4
環兄ちゃんとの電話を切ってすぐ、駅前まで走っていってタクシーに乗り込んでルカの家に向かった。
道中、正直腹が立ってた。
タクシーの中で「何なんだよ、あいつ」と思わず口から愚痴がこぼれたのは、一度や二度じゃなかった。
ルカの家の前に着いたのは二十三時五十分。
そこからたっぷり五分くらい、門の所にいる警備の奴にボディチェックをされた。
いつもより念入りだった。
まあそれは、当然と言えば当然。
突然こんな時間に来たんだから不審に思うのも無理はない。
ふたりいた警備員のうちのひとりが無線で何か言ってた。
家の中にいる誰かに連絡を取ってるらしい。
無線から聞こえてくる相手の声は、ルカではない女の声だった。
連絡もしないで来たから、もしかしたら中に入れてもらえねえかもってちょっと諦めが入ってたけど、すんなりと許可が出た。
まあそれも、当然と言えば当然。
この家にいる奴らはきっと、言うまでもなく俺が来た理由を分かってる。
家に入ると暗かった。
玄関も廊下も電気が点いてない。
人の気配もしなくて、家自体が眠ってる感じだった。
確かに無線で受け答えした人間がいるはずなのに。
見張りのような迎えもなかった。
こっちに向かってんのかもしれねえけど、時間がないから待つ事はしなかった。
暗い廊下を躊躇わずに進めたのは通い慣れたお陰。
足早にルカの部屋に向かった。
庭に面した廊下まで出ると明るかった。
庭にある外灯が廊下や建物をほんのりと照らしてた。
でも静かだった。
鹿威しの音がだだっ広い庭に響く。
日中にはない寂しさがそこにあった。
大股で廊下を進んで、ルカの部屋の前まで行って、何も言わずに障子を開けた。
開ける力が強くなったのは、腹立ちの所為だった。
文句を言ってやろうって思ってた。
けど、その思いは一瞬にして消えた。
視界に入ってきたものに言葉を失った。
何故か見てはいけないものを見てしまった気持ちになった。
障子を開けてすぐの部屋にルカはいなかった。
もちろんルカ以外の誰もいなかった。
いつもルカが勉強してるデカい座卓の上には、二人前はありそうな豪勢な食事が置いてあった。
でもどれも殆ど手が付けられてない。
そしてテーブルの中央にはホールケーキがある。
その、生クリームの苺が乗ったホールケーキにはロウソクが立てられていて、火を吹き消した後があった。
ただ、ケーキも殆ど食べられてない。
つーか、生クリームをひと口舐めた程度。
電気が消された部屋の中のその光景を目の当たりにして、酷い脱力感に襲われた。
環兄ちゃんが言ってた事を思い出した。
今日はルカの誕生日なんだって事。
帰国してきてた兄貴は、もうまた海外に行ったんだって事。
毎年ルカは家族の誰にも、誕生日を当日に祝ってもらえないんだって事。
いや、祝ってもらえないっていうのは語弊があるか。
プレゼントは貰ってるんだ。
庭の外灯から射し込む光で、部屋の隅に積み上げられたプレゼントの箱の山が見えた。
但し、どれも開けられてなかった。
自然と溜息が出た。
薄暗い部屋の中には、ルカが誕生日を喜んだり楽しんだりした形跡が一切ない。
なのに雰囲気だけは誕生会然としてるから、余計に虚しさがある。
こういう経験が一度もないから分からない。
誕生日にひとりぼっちってどんな気持ちになるもんなのか。
俺には一度も――。
「ルカ!」
口が勝手に動いてた。
眠ってるであろうルカを起こすには充分の声量だった。
開くであろう、向かって右側にある襖に目を向けた。
――けど。
「静かにしろ! 見つかるぞ! 食われたいのか!」
意味不明な言葉を発しながらルカが出てきたのは、左側にある襖からだった。
「食われ……?」
言いたい事は色々あったのに、驚きから出たのは間の抜けた声での言葉。
せめて予想してた場所から出てきててくれりゃ、「お前の方がうるせえよ」くらいは言えたかもしれない。
若しくは、せめてルカの格好が普通だったなら。
襖を開けたルカは迷彩服を着てた。
迷彩柄の服じゃない。迷彩服だ。
軍人が出てくる映画なんかで見る、ウッドランドのMARPAT調の迷彩服を着て、ご丁寧にキャップまで被ってやがった。
しかも、何故か手にはサバイバルナイフ。
こいつ、何してやがった。
「こっちへ来い! 早く!」
早口で捲し立てられて、何が何だか分からないながらも、一応ルカに近付いた。
さっきまで以上の脱力感に襲われてたから近付くスピードが遅かった所為で、「早くしろ! 死にたいのか!」と怒鳴られた。
言い返す気力を奪われたのは、ルカが遊び半分で言ってる訳じゃないからだった。
鬼気迫る表情を見る限り、こいつはマジだ。
あと数歩って所まで行くと、腕を引っ張って隣の部屋に入れられた。
そうやって強制的に押し込まれた部屋は、
広い部屋の中央に革張りのカウチソファがひとつ。
そのソファは壁にある、壁一面を使ってるほどのでっかいスクリーンに向かって置かれてる。
