第15話

 マコに言われるがまま、ビルの一階にある店に入っていった。


 中に入ると、右に小さなバーカウンターがあり、左のフロアにはボックス席が四つあった。ボックス席の方で女達がせわしなく開店の準備をしていた。その中には、見知った顔が多くあった。大原と賀茂は、うながされるままバーカウンターの端にすわった。


「大原さんは何のむ?」

「水でいい」

「そう。お嬢ちゃん、名前は?」

「……賀茂星江です」

「星江ちゃんはジュースがいいよね」

「……」


 賀茂はせわしない店の雰囲気に動転している様子だった。


 マコはウラで誰かと話した後、飲み物をもってすぐに戻ってきた。


「おまたせ」

「悪いな」


 大原は水、賀茂にはジンジャーエールが出された。


「ねぇ、星江ちゃん。さっきは変なのにからまれてびっくりしたよね」


 マコは賀茂の服、特に胸元を見ながら言った。賀茂の胸元はあごから垂れた精液で染みができていた。


「ああ……いえ」


「ねぇ!あった?」

 ウラに向かってマコは声をなげた。


「あった、あった」

 そう言いながら服を持った女がウラから出てきた。


「汚れちゃってるからさ、お姉さんお着替えした方がいいと思うの」


 マコの言葉に、賀茂は面食らっていた。


「そんな、初対面のひとにそこまでしていただくのは――」


 言葉の途中で、服を持った女が賀茂を強引にウラに連れて行った。


「悪いな、着替えまで用意してもらって」

「いいのよ。あの子は知り合い?」


 大原は事実を語るのにしばらく迷ったが、結局はそのままを口にした。協会に所属していること。西村組と協力関係にあること。高木誠のアタッシュケースと的場次郎の謎。その他諸々のすべてを語った。


「そう。なんだかごめんなさい。わたしが歌舞伎町をはなれなければ」


「いや、いいんだ」


 大原は水を飲んだ。


「三木の店で働いてた女が多いな」

「ええ。みんなに連絡してこの店でそのまま雇ったの。行き場のない子ばかりだから」


 マコは独り言のように語った。


「ミキとチサの件は悪いと思ってるわ。もう少し連絡がはやければ」


「ああ」


「それで、その的場次郎って人だけど名前は聞いたことないわ。写真か何かあれば、わかるかもしれないけど」


 的場の写真はスーツのジャケットに入れたままだ。


「何時から営業なんだ」

「あと一時間したら開けるよ」

「忙しい時間にかぶるだろうが、写真ならある」


「構わないよ」


 バイクにまたがり、家に急いだ。



「ほら、顔洗っちゃいな」


 賀茂は女に促されるまま、カウンター裏の水場に立たされていた。狭い水場だ。窓はない。水道から垂れる水音だけがよく聞こえる。賀茂は水音が嫌いだ。


「どうしたの」


 女が声をかけてくるが、賀茂は鎌首のような蛇口を凝視するばかりで、一向に動かなかった。それこそ、蛇に睨まれた蛙のようだった。


 そのままでいると、いつのまにか賀茂はどっと汗を吹きはじめ、体温が急降下するような感覚に襲われた。呼吸が浅く不規則になりはじめる。こんな症状に襲われるのは数年ぶりだ。


「顔色悪いけど、大丈夫?」

 賀茂は伸びてくる手を反射で弾いた。


「いや……ごめんなさい、ごめんなさい」


 賀茂は恐怖で手の主を見ることができなかった。小さな肩は雨におびえる葉のように震え、いっそう呼吸が荒くなった。


「まだ着替えてるの」

 そこでもう一人が入ってくる気配がした。


「うううううう」


 うなりながら、賀茂は割れそうな頭を抱えて異常に狭い歩幅で右往左往した。そして突如自身の首を絞めはじめた。


「ちょっと――!」



 マコの店と自宅を往復するのに、退勤時間にかぶったせいで思ったより時間がかかった。店に入ると、疲れた様子のマコがカウンターにあった。


「開店前だと、やっぱり忙しいか」


 大原の問いにマコはうなだれながら口を開いた。


「大原さん、あの子になにかしてないわよね」


 マコの目はそれだけで有無を言わさないほどすわっていた。


「なにかってなんだよ。ちょっと歌舞伎町まわったくらいしかしてないぞ」


 そう。そう言って、しばらく大原にとまっていた目は下におちていった。


「なにかあったのか」

「ええ。あの子、ちょっとおかしいわ」

「そうだろうな」


「冗談じゃないの。さっき、ウチの子が裏で着替えを手伝ってたんだけど、いきなりうなりはじめて自分で首を絞めたのよ」


「ふうん」


「それにあの子、身体中にものすごい傷があるわよ」


 傷に関しては昨日の夜、大原もみていた。昔、佐久間から聞いた話を思い出し、反芻していた。不自然な箇所の傷や、似たような傷痕、治療の跡が見られない傷痕は虐待の可能性がある。虐待を受けている子供は表情が乏しく、かと思えば急に落ち着きなく暴れ乱暴になることがあるという。


「虐待か」

「たぶん。それも、すっごいヤツ。さっきの悪ガキたちにも抵抗しなかったんでしょ。きっと家でもそういうことを強要されてたのよ」


 そう考えるのが自然だろうな。


「なぁ、押しつけがましいんだがここでアイツの面倒みてくれないか」


「……理由は」


「正直、ガキの事なんてわからないんだ。虐待されてるガキなんてもっとわからない。ここなら、年の近い同性も多い。アイツも俺といるよりいくらか楽だろ」


「……そう」


 マコはしばらく考えた後、

「毎晩星江に顔を見せに来なさい」

と言い渡した。


「ああ。わかった」


 ジャケットから写真を取り出すところで、制止された。


「星江の事もあるから、今日はここまでにしてくれる」


 店ももう開くの。マコはそう言って、都合のいい日時を大原に伝えた。


「わかった。じゃあよろしく頼む。なにかあったらここにかけてくれ」


 そう言って大原は自宅の番号を置き、席を立った。


 店を出るとき、ちょうど男が一人入ってきた。


「どうも」

「ああ」


 短く言葉を交わしてすれ違い、店を後にした。



 電話、借りてもいいかな。店に入って早々、男はそう告げた。


 はい。宮島です。大原さんが店に。ええ。やはり、協会も三木殺害を追っているというのはブラフでしょう。わかりました。ここの監視は――。わかりました。いえ、とんでもありません。はい。では、本宮さんもお気をつけて。失礼します。


 男は受話器を置いて、その場を立ち去った――。




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