第三話「決意」

 薬を受け取って病院を出たボクは、本来ならお屋敷へ直帰するはずだったが、帰る気にもなれず、桜神社へと続く山間部への石段を歩きながら、昔とある拍子に見つけて以来、一人になりたいときに行く、無人のほこらがある場所を目指していた。


 常春島は学園や商業施設がある平野部と、温泉や段々畑や神社がある山間部の二つに分かれている。


 ここはその中間で、誰も人が来ることのない穴場だ。


 平野部と常春湾とこはるわんをはじめとする海、それに連なるたくさんの桜が見える絶景ポイントの一つだった。


 けれども、今のボクに風景を見て楽しむ余裕はない。


 周囲に誰もいないことを確認して、なにがまつってあるかもわからない祠の前にある、色褪せ苔むしているプラスチック製のベンチへと腰掛けた。


「……まさか、だよね――」


 前々から体調がおかしいのはわかっていた。時々背中やお腹に痛みが走ったり、よく体がつったりすることはあったけど、ただの胃炎の類やミネラル不足なのではないかと思って、市販の痛み止めやサプリを飲んで我慢していた。


 けれども段々と痛みが強くなって、体重も減って、痛み止めを飲んでも耐えられないほどの激痛に苛まれるようになった。そうして、旦那様の勧めもあって検査を受けることになり、今に至る。


 軽くはないだろうと思ってはいたけど、まさか、余命二ヶ月とまでは思ってもいなかった――


「そっか……」


 あらためて自身の状況を理解した。あまりにも衝撃的すぎてすぐには受け入れられなかったのかもしれない。だから、今、じわじわ死という現実が、恐怖が染み出す。



「そっか……ボク……死んじゃうのか……」



 言葉にした瞬間、ボロボロと涙がこぼれてきた。


「ボク……死んじゃうんだ……っ」


 みっともなく涙があふれて止まらない。受け止めきれない現実に抵抗するように、袖で拭っても拭っても流れてくる。


「まだ……っ! 春児様や旦那様に……っ! なにも恩返しできていないのに……っ!」


 孤児だったボクは六歳のとき旦那様に引き取っていただき、それ以来ずっとお屋敷で春児様の従者としてお仕えしてきた。


 旦那様や春児様から受けた恩は海より深く山より高い。なのに、その恩をなにも返せないままボクは死んでしまうのか――?


「こわい……っ、こわいよっ……! うっうっう……っ」


 自分が死ぬこともそうだが、ご恩を返せないことが怖い。でも結局それは自分が死ぬことが怖いということへの言い訳なんじゃないか? 自分があと二ヶ月後には死んでしまうなんて想像もできない。と、そんな、言葉にできない色々な想いがあふれて、思考の堂々巡りに陥って、涙が止めどなくあふれる。



「うっうう……はぁっ……はぁっ……っ」


 泣いて、泣いて、時間がわからなくなるほど泣いて、やっと涙が止まる。


「ボクは死ぬ……。絶対助からない……。甘い希望を抱いても仕方がない……。なら――」


 涙を拭って前を向く。


「人は死ぬんだ……遅かれ早かれ……。だったら、どうやって死ぬか……なにをして死ぬか……。なら……ボクは……最初から決まってる……っ」


 この病気を隠し通し、この命尽きるまで春児様にお仕えする。


 出会ったときからこのお方に全てをお捧げすると心に誓った。


 春児様にご奉仕する。それがこのボク、添木春太郎の全てだ。


「できるなら……春児様の初恋を実らせてさしあげたい……。それに……誠なら……」


 春児様は隠しておられるが、誠のことが好きなのだ――


「差し出がましいお節介だ……。ボクのわがままだ……っ。けどっ」


 それができたら、思い残すことはないと思えるような気がした。


 今のところ誠に恋人がいたことはない。

誠はまだ恋というものがよくわかってらしく、春児様のことを友達としか見ていない。


 誠のことが好きな人は学園内外にたくさんいるし、特に身近なライバルも多い。


 ゆのはさんに、泉水先生の娘である一年のゆきちゃんも誠のことが好きなのだ。


「最終的に……誠が誰を選ぶのか……誰も選ばないのか、違う人を選ぶのかわからないけど……」


 たとえ実らなかったとしても、誠が他の女性を選んだとしても、ボクの命が先に尽きてしまうことになったとしても、命尽きるその時まで、ボクは自分にできる全力を尽くす。そう決意した。


「決めたら迷わない……。覚悟を決めろ……っ!」


 両頬をパンと叩く。


「よしっ――!」


 腰を上げて、お屋敷ではなく、桜神社へと足を進めた。

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