スクリーンの対面にある壁側には、いくつかの機材。
プロジェクターとかスピーカーなんかが置かれてるんだろうけど、部屋の電気が消されてる所為ではっきりとは見えない。
はっきり見えるのはスクリーンに映し出されてる、一時停止されてる映像。
ゾンビが思いっきり、生きてる人間を引き千切って食らってやがった。
誕生日にひとりでゾンビ映画。
憐れんでいいのかすら分からない。
どう対応すべきか悩んでる俺を尻目に、襖を閉めたルカはさっさとカウチソファに歩いていって座った。
そうしてすぐさま一時停止を解除。
途端に部屋は、スピーカーから聞こえてくる悲鳴に包まれた。
「……おい」
無視されるだろうと思いながらの呼び掛けは、予想通り完全に無視された。
近付いていっても全くこっちを見ない。
ルカの視線はブレる事なくスクリーンに向けられてる。
話をするには、映像をもう一度一時停止する必要がある。
とりあえず隣に座ろうとソファの前に回り込んだら、ルカの隣にヘッドホンが置いてあった。
どうやら俺が来るまでは、ヘッドホンを着けてゾンビ映画を見てたらしい。
それを今は外してるって事は、つまり一緒にゾンビ映画を観ようって事なんだろう。
ルカの場合は「観よう」ってよりも「観せてやる」って感じなんだろうが。
有難迷惑って言葉が頭を過ぎった。
隣に座ってもルカはこっちを見なかった。
ランランと目を輝かせてスクリーンを見てる。
釣られてスクリーンに目を向けたら、人間が大量のゾンビに襲われてるシーンだった。
「……なあ、おい」
ダメ元で呼び掛けてみたら、「しっ!」と言われた。
「ルカ」
懲りずに呼び掛けてみたけど、やっぱり「しっ!」と言われた。
もう一度呼び掛けてみようとしたタイミングで、突然「死ねえええ!」と叫ばれたからソファからずり落ちそうになった。
叫んだルカは持ってたナイフを振り回しやがった。
エアで何かを刺してやがる。
スクリーンの中では、男が同じような動きでゾンビの頭をナイフで何度も刺していた。
ルカは完全にあっちの世界にいる。
戻ってくる様子はない。
だけどこのまま一緒にゾンビ映画を観る気分じゃないから、ルカの動きが止まるまで待って、また「おい」と言ってみた。
もうルカは「しっ!」も言わなかった。
最早、聞こえてんのかすら疑問だ。
「おい」
「…………」
「おいって」
「…………」
「聞こえてんだろ?」
「…………」
「なあ」
「…………」
「ルカ」
「…………」
「お前さ」
「…………」
「誕生日だったんだろ」
核心を突いた事を言っても返事はなかった。
けど、動きはあった。
それまで真っ直ぐスクリーンを見ていたルカが、徐に手を伸ばしてリモコンのような物を掴んでボタンを押した。
途端にスピーカーから聞こえてきてた悲鳴が止まって、部屋の中が酷く静かになった。
「うるさいぞ、ハチ公」
怪訝な顔をしてようやくこっちを見たルカは、唇をひん曲げて文句を言ってくる。
可愛げ皆無のその表情に、一瞬話をする気が失せたけど、さっき見た光景を思い出したから、このまま何も言わずに済ませる事は出来なくなった。
言うだけ無駄だとしても、一応は言っておく。
「誕生日だって事、何で言わなかったんだよ」
「…………」
「一言言やいいだろうが」
「…………」
「兄貴がまた海外に行った事もそうだ」
「…………」
「普段余計な事ばっか言うくせに、何でそういう事は言わねえんだよ」
「…………」
「誕生日なのにひとりだから一緒に過ごしてくれって、可愛い事言えねえのかよ」
「…………」
「それとも何か? こうやってひとりでゾンビの映画観てんのがいいってのか?」
「…………」
「違うだろ。そんな訳ねえよな。一言お前が俺に言ってりゃよかったんじゃ――」
「気にするな」
「――あん?」
「気にしなくていい」
「はあ?」
「ハチ公が後ろめたく思ってるのは分かった。だから気にするなと言ってるんだ、バカ犬」
「は!? お前、何言って――」
「ひとりには慣れてる」
言い返そうとした言葉を、ルカの表情を見て呑み込んだ。
確かに、ひとりでいるのは平気だって表情だった。
けど、どういう訳かその表情の中に、微かに「我慢」が見えた気がした。
常に好き勝手な事ばっかり言う、我儘三昧のルカが、物分かりのいい事を言ったからかもしれない。
それに、ルカの言った事が全くの的外れでもなかったから、言い返す事に躊躇いがあった。
ライブに行くのは仕事終わりでもよかったんだ。
ここを五時に出てもライブには間に合った。
ライブ前に友達と飯を食ったりしたいからって理由だけで、早く帰らせろって言ったから後ろめたい。
夕方まで一緒にいたら、誕生日だって知る事が出来たかもしれない。
そもそも、もっとちゃんとルカの話を聞いてたら、気付けたに違いない。
――ライブが終わってから、ここに来るのか?
