第14話

 家に戻ると、時間はまだ十時を指していた。思えば、こんな時間に家にいるのは久しぶりだ。協会に属してから、休みもなく歌舞伎町を走り回った。スーツを脱いで、無地の白いティシャツに色の抜けたジーパンに着替えた。上着にA-2フライトジャケットを選んだ。


 玄関のたたきで靴を履いていると、賀茂が所在なさげにうしろに立った。


「お前もくるか」

「……はい」


 その言葉から、感情は見えなかった。


 部屋から、ヘルメットを一つと、皮のトラッカージャケットをもって賀茂に渡した。


「中は適当に着替えろよ」

「あの、私、スーツしか持ってません」

「他に、ジーパンとか、シャツとかないのか」

「はい。今着てるモノだけです」


 大原は唖然とした。持っている金もそうだが、賀茂の持ち物は異常に少ない気がする。


「お前、家を出るとき何も持たされなかったのか」

「十万円と、水時計を持たされました」

「それだけか」

「はい」


 十五の子供が親元を離れるというのに、それにしてはあまりにもぞんざいな扱いだ。


「たいした親だな」

「……親は十一年前に死にました」

「そうか」

「……はい」


 そう言うと、ジャケットだけ着替えて賀茂はたたきに戻ってきた。


「行きたいところはあるか」

「……え?」

「場所を決めていいって言ってるんだ」


 賀茂しばらく考えるようなそぶりのあと、海に行きたいといった。


 表に止めてあるバイクに賀茂を乗せ、海を目指した。


 皇居を横目に千代田区を抜け、国道を東に走っていった。都内を抜けるとすぐに埼玉を過ぎ、千葉に入った。


 海浜公園に着くと、空を突き破る勢いのビル群も、濁流のような人混みもそこにはなかった。あるのは、際限なく広がる海だけだった。


 賀茂は柵に手を乗せ、海をただ眺めていた。大原はその姿を後ろのベンチから眺めた。


 何時間か二人でそうしていると、いつしかその時間は緩みはじめ、今日の終わりをさとった。なんの合図もなしにお互い、バイクにまたがり、海を後にした。


「帰り、少し寄り道するぞ」


 信号待ちで、賀茂に声をかけた。うなづくだけの返事が視界の端にみえた。帰り道、いつもはいかない港区のスーパーによった。夕食を買うためだった。


 そこではじめて、賀茂ととりとめもない会話をした。協会の人間として見ていなかったが、よく考えればまだ高校に通っている歳だ。色々事情があるのだろうと思った。


 会計を済ませて店を出ると、釣銭が足りないことに気がついた。賀茂を店先に待たせて会計を済ませたレジに向かった。店員にそのことを告げると、仰々しくレジ点検を始めた。


 ふと店の外に目をやると、賀茂が人影のうしろをついて行くのが見えた。足りない分をコインチェッカーから抜き取り、過不足があればここに連絡してくれと言って、自宅の電話番号を残して足早に外に出た。


 外に出ると、賀茂の姿は見当たらなかった。賀茂の消えた方に足を進めると、スーパーから何軒か離れたビルの間から、金具がふれたような音がした。


「この子かわいいじゃん」

「声掛けたらついてきたんだよ」

「なかなかうまいぜ」


 三人の若い男たちに囲まれた賀茂は地べたに座り込んで男のモノをくわえていた。


「おい」


 大原が声をかけると、安っぽいビー玉みたいな目がゆっくりとこちらを向いた。


「うぉぉ。でる」


 こちらを向いたまま、奥の男がが賀茂の口の中にぶちまけた。賀茂のあごを伝って、精液が地面に落ちた。


「なにぃ。おっさんもしゃぶってほしいの。ヒャクマンはらってくれたらかしてやるよ」


 男は仲間に目配せをしながら言った。


「……暗がりでよく見えないな。その子の顔を見せてくれ」


 そう言って男たちとの距離を詰めた。視界の左端で光を反射するモノが見えた。それを認めた瞬間、大原は左の男を掌底で弾き飛ばした。


「――ッ」


 ビルとビルの間でここは非常に狭かった。掌底で弾かれた男はすぐの壁に頭を打ち付け、悶絶してしゃがみこんだ。男の右手を思いッきり踏みつけた。


「あああああ!」


 肉に阻まれたぼんやりとした骨の折れる音が聞こえた。


「なにすんだよ!てめぇ!」


 右の男がナイフを取り出した。足元から左の男が握っていたものを拾い上げた。やはりナイフだった。拾ったナイフを奥の男に投げつけた。


「――ヒッ」


 男の耳をかすめて後ろの壁に突き刺さった。


「このっ――!」


 右の男の突進をかわして足をかけた。


「うおっ」


 倒れかける男の襟をつかんでそのまま壁にたたきつけた。


「――ッッ」


 痛がる男の顔に膝を撃ち込んだ。


「なんだよ、なんだよぉ。ちょっと気持ちよくなっただけだろ。おっさんなんなんだよぉ」


 奥の男は歯をガチガチとならしながら言った。しかし、怯えている割にはまだ余裕があるようだ。まるで自分のモノだと誇示するように賀茂を自分の方に引き寄せている。


「おい」


 賀茂は口をモノからはなし、こちらを向いた。昨日みた顔がそこにあった。


「どいてろ」

「お、おい」


 男は賀茂が離れるのを制止しようとしたが、すぐにこちらに向きなおった。


「なんだ、おっさん先にこの子を買ってたのか。わ、悪いことしたよ。そ、そりゃおこるよな。へへ」


 ズボンのチャックから男性器を露出したまま、男はへこへこと頭を下げた。男性器こどもは親を見て育つとはよく言ったものだ。


「なぁ、もういいだろ。許してくれよ」


 ああ。大原はそう答えて男のうしろに刺さっているナイフを抜いて、男の男性器にあてがった。


「じょ、冗談だろ」

「ああ。コイツを切り落とす。それで許してやるよ。俺はな」


 そう言って根元から深く刃を入れた。


「――ぐぅあああああ!」


 切り取った男性器を男の口に詰め込んで壁にたたきつけた。それで男は騒がなくなった。


 さて、どうするか。目の前には男性器を切り取られた男が一人、振り返ると倒れている男二人。まぁ、さっさと逃げるしかないか。


「行くぞ」

 しゃがみこむ賀茂の手をとって引き上げた。そこで、声をなげられた。


「人のビルの裏でうるさいよ!なにやってんのさ!」


 ここで人に見つかるのはマズいな。誤魔化しがきかなくなる。


「ちょっと!」

 大原はゆっくりと後ろを振り向いた。


「あなた――大原さん」


 その声には聞き覚えがあった。向こうとこちらで明暗のさがあってよく見えない。光につつまれたその姿に目を凝らすと、そこには、長らく探していた人物の顔があった。


「お前――マコか」


 なぜここにいる。どうやってここに。あの日はなにがあった。どれから聞けばいいかわからなかった。考えていると、マコの視線に気づいた。


「これは――」

「へぇ。大原さん、やっぱり良い人だね」


 そう言いながらこちらに歩み寄ってくる。


「こいつら、ここらで悪さばっかりしてみんな困ってたの」


 男たちの顔を見ながら言った。そうして男たち見ていくと、賀茂に目をとめた。


「その子、襲われてたの?」

「……ああ」

「ふうん」


 マコは賀茂の視線に合わせるようにしゃがみこんで、

「私の店、このビルなの。少し寄っていかない?」

 と言った。その後、大原さんも、と笑顔で付けくわえた。

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