俺の予想は正しかった。



 ルカの部屋に乱入してきた男はルカの兄貴で、成宮家の次男だった。



 それが分かったのは、兄貴が乱入してきた翌日。



 家庭教師の平野が教えてくれた。



 事実を確認するのに一晩掛かった理由は、兄貴が乱入してきたその日の夜、環兄ちゃんに聞こうと思ってメッセージをしたのに返信がなかったから。



 どうやら環兄ちゃんは仕事が忙しいらしい。



 結局返事がきたのは三日後で、その時にはもう事実を把握してたから、質問するまでもなかった。



 一応メッセージに「仕事忙しい?」って書いてみたら、「忙しい」って書いてるだけの返信がきた。



 その後、「時間が出来たら一緒に飲みに行こうぜ」ってメッセージを打ったのに、もう返信はこなかった。



 相当忙しいみたいだ。



 環兄ちゃんの体が心配だ。



 仕事のしすぎで倒れたりしないだろうか。



 環兄ちゃんとは逆に、俺はすこぶる暇な毎日を送ってる。



 ルカの兄貴が突然登場して以来、お役御免状態になった。



 この一週間、一応仕事終わりとされてる時間よりも早く帰宅してる。



 毎日、昼過ぎくらいに「帰っていい」と言われてる。



 ルカの兄貴は噂で聞いてた通り、妹を溺愛してる。



 兄貴がいてもニコリともしない、可愛げのない妹を、そりゃもう可愛くて仕方ないって感じで構いまくる。



 毎日部屋にやって来る。



 勉強してるルカの隣に座って、何やかんやと喋り掛ける。


 

 三十分に一度か二度は「可愛い」と言う。



 俺には見えない何かがあの兄貴には見えるようだ。



 そうして散々ルカの勉強を邪魔してから、「よし! お兄ちゃんとデートに行こう!」とルカを誘う。



 それが大体、昼過ぎだ。



 無表情のルカは、兄貴の誘いを断らない。



 断わっても無駄ってのが分かってるって感じだ。



 一度、「もう少し勉強してから」とルカが言ったら、ルカが勉強をやめるまで、「まだか?」を連呼してた。



 傍から見ててもウザい兄貴だ。



 何なんだコイツは――と思ったのは一度や二度じゃない。



 ルカとは違う意味で、人として大事な何かが欠落してる奴だと思われる。



 とにかく、兄貴は毎日ルカをデートに誘って、ルカはそれについていく。



 そしてその時は必ず俺に「今日はもう帰っていい」とルカが言う。



 まあ、有り難いと言えば有り難い。



 兄妹のデートになんかついて行きたくねえし、あの変わり者の兄妹と出掛けるって、考えただけで眩暈がする。



 確実に、俺が想像も出来ないようなとんでもない事を、行く先々で繰り広げてるに違いない。



 ただ、全く引っ掛からない訳でもない。



 俺を散々犬呼ばわりして、視界に入る範囲にいないだけで奇怪な言動を繰り返し、宇宙人を探すだか捕まえるだかと言い張って豪く遠い所まで拉致して連れていくようなルカが、兄貴と出掛けるとなるとついて来なくていいって言うのは、おかしい気がしないでもない。



 ルカの兄貴に対しての反応からして、兄妹水入らずで楽しみたいって訳でもなさそうなだけに、多少の引っ掛かりは覚える。



 最初は兄貴が俺の事を疎ましがってるのかと思った。



 兄貴が俺をつれて来るな的な事をルカに言ってるのかもしれねえと。



 でもどうやらそれは違う。



 思うに兄貴は俺の事を、何とも思ってない。



 わざわざ向こうから話し掛けてくる事はないけど、こっちが挨拶したらちゃんと返してくれるし、邪険に扱ってくる事もない。



 どちらかと言えば、俺はアウトオブ眼中だ。



 あの兄貴はルカの事しか見てない。



 たまにルカが俺の方を見ると、視線に促されるように兄貴もこっちを見てくる事があるが、その目はすぐにルカに戻っていく。



 それはそれで気持ち悪い。



 溺愛度合いが非常識だ。



 妹が妹なら兄も兄。――いや、この家は仙人爺様からして非常識の塊だ。



 まあ、そのお陰でこっちは仕事が楽になってるんだから有り難い。



――んだけど。





「暇なのね」


 会社帰りのサツキは、マンションの前で待ってた俺を見るなり、呆れた笑いを口許につくった。



 そんなんじゃねえよ――と反論しようかと思ったけど、そんな強がり虚しい気がしたから、目を逸らして無言を行使。



 なんて事しても、何の意味もねえんだけど。



「あたし今日、飲みに誘われてたんだけど?」


 やれやれって感じで俺の横を通り過ぎてマンションに入っていくサツキのあとをついて行きながら、「だったら行ってくりゃいいじゃねえか」って言ったら、「はあ?」って表情で振り向かれた。



