サツキが言ってた事を思い返す度に、反論の余地はないとつくづく思う。



 多分俺は、友達が多い方だ。



 セックスする相手もそれなりにいる。



 友達にしろ、セフレにしろ、一緒にいる時間は楽しい。



 はっきり言って、楽しい時間しかない。



 自分の過去を軽く振り返ってみても、友達とかセフレと喧嘩だの言い合いだのをした記憶はない。



 結局サツキが言いたかったのは、そういう部分なんだろうと思う。



 一線引いて他人と付き合ってるっていうか、気ままに付き合ってるっていうか。



 面倒な事が起きそうになると暫く距離を置くようにして回避してきた。



 意識してか無意識かはその時々によるけど。



 俺が今、仕事をしてる事を知ってる人間は何人かいる。



 でも詳しい内容を知ってるのは、環兄ちゃんとサツキだけ。



 それ以外の友達やセフレに、わざわざ言う気にはならなかった。



 仕事の内容が内容だからな所為もあるけど、言おうと思う概念が最初からなかったと思う。



 人間関係の形成がそんな感じの俺が、ルカ相手だとそうはいかない。



 一緒にいるだけでイライラする事は多々あるし、張り倒してやろうかと思う事もしばしばあるし、自分を見失いそうになるほど振り回されるのは日常茶飯事になりつつあるし。



 それでも一緒にいなきゃいけない。



 関わりが深くなんのも当然だ。



 仮令まだ深い関係を築いてなかったとしても、いつかはそうならざるを得ない相手なのは確かだ。



 いくら嫌だと思っても、仕事を続けていく限りは、どうしようもない。



 ただその点を、ルカがどう思ってるのかは現時点では全く分からないし、今後もどうしたって分からないだろう。



 っていうより、分かりたくもない。



 畳の上に寝転んだ格好で、チラリとルカを盗み見したら、さっきと同じしかめっ面で勉強を続行してた。



 今日のルカは機嫌が悪いらしい。



 眉間の皺がブサイクだ。



 その原因と関わりがあるのかどうかは知らないが、今日は兄貴が来てない。



 次男が帰国してから今日で二週間弱。



 毎日毎日ルカの部屋に来ては矢鱈と喋り掛けて勉強の邪魔をしてただけに、兄貴がいない部屋は静かだ。



 兄貴が帰ってくるまでは、これが普通だったのに。



「おい、ルカ」


「どうした、ハチ公」


 こっちも見ないで返事をして、何のつもりか「ワンワン」と本格的な犬の鳴き真似をしやがった。



 俺がならず者だったなら、裏拳の一発でもお見舞いするところだ。



 華麗にスルーっていう高度なスキルを習得してる俺に感謝しろ。



「今日はお前の兄貴、来ねえのか?」


 犬の鳴き真似に無反応をかまして聞いた途端、ルカの眉がピクリと動いた。



 しかめっ面は相変わらずだけど、眉間の皺が少し増えた。



 あんまり触れて欲しくない部分だったらしい。



「兄に何か用でもあるのか」


 感情が読み取れない、つっけんどんな言い方をしたルカは睨むように横目でこっちを見た。



 理由はさっぱり分からないが、質問に気分を害したらしい。



 シャーペンを持つ手は完全に止まってる。



「用はねえよ」


「だったら、どうして兄の事を聞く?」


「毎日来てたのに今日は来てねえから、来んのか疑問に思っただけだ」


「夕方に来るらしい。食事に行こうと誘われた」


「あっ、そ」


「兄とは余り関わるな。あれは自分勝手な人間だから関わると痛い目に遭う」


 驚いた。



 開いた口が塞がらないっつーのは、こういう事なんだろう。



 まず、「お前が言うな!」と思った。



 次に、「そもそもお前に自分勝手っていう概念があったのか!?」と思った。



 最後に、「人の振り見て我が振り直せ!」と教訓的な事も思った。



 けど、どれも口にする事は出来なかった。



 余りに呆気に取られ過ぎて。



 人間ってのはびっくりしすぎると言葉を失うらしい。



 唖然と愕然が入り混じった俺を横目で見てたルカは、「分かったな」と言わんばかりに「ふんっ」と鼻を鳴らしてノートに視線を戻した。



 一ミリたりとも自分の事は自分勝手な人間だとは思ってないって態度。



 言った事の不条理さを恐ろしく理解してない。



 俺にしてみりゃルカよりまだ兄貴の方が、話が通じそうな分だけマシな人間に見えるっつーのに。



「今日は三時半に帰っていい」


 しかめっ面のままこっちを見ないでルカはそう付け足した。



 兄貴が部屋に来なくても、約束があると早く帰らせてもらえるらしい。



 そりゃ有り難い。



 願ってもない事だ。



 けどまあ、暇は持て余す。



 あんまりサツキに迷惑掛ける訳にもいかないから、帰りに何人かの友達に電話して遊ぶ約束をした。



 結局集まったのは、仕事してない奴らだけだった。



 そうなんのも無理はない。



 俺らが集まって遊ぶとなると、明け方までどんちゃん騒ぎだから、翌日仕事がある奴らは仮令来たくても諦めるしかない。



 集まった友達と夜通しクラブで大騒ぎした。



 翌日は一睡もしないまま風呂にだけ入ってルカの家に行って、勉強中のルカの近くで爆睡し続けた。



 兄貴はまた来なかった。



 爆睡してる間に来た形跡もなかった。



 けど、また夕方になったら迎えに来るとかで、早めに帰らせてもらえた。



 ルカの家を出てすぐに、友達から連絡があった。



 これって誰もがそうなのか、俺たちだけがそうなのか、友達と久々に会った後は連続で遊びの誘いが来るようになる。



 そしてそういう流れは、意外と長く続いたりする。



 生活のリズムが一変した。



 夜は徹夜で友達と遊びまくった。



 カラオケ、ビリヤード、麻雀、クラブ。



 仕事してから自然と離れてた「遊び」をしまくってた。



 当然、昼間はルカの部屋で爆睡。



 けど、誰に文句を言われる事もない。



 ルカはとにかく「犬」が近くにいりゃそれでいい訳だし。



 現に、昼間爆睡し続ける俺を不思議に思ったらしいルカに、「どこかの機関に何かの薬を使われでもしたのか?」と聞かれた時、友達と徹夜で遊んでたんだって答えたら、「つまらん」と言われた。



