第二十話「ゆきちゃんと誠」

 クッキーは可愛らしい見た目に反して、高糖質、高脂質、高カロリーと、今のボクにとってはぴったりの食べ物だった。


「うん美味しいよ」


 ゆきちゃんところねちゃんが作ったクッキーは硬さや甘さ、火の通りがちょうどく、香ばしさの後にバターの風味が続くとても美味しいものだった。


「ほっ……ならよかったです」


「春兄さんのお墨付きならもっと安心できます……」


 そうしていると、階下からこの部屋へ向かってくるドタドタとした足音が聞こえてきた。


「誰か来るね……?」


「えっ? も、もしかしたら、父さんかも……?」



 ボクの疑問にゆきちゃんが答えた瞬間、部屋の扉が急に開かれ泉水先生が姿を現した。


「春太郎いるかっ?」



「ちょっと父さん! ノックもしないでに急になに!?」


 泉水先生の突然の登場に唖然とするボクたちと怒るゆきちゃん。


「あ、ああ、悪い。帰ってきたら母さんから春太郎が来てるって聞いたんでな」


「先生、ボクの定期検診はまだ先のはずですが……」


「あ、ああ、そうだな。ま、ついでってやつだ、ゆき、悪いが春太郎を借りてくぞ」


「えっ、う、うん……」


「あっ、おっ、お邪魔してます」


「お邪魔してるです」


「ああ、話は聞いている。勉強会らいしな。大いに結構。ゆっくりしていきなさい。さ、春太郎」


「はっ、はいっ」


 ――

 ――――

 ――――――


 泉水に連れられて春太郎が下に降りて行った。


「親父さん、ずいぶんと仕事熱心なんだな。春太郎のことをあんなに気にかけてるなんて……」


「……そ、そうなんでしょうかね?」


「泉水先生は春太郎さんが大好きですからね」


「ま、まぁそうだけど」


 子供はゆき一人だけの泉水にとって、春太郎は息子のような存在であり、たびたび「息子ができるなら春太郎がいい」と言っており、酷く酒に酔ったときには青治に「春太郎を俺にくれないか?」と迫ったことがあるほどだった。


「怒られなくてよかった……」


 ホッとする誠。


「さすがの父さんでも、理由も聞かないで私の顔を潰すようなことはしませんよ。それに、本当に勉強会をしていましたし、怒られるいわれはありませんから。でも……」


 なんだかおかしい。ゆきは自身の父の行動に、ある種の消えない疑問を抱いたのだった。


 ――

 ――――

 ――――――


「春太郎、体調はどうだ?」


 リビングに通されたボクは診察のときのように先生の対面に座った。


「はい先生。おかげさまでつつがなく過ごせております」


「体重は? 痛みは? 他に辛いことはあるか?」


「体重の減少は先生や瀬田さんのおかげもありまして、なんとか止められています。痛みはありますが、薬を飲めば耐えられないほどではないです。他には……そこまで辛いというわけではありませんが、頓服を飲んだときの眠気や、朦朧感を耐えるのが少し辛いです……」



「……そうか、眠気に関しては我慢せず横になるか寝てしまいなさい。これで余計な薬を増やして身体に負担をかけるよりはよほどいい。それに、段々と耐性がついて眠くなり辛くもなる」


「はい。分かりました」


「顔色も悪くない……脈は……うん、問題ない」


「……先生、お忙しい中、病院から来てくださったのですか?」


「ん? いやいや、そんなことはないぞ。ただ、女房から娘が男を連れてきたっていうから、どんなヤツかと思って顔を見に来てやっただけだ」


「左様ですか」


「ああそうだ。そうしたら春太郎もいるっていうからな、そんな男よりも春太郎のほうが大事だからな」


「先生……ありがとうございます……」


「なに、それじゃ俺は病院に戻るとする。春太郎、定期健診の日じゃなくても、調子が少しでも悪くなったらすぐに来るんだぞ。動けないくらい辛いなら俺が屋敷に行くからな」


「はい先生。ありがとうございます」



 先生は病院へと戻って行った。



「ただいま」


「おう、おかえり」


「おかえりです」


「春兄さん、父さんのやつ、いったいなんの用事だったんです?」


 ゆきちゃんは不審そうな表情でボクを見る。


「うん。病気についてちょっとお話してきただけだよ」


「そうですか……」


 十七時になり、勉強会もお開きとなった。



「ゆき……その……今日はありがとな」


「なんで先輩がお礼を言うんですか……。勉強を教えてもらった私が言うべきでしょう」


「なんだ……その……クッキー、とっても美味かったよ、そ、それに、お前の、笑顔も……か、可愛かったよ……じゃあな!」


 最後に恥ずかしそうにそう言って誠は走って行ってしまった。


「ふふっ、あれはてれ隠しだね」


 ゆきちゃんを見ると、ゆきちゃんの顔も真っ赤になっていた。


「ころねちゃんはボクが送っていくよ。それじゃゆきちゃん、今日はクッキーご馳走様。またね」


「お邪魔しましたです」


「え、ええ、ま、また。春兄さん、今日は本当にありがとうございました。ころねっちも」



 そう言ってボクところねちゃんは、誠の言葉の余韻に浸っているゆきちゃんの邪魔しないように帰路へ着いた。



「春太郎さん」


 帰り道、茜色に染まる桜あふれる山間部の坂道を歩いていると、ころねちゃんがボクの名前を呼んだ。


「なに? ころねちゃん?」


「先生の話はなんだったんですか?」


「うん、病気の具合はどうだって話だったよ。先生はお優しいから、ボクが先生のご自宅に居るって知って、わざわざ来てくれたみたい」


「春太郎さんの病気は、そんなに重いものなのですか?」



 ころねちゃんは足を止めて、不安そうにボクを見る――



「大丈夫だよころねちゃん」


 ボクは笑ってころねちゃんの頭を優しく撫でた。


「よく考えてごらん? 本当に酷いものだったら入院しているはずでしょ? こうして外を歩いたり、ましてや学校に通ってなんかいられない。でしょ?」


「そ、それはそうですね。私の考えすぎでした……よかったです」



 ころねちゃんは緊張が解けたように頰を緩ませた。



「ふふっ、心配してくれてありがとうころねちゃん。それじゃ帰ろうか」


「はいです」



 安心した表情を浮かべるころねちゃんに、申し訳なさと、心の痛みを感じながら帰路についた。

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