 半分冗談、半分本気。



 そんな顔してる。



 まあそうなるのも仕方ない。



「マンションの前で待ってるから早く帰ってこいってメッセージしてきた奴が言う台詞!?」


 サツキの言う事はご尤もとしか言えん。



「そんなに怒らなくてもいいだろ」


「怒ってんじゃない。呆れてんの」


「最近、しょっちゅう来るからか?」


「まあ、それもある」


「他にもあんのかよ?」


「ある。ってか、他の女は? セフレ他にも何人かいるでしょ。何でそっち行かないの」


「半分以上、水商売だから、夜はいねえの」


「残りの半分弱は?」


「そいつらよりサツキがいい」


「あたしが呆れてんのはそれ」


「あん?」


「あんた、何であたしがいいか分かってる?」


 共用廊下を歩いて部屋の前まで来てたサツキは、いまいち意図が汲み取れない質問をしながら玄関の鍵を開けた。



「サツキが可愛いから」


 そういう言葉を求めてんのかと思って言ってみても、



「違うでしょ、バカ」


 バカと言われる始末。



「セックスの相性がいいから」


シモネタで笑わせようとしてみても、



「本当に分かんないの?」


 クスリともしねえ。



 更には、玄関先でヒールを脱いで部屋に入ってリビングに鞄を置くと、顔を見ながら大きな溜息を吐かれた。



「何だよ」


「それはこっちの台詞」


「ああん?」


「理由も理解してないのにしょっちゅう来るってどうなの」


「だから、理由は――」


「本当の理由よ?」


「ほん――とのって何だよ」


「表向きの理由じゃなくてって事」


「意味分かんね」


 意味不明な事ばっか言われて不貞腐れてソファに座ったら、「やっぱり分かってないんだ」ってサツキが隣に座ってきた。



 その口許にはやっぱり呆れた笑いがある。



 小さいガキを相手にしてるみたいな、大人の余裕みたいなもんも感じる。



 サツキにガキ扱いされる事はちょいちょいあるけど、今日の感じは何かすげえ嫌だ。



「俺が来んの迷惑なんだったらそう言やいいだろ。訳の分かんねえ事言うんじゃなくてよ」


「そんな事思ってない。ってか、あんたが来んの嫌なんだったら、今日飲み会行ってるっつーの」


「本当か? 嫌な訳じゃなんだな?」


「嫌じゃない」


「じゃあ、何で訳分かんねえ事言うんだよ? 俺がここに来る本当の理由って何だよ」


「お姫様」


「ああん?」


「ルカちゃんよ、ルカちゃん」


「はあ!? サツキに会いに来んのとあいつと何の関係もねえじゃん!」


「直接的にはね。でもあんたを介して関係がある」


「あん!?」


「あんた、ルカちゃんの話、他の女にしてないでしょ。あたしにしかしてないんじゃない? だからあたしの所に来るんでしょ? ルカちゃんの話をしに」


「はあ!?」


「違うとは言わせない。最近あんた来る度に、ルカちゃんの話してるからね」


 図星――って言うほど納得した訳じゃなかった。



 けど、「そんな事ねえよ」って否定すんのは無理だった。



 実際、サツキ以外のセフレにはルカの話はしてねえし、最近サツキに会う度にルカの話をしてる。



 でも「ルカの話」っつっても愚痴ってるだけだし、ルカの話が出来るからサツキに会いに行こうなんて一回も思った事ねえ。



 それに今は、ルカの事を話題に出すのも仕方ねえと思う。



 最近のルカに対する違和感が全然拭えねえんだから。



 兄貴が帰ってきてからおかしい。



 元々おかしかったところから斜め方向におかしくなってやがる。



 心ここにあらずっつーか、何に対しても無関心になってやがるっつーか。



 とにかく、おかしい。



 だから。



「ルカの話すんのは、不可抗力っつーか、最近のあいつおかしいから、サツキに意見を聞こうと思って……」


 ルカの話になっちまうだけ。



 それ以外の理由はない。



 ある訳ない。



「お兄さんが帰ってきてからおかしいのよね?」


「そうだよ」


「何だっけ? 意味不明な事言わなくなったんだっけ?」


