6
別荘に戻ると、何だか妙に騒々しかった。
でもその感覚は疲労感が齎す影響が大きい。
屋敷に戻った時に俺は疲弊していて、玄関先から歩く気力さえなかったんだから、赤ん坊の寝息でさえ騒がしいと思ったに違いない。
たかが数時間別荘を離れただけでこんなにも疲弊するなんて、出掛ける前の俺は微塵も予想してなかった。
――あのあと。
小洒落たカフェの片隅で、ルカが信じられないタイミングで谷林哲に挨拶を繰り出したあと、俺はもう開いた口が塞がらない状態だった。
開いた口が塞がらないっていう状態を本当に体験したのは初めてだったし、二の句が継げないっていうのもこういう事かと思う状態だった。
あの時の俺の顔を見た人は、ひと目見ただけで俺の心境を理解出来たと思う。
呆れに呆れているって事が一瞬にして理解出来ただろうと思う。
でもどういう訳かそんな状態にあるのは俺だけだった。
このとんでもない現状をどうしようかと目だけをテツに向けると、テツはニコニコ笑ってやがった。
更にその後ろに控えてる執事さえも、変わらず微笑みを浮かべてやがった。
「はい。お久しぶりです」
テツは愛想良く答えた。
バカだ。
バカすぎる。
物凄く――バカだ。
茶番劇にも思える状況で、カフェの店主が僅かに視界に入った。
店主はカウンターの中で、我関せずって感じに新聞を読んでた。
俺もそっちの世界に行きたいと強く思った。
こっちの茶番の世界にいたら、俺はどうにかなってしまいそうだ。
もう平衡感覚くらいはぶっ壊れてるかもしれない。
眩暈のようなものを感じてきた俺を尻目に、茶番劇は続けられた。
「それで今夜のお誘いは了承して頂けますか?」
意表を突くタイミングでの挨拶に全く気分を害してないって感じでそう続けたテツに対し、ルカはまた口許にほんのりと笑みをつくって頷くだけだった。
それが了承の合図となったらしい。
俺からするとルカは挨拶出来た事に満足して一切話を聞いてなくて、ただ適当に頷いてるだけに見えたが、それが了承したという意味になったらしい。
ただその適当さはテツも分かっているようだった。
それが証拠に、
「では、七時に僕の別荘にいらして下さい」
その言葉を俺に向かって吐いた。
ルカに言ってる風だったけど、目はしっかり俺を見てた。
ルカはただ頷いてるだけだった。
殴ってやりたかった。
約束を取り付けるとテツは執事を連れて帰っていった。
カフェに来たくせに珈琲のひとつも飲まないで帰っていった。
そういえば店主も注文を聞きに来たりはしなかった。
つまり店主は最初からテツを「客」だと思ってなかったって事になる。
テツの目的は端からルカを夕食に誘う事で、金持ちが多く別荘を所有するこの土地にいる店主は、雰囲気だか勘だか慣れだかでそれを察したらしい。
右往左往してたのは金持ちの作法に慣れてない俺だけ――という事になる。
テツが帰った途端に、ルカは夢から覚めたように元通りになった。
「宇宙人の情報を集めに行く!」
不気味な状態の方がよかったと思うほど張り切った声を出して立ち上がったルカは、俺が食わなかったハンバーガーを持ち帰るから包むように店主に命じて――正に「命じる」って感じの言い方だった――さっさと店を出た。
ここで注目してもらいたいのは、「命じて店を出た」って事。
これは決して内容を省略してる訳じゃない。
ルカはマジで命じるだけ命じて店を出た。
金も払わずさっさと店を出た。
結果、俺が金を払う事になった。
成宮の「お嬢様」は金を払うというシステムを知らないらしい。
この世に存在する、極当たり前のシステムを理解してないらしい。
若しくは従者が払うシステムだと思ってるらしい。
だとしたら、俺にとっては迷惑極まりないシステムだ。
パンケーキとハンバーガーでどんだけ取るんだって思うくらい、法外にも思える金額を払って店を出た。
てっきり店の外で待ってるものだと思ってたルカはいなかった。
テツがしてた話からして、ルカが別荘に来てるのは外部に漏れまくってるっていうのに、あのバカ野郎は俺が出てくるのを待たずに目的地に向かって歩き始めてやがった。
それを追い掛け追い付いて、とりあえず「ひとりで勝手に行くな」と文句を言うと、「どうしてちゃんとついて来ないんだ!」と逆ギレされた。
お前が食った分の金を払ってたからだろう――と、文句を言ってやりたかったけど、ルカに対して何を言っても無駄だからやめた。
それから随分と歩いた。
