第二十六話「膝枕」

「大丈夫かい春太郎?」


「……はい。ボクは春児様のお側にいると、どんな辛いことも苦しいことも吹き飛んでしまうのです」


「そんな冗談を言ってる場合か……」


 呆れ顔をお浮かべになる春児様にボクは冗談ではありませんという意味もこめて、真っ直ぐにその瞳を見つめた。


「春児様、冗談ではありません……。本心です。ですから春児様、この春太郎を、なにがあっても遠ざけないでください……」


「そんなことをするわけないだろう……。バカ……。顔が真っ白だよ……」


 春児様はハンカチでボクの額を拭ってくださいながら心底心配してくださっている。


「それは貧血のせいですね……。発作と言っても、たかだか今のような突然の発汗と立ちくらみ程度ですので、そんなにご心配なさらないでください」


「ならいいんだが……」


 それでも春児様はボクの病気に対する疑念が消えないご様子だ。


「春太郎、横になるんだ。久しぶりに膝枕してあげよう」


「春児様……お気持ちはありがたいですが……」


「これは主人としての命令だよ」


「……かしこまりました」


 お言葉に甘えて横になり、春児様のお膝の上に頭を乗せた。


「うん、それでいいんだ。辛いときは辛いと言っておくれ春太郎。じゃなければ、私は悲しいよ……」


 春児様は悲しげな、泣いてしまいそうな表情でそうおっしゃって、ボクの髪を優しく撫でてくださった。


「はい……春児様……。これからはそういたします……」


「うん……それでこそ春太郎だ……」


 春児様に膝枕されるなんて、いったいいつ以来だろうか? 思い出せないほど昔、子共のころ以来だ。


「……懐かしいですね」


「そうだね」


 だからだろうか、昔の記憶が次々に蘇ってくる。


「春児様……覚えておられますか……? このお屋敷に引き取られた日のことを――」


「もちろんだよ。春太郎とのことは、全て覚えているよ」


「ボクは弱かった……。そんなボクを、春児様は厭うどころか、守って、励ましてくださいましたね……。時にはこうして……膝枕もしてくださいました……」


「ああ……懐かしいね……。もちろん覚えているよ。忘れるわけがないじゃないか」


「そのときにこの春太郎は、幼心に決心したんです……。従者として春児様を守れるように……春児様に頼られる存在になれるように。と。この命続く限り、春児様に身命を懸けてお仕えすると……」


「うん。その気持ちは痛いほど伝わっているよ」


 お答になりながら、優しくボクの頭を撫でてくださっている。


「春児様……ボクは、そんな存在になることができたでしょうか……? 春児様に頼っていただけるような……春児様をお守りできるような存在に……? 春児様に相応しい従者に……なれたでしょうか……?」


「ああ。もちろんなっているよ。もう、私にとって春太郎はなくてはならない存在だ。前にも言ったろう? 絶対にお前を手放さないぞ。お前以外の従者なんて考えられない。お前は私の半身だ」


 春児様はもう片方の手でボクの手を握ってくださった。


「ふふっ……。だったらとっても嬉しいです……光栄至極にございます……」


「本気で言っているからね」


「もちろんボクも本音で申し上げています」


「なら……私は、半身が消えてしまったら、どうやって生きて行けばいい?」


「春児様……?」


 春児様は小さく首を横に振られた。


「……言い方を間違えたね。私は春太郎のことを一番に想っている。春太郎は私のことを一番に想ってくれている。複雑だね。私は春太郎が幸せになってくれれば、他になにもいらないのに」


「ボクも同じです……。春児様の幸せがボクの幸せなのですから……」


 薬が効いてきて痛みが大分和らいできた。同時に副作用で眠気が起きて、意識が朦朧としてくる。


「……眠いのかい春太郎?」


「はい……薬の……副作用です……。それと……春児様のお膝が……あまりにも心地よくて……」


「……眠ってもいいよ春太郎。眠っても、私はずっとお前の側にいるから、安心して眠るんだ……」


「春児様……」


 そのお優しいお言葉に、その慈しむようにボクの髪を撫でてくださるお手に涙があふれそうになった。


 いつも寝る前が、眠りに落ちる瞬間が怖くて仕方なかった。もし眠ってしまったら、二度と目覚めないかもしれないと思ってしまうから。でも今はまったくそんなことはなかった。


「おやすみ春太郎……」


「ああ……春児様……。この手を……離さないでください……」


「もちろんだよ春太郎……」


 ボクは春児様のお優しい笑顔を見ながら、ゆっくりとまぶたを閉じた。


 言葉通り、春児様はボクが起きるまで、ずっと膝枕をして手を握ってくださっていた――

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