「そうだよ。何言ってんのか分かんねえ質問してこなくなったし、俺が離れても気にしなくなったし、散歩ん時も枝も小石も投げねえんだよ」


「しかも無表情なんだっけ?」


「無表情っつーか、ずっと同じ顔してるっつーか。微かに目が据わってやがる」


「それが気になって仕方ないのよね?」


「は? 別に気になるってほどじゃ――」


「そっか。気になるってほどじゃないけど、今までは暇じゃなかった時間が暇に感じちゃうんだね?」


「あん?」


「そういうの世間一般じゃ、すっごく気にしてるって言うのよ」


 ケラケラと楽しそうに笑ったサツキは、「あんたのそういう分かりやすいところ好きよ」と適当な感じで言った。



 ガキ扱いの次は、雑な扱いを受ける羽目になった。



 これも元を正せばルカの所為だ。



「気にしてねえよ! 別に!」


 ムキに否定したらまたガキ扱いされるから絶対にやめようと思ってたのに、勝手に口から出た言葉はまんまガキだった。



 案の定、サツキは「はいはい」って感じの表情でこっちを見てくる。



 口許に笑みまで浮かべて。



 今日はツイてねえ日なのかもしれねえ。



「あんたが気にしてないって言うならそれでいいんじゃない? 自覚してるかどうかなんて然程重要な事じゃないし」


「何だよ、その言い方。マジで気にしてねえって言ってんだろ」


「分かったって」


「俺があいつの話すんのは、あいつの事が気になるからじゃなくて、俺がすっきりしねえっつーか、何か気持ち悪いっつーか……上手く言えねえけど、糞詰まりみたいな感じで落ち着かねえから……」


「本当、上手く言えてない。選りにも選って糞詰まりって」


「しょうがねえだろ。どう言えばいいか分かんねえんだから。初めてなんだよ、こういうの」


「知ってる」


「知ってる?」


「そうよ。あんたとは付き合い長いから知ってる。こういうのが初めての経験だって事も、だからこそ戸惑ってる事も」


「サツキは何でもお見通しってか?」


「あんたの事なら分かるのよ」


 眉を上げた、得意げな表情をつくったサツキは、ソファの背凭れに深く寄り掛かると、「ビール飲みたいなあ」と独り言には思えない呟きを口にした。



 仕方ねえからキッチンに行って冷蔵庫から缶ビールを二本取り出したら、「ついでにチーズも持ってきて!」と追加注文された。



 状況からして、「俺を小間使いに使うんじゃねえよ」って冗談でも言えないだけに、サツキの言葉に嘘はない。



 確かに俺の事ならよく分かってる。



 缶ビールとチーズを持ってソファに戻ったら、「ありがと」って笑顔で言われた。



 その笑顔の中に疲れを感じ取れたのは、俺もサツキの事を分かってるからだろう。



「仕事、忙しいのか?」


 隣に座り直しながら聞いてみたら、「まあ、ちょっと色々あんのよ」と曖昧な答えが返ってきた。



「俺、邪魔か?」


「うん?」


「疲れてんのに、こうやって来てんの邪魔じゃね?」


「邪魔じゃないわよ。あんたはどっちかって言えば癒し」


「ルカの話ばっかしてても?」


「成長していくあんたを見んのが癒しなんじゃない」


 サツキはクスクスと笑って缶ビールをひと口飲むと、徐に口を開いた。



 親が子供に諭すような口調で。



「あんたは今まで、誰かと深い付き合いした事ないでしょ」


 俺の事を語る。



「あんたは友達も多いしセフレも何人もいるけど、あたしが知ってる限りじゃ親友って呼べる相手もいなきゃ本気で好きになった女もいない。意識的にか無意識にかは分かんないけど、どっかで他人と一線引いて深入りしないようにしてる。それがダメって言ってるんじゃないよ? 人によってはそういうのがいいって思う人もいるし、実際今のあんたの周りにいるのはみんなそう思ってる人間だと思うし。人ってさ、生きてく上で必要とあらば変わっていくもんなの。あんたがずっとそんな風でいたのは、他人との深い関わりが今まで必要なかったって事。ただの環境の問題。で、その環境が仕事を始めた事で変わった。仕事とはいえ、他人と深く関わる羽目になった。だから戸惑ってんのよ。初めての事ばっかで。分かんない事が多いのも当然なのよ」