いつもとはちょっと違ったルカのその発言に、きっちり向き合おうとしてたら――。
そんな後ろめたさを、腹立ちで誤魔化そうとした。
ルカが悪いって責めて、自分が仕出かした事をなかった事にしようとした。
それをこいつは分かってる。
人の気持ちなんて微塵も理解出来ないような奴なのに、俺の気持ちをきっちりと理解してやがる。
もう文句を言う事も言い返す事も出来ない。
「ライブは楽しかったか?」
能面みたいに無表情でルカは聞いてきた。
何故だか少し胸が苦しくなった。
「楽しかったに決まってんだろ」
「飛び散った血を浴びたか?」
「は?」
「本物の骸骨の飾りとかあったか?」
「あん?」
「まさか本物の死体があったのか!?」
「…………」
「だとしたら、あたしも一度は行ってみたい。デス――」
「メタルのライブじゃねえよ」
「――何!?」
「俺、デスメタルのライブだって一言でも言ったか? 言ってねえだろ、バカ野郎。パンクだ、パンク。パンクロックのライブだよ」
「パンク? 知らないな。新しい音楽ジャンルか」
「新しくねえよ。昔からあんだよ。つーか、逆に何でデスメタルは知ってんだって不思議で仕方ねえよ」
「映画の続きを観るから静かにするように」
「俺の話、流してんじゃねえよ」
「今からいい所だから息をするのも遠慮して欲しいくらいだ」
「死ぬじゃねえか、大バカ野郎」
なんて俺の言葉は完全に無視で、一時停止が解除された。
またしても、ゾンビの呻き声と人間の悲鳴が部屋に充満した。
何が楽しくてこんなもんを観なきゃなんねえんだ。
しかもこんな大画面で。
スクリーンでは、人間対ゾンビの戦いが激しくなってきた。
迷彩服を着た軍人らしき男が出てきた時、ルカが少し身を乗り出した。
軍人らしき男は、束になって襲ってくるゾンビにマシンガンを撃ちまくり、弾が切れると今度はナイフで果敢に挑んでいく。
その動きに合わせて、ルカもナイフを振り回す。
人には静かにしろって言うくせに、ルカ本人は時折奇声を発する。
映画の鑑賞方法すら普通の奴とは違うんだ、こいつは。
「なあ、何で誕生日に家族と過ごさないんだ?」
映画を真剣に観る気にはならないから、うるさいと言われるか、無視されるかのどっちかだろうと思いながらも聞いてみた。
けど。
「仕事が忙しくて帰りが遅い」
意外にも返事があった。
視線はスクリーンに向けられたままだけど、答える気にはなったらしい。
どういう風の吹き回しか知らねえけど。
「仕事ねえ」
「仕事だ」
「二番目の兄貴がまた海外に行ったのも仕事か?」
「仕事だ」
「ずっと思ってたんだけど、お前ってあの兄貴の事好きじゃなかったりするのか?」
「どうしてそう思う」
「態度がそんな感じだからだよ」
「別に嫌いじゃない」
「でも、好きじゃない?」
「難しいところだ」
「何が難しい?」
「兄は自分勝手な人間だから」
「前も言ってたけど、どういうとこが自分勝手なんだよ?」
「毎年、今くらいの時期になると帰ってきて、散々あたしを連れ回した挙句、さっさと海外に戻る。自分勝手だろう」
「連れ回されるのが気に入らねえのか?」
「違う」
「だったら何が――」
「兄はお前と一緒だ、ハチ公」
そう言われてすぐは意味が分からなかった。
俺のどこが自分勝手なんだよ――と、文句を言い掛けたくらいだ。
けど、スクリーンを真っ直ぐ見つめるルカの横顔を見たら、何が言いたいのか理解出来た。
俺とあの兄貴の共通点は、ひとつしかない。
「あの兄貴、毎年お前の誕生日前に海外に戻るのか?」
一応確認の為にした質問に、ルカは黙って頷いた。
だから、やっぱり俺の考えが正しかったって分かった。
