2話

 何もかも嫌いだった幼少期のおれは、世界を終わらせるための計画を立てることにした。何事も先を見通すことが大事だと、科学者の父がよく言っていたからだ。


 まずは知識をつけるところから始めようと思った。

 すでに科学の知識はそこらの研究者よりも豊富であると自負していたが、世界を相手にするにはまだ心許ない。それに、研究に必要な場所も道具も費用も揃っていない。

 だから具体的な始動は七年後、中等教育を終えてからにしようと考えた。スクールを卒業した生徒は基本、専門的な知識を得るため大学に入学するが、おれはその四年間を利用し世界をぶっ壊す研究を進めるのだ。

 おれはやっと、この世界から解放される。



 しかし、完璧だったはずの計画に誤算があった。順調に思えていた過程に綻びが生じた。――リリと出会ってしまったのだ。

 最悪な出会いだった。リリとさえ出会わなければ、おれはもっと早く世界を滅ぼす爆弾を完成させられていたはずだ。世界破滅計画は、リリによって阻まれた。


 十一歳で、スクールの一年生だった。

 その日おれは、いつものようにものすごくイライラしていた。同級生たちの間で交わされる整合性のない会話や、教師たちによる情操教育がおれの神経を逆撫でるのだ。

 綻びの発端はスクールに入学したこと。おれが立てた世界破壊計画には、「学校に通う」なんて記述はない。

 だから、初等教育はホームスクーリングという形をとったが、極端に他人と関わろうとしないおれを心配した両親が無理矢理全日制のスクールに入学届を提出してしまったのだ。本当に余計なお世話だった。

 スクールに入学したからといって、おれの目的は変わらない。ただひたすら世界を壊すための知識をつけるために本を読んだ。

 そんな陰気なおれに話しかける奴はおらず、図らずしておれは、勉強に最適な環境を手に入れることができた。


 しかし、科学と同様、多くの物事には例外が存在する。おれなんかに構おうとする物好きがいたのだ。――それがリリだった。

 毛先がゆるくカールした色素の薄い髪と青い目を持った彼女は、スクールの有名人だった。両親の希望で初等教育を一年遅らせたという彼女は、他の生徒より明らかに落ち着いていて、見た目も可憐で、――つまり、人から好かれるために必要なものをすべて持ち合わせていた。その目立ちようから、おれですら彼女の名前は知っていた。

「あなたもこっちにおいで、楽しいよ」

 休み時間、おれが読んでいた物理学の専門書を取り上げたリリは、にっこり微笑んでそう言った。彼女の背後には不安そうにしている同級生の集団がある。そんなやつに話しかけるなよ、とでも言いたげだ。

「いやだ」

 幼いおれは冷たさを隠しもせずに言う。リリは驚いたように目を見張った。おれは構わず続ける。

「それをして、何になるっていうんだ」

 おれはリリたちが遊んでいたらしいボードゲームを指す。「えっと」と、リリが困ったように眉を下げた。

「意味がないことはしない」

 最後にそう吐き捨て、おれは、呆然としたリリから本を奪い取る。

 そして、この世のすべての人間との関わりを遮断するように、科学の世界に没入した。


 完全に嫌われたと思った。どうすれば最悪の印象を与えられるかくらいは、人と関わるのが嫌いなおれでも知っている。どうせぶっ壊す世界で誰に何と思われようが構わない。

 しかし、それは杞憂だったらしい。いや、おれは彼女に嫌われたくなかったわけではないから、杞憂というのはおかしい。ただ単純な思考による予測が外れただけのことだ。

 リリはその日以降おれに構うようになった。別に、おれが気になったわけではなく、ただ意地を張っていただけなのだろう。リリはそういう子だった。

 話しかけるわけでなくても普段からなんとなく近くにいて、じっと青い目を向けてくる。そして、ときどきぽやっとした間抜けな声で「こっちにおいで」「楽しいよ」なんて言って、彼女がやっている楽しそうでもない遊びに誘ってきた。

 無視を決め込むと、にやりと笑って「ルーカスはお子様ね」なんて年上ぶったことを言ってくる。その度におれは舌打ちした。するとリリはさらにおかしそうに笑うのだから、余計に腹が立つ。風に揺れる彼女の線の細い髪すらも自分を笑っているような気がして、理不尽にイライラした。

 おれは世界を壊さなくてはならないのに。こんなやつにかまっている暇なんてないのだ。むかついた。イライラした。じっとこっちを見てくるのがうざったいし、「ルーカス」なんて気安く呼んでくる態度も気に食わない。


 だからおれは、リリの世界を見ようと思った。

 受け入れる気になったわけではない、むしろ逆だ。――彼女の見ている世界を知って、思い切り否定してやろうと思ったのだ。

 ようは粗探しだ。リリが大事にしているものを一つずつ徹底的に、いかに価値のないものなのかを知らしめようと思った。彼女の価値観をすべて否定して、おれのいる虚無の世界まで引き摺り下ろしてやるのだ。

 おれはリリの遊びの誘いを受け入れるようになった。それをリリは、おれが好意的であると勘違いしたらしく、笑顔でおれを歓迎した。

 敵を倒すには、敵を深く知らなくてはならない。おれはリリに誘われた意味のない遊びをした。カードを並べるゲームも、走って相手を捕まえる遊戯も、本当にくだらなくて笑えてくる。