 そんな事ねえよ――って否定したかった。



 でもそれは、「したい」だけで「出来る」訳じゃなかった。



 他人と一線を引いてるって、何か冷たい人間だって言われてるみたいだから否定したい。



 他人と一線引こうって思った事もないから否定したい。



 けど出来ない。



 サツキが言うように、親友って呼べるほどの友達はいないし、本気で好きになった女もいない。



 憧れの環兄ちゃんとですら、年の差の所為だとかお互いの時間が合わない所為だとかで深い関わりがある訳じゃない。



 だから無意識に他人と一線引いてんのかもって思ってしまう。



 思ってしまうっつーか、サツキに言われて納得するくらいだから、実際そうなんだろう。



――けど。



「ルカと深い関係じゃねえよ。俺なんてただの犬扱いだぞ!?」


 これだけは言える。



 胸を張って言える。



 他の誰とでも深い関係だって言われてもいいけど、あいつだけはご免こうむる。



 全力で否定させてもらう。



 ムキになった俺をサツキは洟で笑った。



 既に雲行きが怪しい。



 諭される感満載だ。



 そして案の定。



「あんたの今までの人生に於いて、あのお姫様以上に深く関わってる相手っていないでしょうに」


 得意げに言われる。



 俺の事なら何でも知ってますって感じと、あたしの言う事に間違いはないって感じを全面に出して。



「てかね、一日の大半を一緒に過ごして、深く関わってませんって有り得ないから。大きい会社に勤めてるならまだしも、狭い空間でずっとお姫様の隣にいるんでしょ。しかも殆ど毎日よ。そういえば旅行も一緒に行ってたしね」


「りょ、旅行じゃねえよ! あれは旅行じゃねえ! 宇宙人を探すとか訳分かんねえもんに付き合わされたんだ! てか、あれは拉致だ! 拉致されたんだ!」


「でも一緒に過ごしたでしょ? 夜明けを共に迎えたんだよね?」


「だからそれは、あいつに夜中連れ出された挙句に、あいつが無神経で寝ちまったから――」


「一緒にいたのは違いないじゃない。それだけ一緒にいる時間が長くて、関わりないってのはおかしいでしょ。あんた今までそんなに長い時間、他人と一緒にいた事ある? ないよね?」


「ある――とは言えないけども……」


「でしょ? それにあんたはあのお姫様の家族の事を多少は知ってるし、あのお姫様を取り巻く環境も理解してる。それって深く関わりがある証拠でしょ。あんたが知ってる情報量を以って、表面上の関係だなんて言わない。あのお姫様の変化に気付いたのだって、それだけ相手を理解してるからって事。あんたにとってあのお姫様は、今まで出会った誰よりも関わりを持ってる」


「……気に入らねえ」


「何が?」


「俺があいつと深い関係築いてるって事がだよ。そんなつもりねえし、つーかあいつと一緒にいんのは仕事上仕方なくだし、深く関わりたいって思ってねえし」


「変化に戸惑う気持ちは分かる。あたしは、そういうあんたを見んのが楽しいけどね。成長していく姿を見てると癒される」


「何だ、それ」


「あんたがお姫様の話をあたしにしか出来ないところも可愛くって仕方ないわ」


 ケラケラ笑ったサツキの見慣れた笑顔に付き合いの長さを感じた。



 笑い方はずっと変わらない。



 俺の前でだけする表情。



 だからちょっと虚しくなった。



「俺、サツキとも一線引いてるか?」


 問いにサツキは笑うのをやめて、「当たり前でしょ」と言う。



「だから何にも聞いてこないんじゃない」


 それが有り難いって感じに言葉を吐き出して、サツキはシャワーを浴びに風呂場に行った。

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