第二十九話「発作」
深夜・桜屋敷、春太郎の部屋――
「ぐっ……うぅぅっ――っ!」
お役目と宿題を終え、ベッドに横になって眠ろうとしていた春太郎であったが、その夜は急な激痛によって目を覚ました。
「くっ……うっぅ……」
ベッドのサイドチェストに置かれた痛み止めの頓服を口に含みコップに入った水で流し込む。
「ふぅー……ふぅー……」
少し時間が経ち、痛みがひいてきた春太郎であったが、今度は震えるほどの恐怖と不安がその身を苛んだ。
それは、風邪をひいたときや、体調の悪いときにあらわれる言いようのない不安を何十倍にも凝縮したような、不安の原液のようなもので、とても怖ろしく、今にも泣き出してしまいそうで、怖くて怖ろしく、安定剤の頓服も飲んだがただ頭がボーっとするばかりで不安は晴れず、とても眠れるような状態にはなれなかった――
――
――――
――――――
「春児様……旦那様……瀬田さん……」
怖い……。どうしようもなく不安だ。死ということへの不安、二度と春児様のお側にいられなくなってしまうという不安、死んだらどうなるのか? という不安。
諸々の言いようのない不安が一挙に押し寄せ、心や精神が押し潰されそうになっていた。
「考えるな……考えるな……考えたって無駄なんだ……語り得ないものについては沈黙するしかないんだ……死は語り得ない……考えたって無駄だ……だから考えるな……っ」
そんなことよりもどうすればこの残された時間の中で春児様のお役に立つことができるか? なにをできるか? それを考えたほうがよほど建設的だ――
「くっ……うぅッ……」
けれどダメだった。どうしようもなく怖くて涙があふれてきた。怖い、怖い、怖い。不安だ。なにが怖くてなにが不安なのかも分からない。けれども一つだけ言えるのは「一人でいたくない」それだけだった。
春児様、旦那様、瀬田さん、誰か一緒に寝てもらいたかった。一人でいることが嫌だった。けれどもそんな情けないことをお願いなどできない。
怖いから、不安だから、などというそんな情けない理由で春児様や旦那様や瀬田さんを悩ませるわけには行かない。男たるもの、不安でも怖ろしくても悲しくても、一人で受け止め、一人で解決しなければいけないんだ。
「ぐすっ……ぐすっ……」
流れる涙を寝間着の袖で拭ってベッドから降り、部屋に置かれていた
今日は満月で、雲一つない夜空に、無数の星々がきらめいている夜だった。
「多分、大丈夫だよね……」
お屋敷は防音仕様で、このガゼボから距離も離れているから、ボクがここで筝を弾いてもご就寝中の春児様や旦那様、瀬田さんのお邪魔になることはないはずだ。今はとにかく、この不安をかき消すために誤魔化すためなにかをしていたかった。
そうして筝を弾いて分袖を奏でた。特に意味はなかったが、なんとなくこの曲が頭に浮かんだ。昔から卒業式でよく用いられる「蛍の光」「仰げば尊し」「分袖」の三曲が好きだったからかもしれない。
「みーどーりーもーえいーでーはーなーはーちーかくー」
「まーなーびーのーまどーにーはーるーはーかーえるー」
「みーとーせーのーつきーひーゆーめーとーなーがれー」
「わーかーれーのーあさーはーはーやきたーりぬー」
とにかくこの不安をかき消すために、全てを忘れたかったボクは、筝を弾きながら静かに歌詞を口走って気を紛らわそうとした。そうしていると――
「やっぱり、春太郎だったか」
そのお言葉と共に、寝間着姿の春児様が姿を現された――
「はっ、春児様……いかがなされました? この筝がうるさかったですか? 起こしてしまわれましたかっ?」
心配するボクに春児様は片手を小さく挙げて制され、柔和な笑みをお受かべになられた。
「いや、うるさいどころか、こうして庭に出るまでなにも聞こえていなかったよ」
そう言って微笑む、月明かりにてらされた春児様はまるで女神のように、ボクが見ている幻、幻想ではないのかと思えるほどにお美しかった――
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