 まあもちろん、ルカが言ってる意味を理解するまでに時間と労力は掛かったんだけども。



 家庭教師の平野が訳してくれたお陰で分かったんだけども。



 要約すると、「最近寝てばかりいるけど何かあったのか」って事が言いたかったらしい。



 それが脳内でどういう風に変換されて、「どこかの機関に何かの薬を使われでもしたのか?」って言葉になったのかは永遠の謎だが。



 更に言えば、「つまらん」って事は、どこかの機関に何かの薬を使われてればよかったのにって事だから、めちゃくちゃな事を言われてるって事でもあるんだが。



 その点については、ルカ相手に何を言ったところで無駄だ。



 とにかくそんな感じで、俺が夜通し遊んでる事を、ルカは何にも思ってなかった。



 毎日決まった時間に家にさえ来てれば、他で何をしてようが感心も興味もないらしい。



 干渉されんのは真っ平ご免だし、有り難いとしか言いようがない。



 毎夜友達と遊ぶ事で、仕事が今までよりも楽になった。



 爆睡して、起きれば帰る時間ってのが続いてる。



 ルカの兄貴が夕方になるとルカを迎えに来るから、その前に帰れるお陰だ。



 寝る為だけにルカの家に行ってるって言っても過言じゃない日々を過ごしてた。



 思わぬ事態が起きたのは、そんな生活が十日ほど続いた頃。



 始まりは、



「お前が行きたいって言ってた明日のライブのチケット取れたぞ」


 友達の嬉しい報告だった。



 発売直後に完売する、俺の好きなインディーズバンドのライブチケットが手に入ったと聞いた時には、飛び跳ねる勢いで喜んだ。



 そのあと酒を飲み過ぎて記憶がぶっ飛んだくらいテンションが上がりまくった。



 翌日の週明けの仕事は当然二日酔い。



「今度こそ、どこかの機関に何かの薬を使われたのか?」


 部屋に入るなり、ルカに嬉しそうにそんな質問をされたほど酷い二日酔いだった。



 それでも気分は良かった。



 ライブのチケットが手に入ったんだから。



「ただの二日酔いだ」


 答えるのも面倒だったけど、言わなきゃ延々くだらない事を言われる気がしたから、気怠さを全面に出して言ったら、ルカは「くだらん」と言いやがった。



 見るからに顔色の悪い相手を捕まえて、「くだらん」ってのはどういう了見だ。



 二日酔いに効く薬でも持ってきやがれって感じだ。



 けどまあ、ルカにそんな気遣いが出来る訳もなく、元々期待もしていない。



 だから黙って床に寝転がって、早々に眠る事にした。



 ただその前に一応聞いておく事がある。



 聞くまでもなく、今日も早い時間に帰れる事は分かってるけど、一応確認はしておくべきだと思った。



 相手がルカなだけに。



 こいつは意表を突く行動に出るから、「まさか」って事がある。



「なあ、ルカ。今日も早く帰っていいんだよな?」


 既に閉じてた目を開けるのも面倒だったから、閉じたままで聞いてみた。



 予想ではすぐに肯定的な返事がくると思ってた。



 だけど意外にも、返事は質問でされた。



「何か予定があるのか?」


 やっぱりコイツは俺が思う通りの事はしない。



 言動がいちいち予想外だ。



「ある」


「何がある?」


「ライブに行く」


「誰の?」


「言っても知らねえマイナーなバンドだよ」


「知らないようなマイナーなバンドのライブにどうして行く?」


「お前が知らないだけで俺は知ってんだよ。中々手に入らねえチケットが手に入ったんだ。死んでも行く」


「死ねば行けない」


「比喩だろうが。――で? 早く帰ってもいいのかよ」


「構わない」


「だろうな」


 鼻で笑って返事をして、熟睡体勢に入った。



