かかる進学校の常陽高校を選び、今のところ毎試験で10位以内はキープできている。


 また、家事スキルも一生使えるものだ。なので家庭環境のため家事をすることが必要というのも別にして、積極的に行うようにしている。


 そして健康であることももちろん重要。運動は必要不可欠なので、家庭事情から部活動には参加できないものの、そこは筋トレやランニングを習慣付けることでカバー。


 自分の時間を好きに使えるのは学生の間だけなんだし、ここで自分を磨いておくことで将来大きな差になるはず。


 まぁこんな金だとか力だとかって考え方は、理想しか語らないラブコメの世界では嫌われがちなものだが。


 一応俺も、過去に色々とラブコメ漫画や小説を読んでみたことはある。


 しかしそこで描かれているのは、結ばれた瞬間や結婚式をハッピーエンドとしている結末だけ。


 主人公と結ばれたヒロインたちの具体的な結婚生活や老後、それぞれの最期までを描いている作品は全くと言っていいほど無かった。


 現実には、結婚してしばらく経てば俺の母親のように不倫などに走ってしまうような人ばかりなのに。


 だから俺は、ラブコメに書かれていることは全てがくだらない茶番であることを知っている。


 当然フィクションだということは分かっているのだが、ただ単純にそう読んだとしても、色々とツッコみたくなるようなところが多過ぎると思う。


 なんの努力もしないぼっち陰キャが突然美少女に惚れられるとか、好意を伝えられてるのに断ることもせずハッキリしない優柔不断なだけの男がハーレムを築くとか、人を試すような恋愛の駆け引きが全て都合よくプラスに解釈されるとか。


 いくらフィクションとはいえ、あまりにも現実離れし過ぎていやしないだろうか。


 そして何より残念なのは、そんなラブコメを真に受けてしまうような人たちもいるということだ。


 今日もらったラブレターが、まさにそれ。


 スマホでいつでも連絡を取れる手段がある時代なのに、わざわざ下駄箱に封筒を入れるなんて不確実な手段を取るなど、どうかしている。


 当日に呼び出されても、用事があるからと断ろうにもこちらから連絡する手段がない。しかも差出人の名前も書かれてなければ後日改めて会話をすることさえも不可能だ。


 極めて非常識な行為だと思うのだが、ラブコメ世界ではこんなものが未だに常識であるかのようにまかり通っているし、それどころか推奨するような描写がされていていることもあり、本当に理解に苦しむ。


 この差出人も、そんなラブコメを参考にしてこのような行動を取ってしまったんだろうし、俺が来ないなんてことも想像すらしていなかったんだろう。もしくはただのイタズラか。


 実際、柊斗が言っていた通りちょっと話すくらいの時間なんていくらでも取れる。


 俺はクラス委員長を務めていて放課後残ったりもしているし、普通に放課後友達と遊びに行ったりすることもたまにある。父親も理解があるから家事の調整だっていくらでもできる。


 ただ俺は、くだらないラブコメを参考にしたようなこんな無礼な行いに付き合うつもりなど全くないというだけだ。


 とはいえ、学校でわざわざそんなことを口に出して言うようなことは絶対にしない。


 そんなことをすれば変な目で見られるだろうし、人間関係にも角は立つだろう。


 だから告白の呼び出しなどでもちゃんとしてさえくれれば応じるし、実際これまで何度か告白されたことはある。


 わざわざ女子と距離を取ったり嫌悪したりすることもないし、仲のいい女友達だって結構いる。


 俺は、普通の、ただただ楽しい普通の高校生活を送りたいだけ。


 そして幸いなことに、今のところは交友関係にも恵まれていて、その普通の高校生活を送れているつもりだ。


 父子家庭というこの状況が不幸だとも思っていない。


 父さんはあの女から俺を守ってくれて男手一人で俺をここまで育ててくれたし、今も俺のことをしっかり見てくれているし、将来のことだって俺のことを最優先に考えてくれているので、本当に感謝している。


 だから先ほど父親にも言った通り、俺は高校生活で不安に感じてることなど全くない。


 俺はこのまま、普通の俺を貫いて生きるだけだ。


 そんなことをぼんやり考えなら入浴タイムを終え、スキンケアをして、自室に戻ってから友人たちから来ていたメッセージに返信をしたり、つい目に入ったニュースなどを見たりしながら、眠くなるまでリラックスタイムを過ごす。


 こういった細かいメッセージのやり取りも、円滑な学校生活を送るには必要なことだ。それに俺は人とのコミュニケーションは嫌いではないし、むしろ楽しんでいる方である。


 ただ恋愛ラブコメに関してだけは、くだらなくてどうでもいいものだと思っているだけなのだ。





 ——しかし、こんな価値観を持っていた俺が。


 まさかと一生を添い遂げることになるなんて、この時は想像すらしていなかった。


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