第三十話「弱音」
「な、ならどうして……?」
「なんでだろうね? 不思議と目が覚めてしまったんだ。それに……なんだか春太郎に呼ばれてる気がしてね、ここに来たんだ」
春児様はボクの正面の椅子に腰をお掛けになられた。
「どうしたんだい春太郎? 怖い夢でも見たのかい?」
春児様は心配そうにボクをご覧になり、そうおっしゃってくださった。
「はい……嫌な夢を見ました……。とっても嫌な夢を……」
これは言うまいと思っていた言葉が、ついこぼれてしまう。
「堪えきれず……泣いてしまいそうなほどの嫌な夢を……春児様と離れ離れになってしまうような夢を――」
「そうなのか……」
頷かれ、春児はお立ちになり、ボクの目の前に足をお進めになられた。
月明かりが春児様の白い肌やそのお美しいお顔を美しくてらし、艶めく黒髪は絹のように艶やかでサラサラと流れるようで、ボクは今、目の前の春児様のあまりにも神秘的なお美しさに言葉を失った。
「…………」
「春太郎……」
お優しい響きのお言葉と共に、春児様はボクを抱きしめてくださった。
「春児様……」
顔から春児様の胸の感触と、温かさ、そして鼓動が伝わる。それは、母が子を慈しむような優しさで、そして、とても温かかった――
「春太郎、それは悪い夢だよ。そう……ただの夢さ――」
「春児様……ボクはっ、ボクは怖いんです……っ。不安で、不安でしかたないんです……っ」
ボクはボクの弱さに負け、春児様の腰に両腕を回し、力強く抱き返した。
「うん……」
春児様は静かにボクを抱きしめてくださったまま、ボクの弱音を聞いてくださっている。
「どうしようもなく不安で、涙があふれてしまうのですっ……。泣いちゃいけないのに……っ、ボクは、もっと強くならなくちゃいけないのにっ……!」
「春太郎、強くならなくてもいい。弱音を吐いたっていいんだよ……」
「ですがっ……春児様……っ」
ギュッと、続きを口にしようとしたボクを遮るように、抱きしめられた腕に優しく力が込められた。
「春太郎、泣いてもいいんだよ……私が、許してあげるから――」
「春児様……春児様――っ」
ボクは春児様の腰に縋りつくように抱きついて、子共のように泣きじゃくった。この病気を宣告されてから、初めてかもしれないくらいに――
「大丈夫だよ春太郎。私はずっとお前と共にあるし、お前もまた、私とずっと共にある。たとえ離れることがあったとしても、私とお前は魂で繋がっている。終生、いや、その先までずっと一緒だ」
「春児様……」
ボクは春児様の温かな体温、柔らかな感触、そして、その言葉に、すっかり今まで自身を取り巻いていた不安や恐怖が散り消えていた。
「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世とも言う。春太郎、何度生まれ変わったとしても、お前は私のもとに来てくれるかい?」
「もちろんです春児様っ……! この春太郎、春児様に嫌だと言われない限り、どこまででも、何世でも着いて行きます!」
「ふふっ、その言葉が聞けて嬉しいよ春太郎。私は、私である限り何世だってお前が欲しい。いや……きっと私は私でなくなったとしても、春太郎を求め続けるだろう」
春児様は微笑まれるとボクの頭を撫でてくださった。
「春児様……春太郎は世界一の幸せ者でございますっ……!」
「ふふっ、私こそ、春太郎を従者にできたこと、春太郎と巡り会えたこと、望外の喜びだよ」
「春児様ぁ……っ」
「春太郎、何度でも言おう。お前は私の半身だ。絶対に、どこにも行ってはいけないよ」
「はい……っ! はい……っ!」
ボクはすっかり不安も恐怖も吹き飛んで、春児様にお礼を言って二人でお屋敷へと戻った。今度は悪夢や不安に苛まれることはなかった――
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