第二十一話「贈り物」
土曜日・昼前――
「おかえりなさいませ旦那様、春児様っ!」
本土からお戻りになられた春子様と旦那様をお迎えする。
「ただいま春太郎」
「待たせたね春太郎」
瀬田さんが運転する車から降りられたお二人のお顔を見ただけで、昨日から悩まされていた不調も不安も全て吹き飛んだ。
「旦那様っ、春児様っ、お荷物お持ちしますっ」
「重たい物は瀬田に任せるから大丈夫だよ。ありがとう春太郎」
「どうしたんだい春太郎? 尻尾を振り回して喜んでいる子犬みたいだよ。一日二日私に会えなかっただけで、そんなに寂しかったのかい?」
「はいっ! 春児様にお仕えすることがボクの生きがいですからっ!」
春児様は少しだけ目を見張られると、嬉しそうな笑みをお浮かべになられた。
「ふふっ……。春太郎は可愛いね。これは、そんな春太郎へのお土産だよ」
そうおっしゃりながら春児様はコートのポケットの中から、手のひらに乗る大きさの、正方形のラッピングされた小箱を取り出され、ボクへと差し出してくださった。
「わぁっ、ありがとうございますっ! 終生の家宝にいたします!」
「いや、まだ中を見てもないだろう? 見たとしても、そこまでしないでもいいからね」
「開けてもよろしいですかっ?」
「ああ。お父様と選んできたんだ」
「旦那様も……っ! この春太郎、世界一の幸せ者ですっ!」
喜びに震えながら丁寧に包装を解き、箱を開けると、そこには桜の花びらを模した首飾りが入っていた。
「こ、これは……」
「……そう、我が桜花家の家紋を模した首飾りだよ。春太郎、お前は私の家族。そして、私のなによりも大切な従者だ。絶対に手放さない。何処にもいかせない。誰にも渡さないよ」
そうおっしゃって春児様は優しく微笑まれた。
「春児様……旦那様っ……この春太郎、身にっ、身に余る……光栄にございます……っ」
お二人のお優しさに涙が溢れる。
「春児、つけてあげなさい」
「はい」
春児様がてずからボクに首飾りをつけてくださった。
「うん、できた。よく似合ってるよ春太郎」
「春児の言うとおりだ。よく似合ってるよ春太郎」
春児様と旦那様が微笑まれる。
「ありがとうございますっ! 春太郎、この家宝を二度と外すことなく、常に肌身離さず持ち歩く所存ですっ!」
「いやいや、せめてお風呂のときくらいは外すんだよ?」
ご帰宅された旦那様と春児様は昼食をとられたあと、桜神社で行われる会合に参加されるため、ボクを伴われ三人で桜神社へと赴いた。
この島では毎年四月に桜神社、ひいては島全体で春大祭といわれる祭りが行われる。
今日はその打ち合わせのために、常春島の経済的支配者である桜花家当主である旦那様と次期当主である春児様が、そして常春島全ての神事を司る桜神社の現宮司であり、この島の長老、ゆのはさんやころねちゃんのお祖父様である、
「春太郎は休んでいなさい」
「はい旦那様。あちらの東屋で休んでおります」
「暇じゃないかい? 別に帰ってもいいんだよ?」
「お気遣いありがとうございます春児様。ですがボクは、旦那様と春児様から一瞬でも、一センチでも離れていたくありませんので」
「ふふっ、なんだか最近の春太郎は甘えん坊だね。なら、いい子で待ってるんだよ」
「はいっ!」
桜神社本殿へと向かわれた旦那様と春児様をお見送りし、ボクは馴染みの東屋へと腰をおろし、なにをするでもなく、ただただ桜に満ちたこの桜神社の、ゆっくり時が流れている別世界のような美しい風景を眺めた。
境内や参道、そしてこの東家周辺は大小様々な桜の木で溢れており、皆満開で、風が少しでも吹けば、美しい花びらが幾百と幾千と宙を舞う。
昔からお休みを貰った日は、この東屋で読書をすることや、お屋敷のガゼボで古琴を奏でることが好きだった。
「キレイだなぁ……」
最近はただのなんでもない風景でも、見慣れた景色でも、言いようがないほど美しく見えて仕方なかった。
「自然なんぞが本当に美しいと思えるのは、死んで行こうとする者の眼にだけだ。か――」
ふと思い出した、堀辰雄の「風立ちぬ」の一節を口ずさんだ。
「風立ちぬ、いざ生きめやも――」
誤訳と言われるこの言葉だが、ボクはその誤訳の言葉のほうが今の自分にしっくりくると思った。
生きることはできない、死なねばならない。生きはしない、死のう。
ならどう死ぬか? 人は生き様と死に様だ。どう生きどう死と向かい合うか? それに限るのではないか? と――
「春太郎くんったら、黄昏れちゃってどうしたの?」
舞い散る桜の中から姿を現したのは、巫女服に身を包んだゆのはさんだった。
「ゆのはさん……? ゆのはさんこそどうしたんです? 会合には参加しなくてもいいんですか?」
「うん。お父さんとお母さんが出るから、私やころねはまだいいみたい」
ゆのはさんが上品な笑みを浮かべる。
「春太郎くんがいるって聞いてね、こうして持って来たんだ。どうぞ」
見るとゆのはさんの手には甘酒の入った紙コップが二つ握られており、一つをボクへ差し出してくれた。
「ありがとうございます」
受け取って紙コップの中を見ると、桜の花びらが一枚浮かべられていた。
「風流ですね」
「ふふっ、でしょ?」
「いただきます」
甘酒を口に含むと、濃厚な香りと舌触りの中に、甘さと塩気のちょうど良い絶妙な味が広がる。
「美味しいです。今日のはころねちゃん製ですね?」
「ふふっ、当たりだよ。よくわかったね?」
「はい。ころねちゃん製の甘酒は少しだけ塩気が強いんです。逆にゆのはさん製は塩気が薄くて、常葉様製はその中間といった味なんです」
「へぇ~そうなの? 私も初めて知ったよ」
「ボクの勝手なレビューなので、アテにはなりませんけどね」
「ううん、春太郎くんの舌は確かだからね。それにころねも、春太郎くんが気付いてくれたことを知れば、とっても喜ぶよ」
言いながら微笑むゆのはさん。
優しい笑顔、優しい声色、優しい雰囲気、昔からゆのはさんは側にいるだけで心が癒される人だった。
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