 あまりに退屈だったため、最初は頭の中で数学の問題を解いたり、昨日読んだ本について思い返したりした。

 しかし、リリは話を聞いていないことへの感知能力が高かったようで、おれは仕方なくリリのつまらない話に耳を傾けるようになった。

 周期的に相槌をうち、作為的に「聞いているよ」とアピールする。ときどき作り笑いを浮かべてやると、リリはものすごく嬉しそうにするから、罪悪感すら湧いてきた。 


 そうしているうちに、おれの心に動きがあった。

 ときどき、はっとすることがある。それは休み時間にサッカーをしているときだったり、リリの家でゲームをしているときだったり、クラスのやつらとキャンプをしていろときだったり。

 ――敵の視察のためだけに行っていたはずだったものを、純粋に楽しんでしまっていることに気づくのだ。

 リリに唆されるまま、何の抵抗もなしに彼女の提案する遊びに参加する。今までの価値がないと切り捨てていた多くのものが、おれの生活の中心に無遠慮に入り込んでくるようになる。

 しかし、おれがそれを拒むことも無意識になくなっていた。

「ルーカス」

 ぽやっとした声で名前を呼ばれる。その音の響きにイライラすることもなくなっていた。

 最悪なことになった。あまりにも不覚だった。――いつからか、おれは、この世界を悪くないと思うようになっていたのだ。


 情けない話だと思う。孤高のライオンのような態度をとっていたくせに、あっという間に絆され飼い慣らされ、ペットの猫と化したみたいに落ちぶれてしまった。入学以前の自分が知ったら侮蔑の言葉を投げつけられるに決まっている。

「ルーカス!」

 遠くでリリがおれを呼んだ。子どものおれは手元の本をたたみ、「今行く!」と叫ぶ。


 幼少期の破壊願望は、その幼さゆえのものだったのかもしれないと思うようになった。

 ろくに対人関係を築いたこともなく、本で得た知識で悟ったような気になって、狭い視野で判断を下していたのだと気が付いた。意味がないと突き放したいろんなものが案外悪くないじゃないかと思えてきた。

 おれはスクール生活をそこそこ愉快に過ごし、世界への恨みもいつの間にか薄れていた。


 ◇


 おれが再び世界を滅ぼそうと思ったのは、戦争の状況が怪しくなりはじめ、父が死に、この研究所でリリと二人で暮らすようになった後だった。

 やはりこの世界に価値はないと気づき、そこから始まる短絡的な論理は、世界を終わらせることに帰結する。


 リリと出会い、世界を終わらせる計画はいったん保留となったが、勉強自体は続けていた。

 破壊衝動を失ったおれは、将来はこの知識を使って科学者になりたい、なんて、希望の塊みたいな夢を抱くようになっていた。平和ボケしたおれが抱いた、間の抜けた夢物語だ。


 知識は豊富であったため、研究は猛スピードで進んでいった。加速度計が高速で数値を上げていくように、おれは知識を吸収し、出力していく。

 食料はもうすぐ尽きる。絶食の期間を合わせても、時間はそう長くない。早く、なんとしてでも研究を完成させなくてはならなかった。

 まるで深い海に潜るように、科学の世界に没頭する。化学構造式を頭の中で組み立てる。正しい数式を導く。過集中とも呼べるような没入感により、思考がよりいっそう研ぎ澄まされる。

 そうしているうちにふと、糸を鋏で切られたみたいに集中が途切れた。水中に潜っていたような疲労感を感じながら、おれは霞んだ目をデスク上のデジタル時計に向ける。


 深夜、といってももう朝に近い。ここでは朝も夜もないが、適切な生活習慣を保つことは生存に関わるため、一日の区切りはきちんとつけるようにしている。

 しかし、今日は切りのいいところまで進めようとしているうちに、就寝予定時刻を大幅に過ぎてしまっていた。

 そろそろ休憩しようと思ったときだった。完全に気が抜けていて、注意力が散漫だった。

 不意に――遠慮がちに、研究室の扉が開かれた。

 この地下におれ以外の者はただ一人しか存在しない。一瞬の消去法により、誰なのかわかる。

 おれは慌てて手にしていた書籍を閉じ、入り口まで走った。

「入るなって言っただろう」

「ごめんなさい、でも、電源が――」

 おれはリリを遮って言う。「だったら、ノックでもすればいいじゃないか」

「邪魔すると悪いから」

 あくまでおれを想っての行動だというリリの態度に、強くあたることもできず、おれは諦念とともにため息を吐いた。機械の作動音すらも空気を読んだように途切れ、空間は一時的に完全な無音となる。

 おれは無言のままリリの腕を引っ張って研究室を出ると、苛立ちを隠しもせず、過剰に足音を鳴らして廊下を歩いた。

「……二度とおれの邪魔をするなよ」

 おれは低い声で言う。リリは何も答えない。

「邪魔するなら」

 おれはそこで一度言葉を切って目を伏せ、数秒の逡巡の後、再び口を開く。

「ここから出ていけばいい」


 リリの言った通り、充電器は壊れていた。ワイヤレス式の充電器に繋いであったらしいロボットにはほとんど充電が残っておらず、赤いランプがまるで命の危険を知らせるようにせわしなく点滅している。

 高度な人工知能が搭載されているこのロボットだが、土台となっている部分はおれが子どものときに組み立てた少し古い型のものだった。よって、充電器が最近のものと合わない。

 おれは父の部屋のガラクタ箱の中から、唯一残っていたコード式の充電器を発見した。

 プラグを差し込むと、緑のランプが点灯する。充電が始まった合図だ。

 電源も古くなっているだろう。電池が減るスピードも速くなった。つまり、寿命が近い。

 ロボットの表面に触れると、金属らしい怜悧な温度を返してくる。しばらくそうしていると、充電の進んだ機械が僅かに温度を持ち始めた。


 その間、リリは一言も話さず、じっとおれを見つめていた。


 

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