 頭がガンガンするし胸やけは酷いしで最悪の状態だった。



 だからだと思う。



 だからだと思いたい。



 ルカとの会話が成立してたっていう異変に気付かなかった理由を。



 そして、



「ライブが終わってから、ここに来るのか?」


 眠りに就く間際に聞こえた問いの意図を知ろうとしなかった理由を。



 俺はとにかく頭が痛くて、今にも吐きそうな気分だったから、「んな訳ねえだろ」って答えて眠りに落ちた。



 昼を随分過ぎてから目を覚ました時は、もうすっかり気分がよくなってたけど、眠る前のルカとの会話を思い出す事はなかった。



 気持ちは既にライブの事でいっぱいだった。



 起きて三十分もしない間にルカの家を出た。



 帰る俺を座ったまま見送ってたルカが、どんな表情してたのか知らない。



 家庭教師の平野がどんな表情してたのかも知らない。



 何も知らないまま一旦家に帰って、服を着替えてライブハウスに向かった。



 開場前に友達と飯を食ったりして時間を潰した。



 開演一時間前にライブハウスに入って、前の方の場所を確保。



 ライブが始まる時間が近付くにつれて興奮が増していった。



 結論から言うと、ライブは最高だった。



 二時間があっという間の出来事のようだった。



 興奮して叫びまくった所為で、ライブが終わった後は声が嗄れてたくらいだ。



 あんな最高のライブはもう二度と味わえないと思う。



 一緒に行った友達も大興奮で、ライブが終わった後もダーツバーでライブの話で盛り上がった。



 時間も忘れるくらい盛り上がって、気持ちよく酔っ払ってた。



 ライブには行ってなかった友達もダーツバーに集まってきて、気付けばいつもと同じ飲み会状態になってた。



 楽しかった。



 人生最良の日じゃねえかってマジで思ってたくらいだ。



 ライブと酒のお陰でずっと夢見心地だった。



 そんな俺を現実に引き戻したのは、環兄ちゃんからの電話だった。



 着信音に気付いて携帯を見てみたら、時間は二十三時半前だった。



 こんな時間に珍しいなと不思議に思いながら、騒がしいバーの外に出て通話ボタンを押した直後、『或斗、悪い』って唐突に謝られた。



 謝られるような事は何もないのに。



『そっちに行く予定だったんだけど、まだ仕事が終わらなくて、間に合わない』


 続けられた言葉にぶったまげた。



 こっちに来るつもりがあった事すら知らなかった。



 つーか、何で環兄ちゃんがこっちに来るつもりだったのかが分かんねえ。



 今集まってる俺の友達の中に、環兄ちゃんの顔見知りはひとりもいないのに、何しに来るつもりだったんだって話だ。



「こっちに来るつもりだったって、環兄ちゃんが?」


 だからすっ呆けた声が出るのも当然。



 酔って夢でも見てんのかとマジで思った。



『そうだよ。ちゃんと行く予定ではいたんだ。けど、今の時期仕事が忙しくてな。今日もいつ終わるか分からないんだよ』


「え? でも何で?」


『何が?』


「いや、環兄ちゃんが来てくれんのはそりゃ嬉しいけど、来るつもりしてたって全然知らなくて、何しに来るつもりだったのかなって……」


『何しにって何だ?』


「いや、別に嫌だって訳じゃないよ? けど、環兄ちゃんって俺の友達と飲むようなタイプじゃないのに何でかなって」


『……友達?』


「え? うん」


『待て、或斗。お前今、どこにいる?』


「は?」


『瑠花さんと一緒じゃないのか?』


 問い掛けてきた環兄ちゃんの声色は、恐ろしく低くかった。

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