あの兄貴は、ルカの誕生日の前には仕事で海外に戻らなきゃならないって後ろめたさから、こっちに帰ってきてる間ずっとルカを連れ回す。
ルカはそれが気に入らない。
きっと、そんな事をするなら仮令一時間でもいいから、誕生日を一緒に過ごして欲しいと思ってるんだろう。
兄貴がルカを連れ回すのは兄貴のエゴだ。
ルカの為ってよりも、自分の後ろめたさを解消する為。
俺がさっきルカに逆ギレしたのと同じだ。
この考えは、
ルカがいくら捻くれたガキだとしたって、誕生日にひとりってのは寂しいに決まってる。
そう思うから、しくじった感が消えてくれない。
ルカに対してそこまで親身になる必要はないって思ってんのに。
「家庭教師もいつも通りの時間に帰ったのかよ?」
問いにルカは「帰った」と素っ気なくではあるけど答えた。
まだ会話を続けるつもりはあるらしい。
「家庭教師に誕生日を一緒に祝おうとか言われなかったのか?」
「言う訳がない」
「そっか」
「…………」
「ルカ」
「何だ」
「誕生日おめでとう。――って、もう零時過ぎちまったけど」
「過ぎてなかった」
「うん?」
「ハチ公がここに来た時はまだ零時を過ぎていなかった」
ルカがどういうつもりでその言葉を言ったのかは分からない。
ただ真実のみを伝えただけなのかもしれない。
けど、それが俺の中のしくじった感を拭ったのは確かだった。
間に合ってよかったと素直に思えた。
少なくとも数分か数十秒、ルカは誕生日の夜にひとりじゃなかった。
「ルカ」
「何だ」
「この映画が終わったら、向こうの部屋にある飯食おうぜ。腹減った」
「分かった」
「ケーキもな」
「分かった」
「ロウソクに火点けてやるから吹き消せよ?」
「それはもうやった」
「ひとりでか?」
「幽霊や妖怪というものがいるなら、もしかしたらひとりじゃなかったかもしれない」
「いねえから、ひとりでって事だな」
「いないとは言い切れない」
「分かった。んじゃ、目に見える生き物はいたか?」
「いなかった」
「だったらもう一回、ロウソクの火を吹き消せ。あれはひとりでやるもんじゃねえんだよ。ひとりでやるのは間違ったやり方だ」
「知らなかった」
「お前は知らない事が多そうだからな。――それとな、ルカ」
「何だ」
「ナイフを振り回すんじゃねえ。危ないだろ」
「危なくない」
「危ないんだよ。大体、何でそんなナイフを持って映画を――って、おい! 軍人みたいな奴死んだぞ! 主人公じゃねえのかよ!?」
「主人公は高校生男子だ」
「え!? だったらお前何で迷彩服着てんの!? 主人公になりきってんじゃねえの!?」
「戦闘能力が高い格好をしてる」
「え!? お前、何言ってんの!?」
「いつゾンビが来ても対応出来るようにしているんだ、バカめ」
そう言ったルカは、「ゾンビが襲ってきても助けてやらないぞ」と偉そうに続けた。
もう突っ込む気力はなかった。
それからゾンビ映画を最後まで観て、飯とケーキを食った。
火の点いたロウソクを、ルカはちゃんと吹き消した。
食べ終わってからはまた映画鑑賞。
結局、朝までホラー映画祭りに付き合う羽目になった。
正直ホラー映画は好きじゃない。
だけど、帰ろうとは思わなかった。
せめてルカが眠るまでは傍にいてやらなきゃって、意味不明な使命感に駆られてた。
いや、違う。
今度はしくじらないようにって、細心の注意を払ってたのかもしれねえ。
とにかくルカが眠るまでは、寂しいと感じさせないでおこうと思った。
第四話 完
狂犬前奏曲 ユウ @wildbeast_yuu
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