護衛って任務もある俺は、かなり神経を尖らせてた。
すれ違う人にピリピリして、通りすぎる車にピリピリして、遠くから聞こえてくる物音にピリピリしまくった。
そんな俺の気持ちを察する事のないルカは、ファイルにあった場所を次々と回った。
UFO目撃情報があった場所では近くにある店に聞き込みをして、ミステリーサークルの情報があった場所には直接出向いた。
――が、当然どれも空振りだった。
UFOを見た事があるって奴はひとりもいなかった。
ミステリーサークルはすっかり消えていた。
そりゃそうだ。
ネットの情報なんてものは殆ど当てにならない。
特にUFO目撃情報なんてのは当てにしちゃいけない。
ネットの情報を鵜呑みにしてたらしいルカの憤慨たるやなかった。
先に先にと進むにつれて分かりやすく不貞腐れてきた。
そして最終的に「足が棒だ」と言い出して、全く動かなくなってしまった。
背負うしかなかった。
ルカが自分の別荘の住所を知らなかった所為でタクシーに乗る訳にもいかず、別荘の電話番号を知らなかった所為で迎えを呼ぶ訳にもいかず、背負って帰るって以外に方法はなかった。
あとから思えばタクシーに乗って、道々曲がる場所を指示すればよかったんだけど、俺も歩き疲れてた所為で、そこまで思い付かなかった。
そうしてルカを背負って別荘に帰ってきたんだから、疲弊してるのは当然とも言える。
太腿も脹脛もパツンパツンに張ってるし、ずっと尖らせてた神経はペラペラにすり減ってる感じだった。
そういう状態だったからこそ、「あのおじさん」の言う「人員」が到着してて出掛ける時よりも確実に人数が多くなってる別荘の中を騒々しいと感じた。
人の気配とか足音とかの、どうしても出る生活音が耳についた。
でもその反面、護衛が到着したって事にかなり気持ちが楽になった。
別荘に入るとすぐに温厚そうな顔の「あのおじさん」が駆け付けてきて、
「どうされたのですか!?」
慌てた様子で聞いてきた。
それもそうだろう。
ルカが俺に背負われて、不貞腐れ顔で帰ってきたんだから、そうなるのも当然だろう。
更には俺も一見して疲れてるって表情してるだろうから、そりゃもう何かしら事件が起こったと思って然りだろう。
まあ、本当に細々とした事件が数々起こったんだけども。
とりあえず、「あのおじさん」に経緯を説明した。
谷林哲に会った事と、俺には理解出来ないうちにルカが夕飯の約束をした事も告げた。
その上で、汗を掻いたからシャワーを浴びると言って部屋に戻った。
因みにルカは玄関先に置き去りにした。
部屋に入ると何故だか荷物が増えてた。
正確には何の荷物もなかった部屋に荷物が置かれてた。
誰のだか知らない大きめのキャリーバッグが置かれてて、その上には「或斗様」って書かれた紙が置かれてた。
中を見てみたら俺の物らしき着替えがたんまり入ってた。
ただ「俺の物らしき」ではあっても、「俺の物」じゃない。
俺の家から服を持ってきたって訳じゃなく、俺の為に買い揃えた物だった。
服の量からして、一週間は余裕で滞在出来る感じだった。
洗濯する事を考えたら期間は無限だった。
そう考えると一気にげんなりした。
気を取り直してシャワーを浴びて出てくると、酷く空腹を感じた。
それもそのはず。
今は既に夕方近くになってるにも拘わらず、俺は今日まだ何も食ってない。
あのどうしようもねえバカ野郎は、宇宙人の情報収集に夢中で昼飯を食おうとしなかった。
飯を食おうと提案しても、思いっきり無視しやがった。
朝のカフェから持ち帰ったハンバーガーを食おうと思って、レンジで温める為に階下に向かった。
階段を下り切った所で、疲れに関係なく本当に騒がしい事に気が付いた。
何やら揉めてる。
リビングの方で揉めてる。
その揉め事の中心となる人物は、どっからどう聞いてもルカだった。
どうやらルカは腹が減ったと大騒ぎしてる。
何か食わせろと大騒ぎしてる。
それを「あのおじさん」が宥めてる。
「瑠花様、今暫くお待ち下さい。谷林様とのお約束がありますので」
なるほど、飯の約束があるから何も食わずに我慢しろって言いたい訳だ。
道理ではある。
あと何時間もしないうちにテツの別荘に行ってディナーとやらを食べるんだから、今から何か食うのはやめた方がいい。
約束のディナーを満腹で食べられないなんて事は、一般人の常識から考えてもあってはならない。
でもルカに常識は通じない。
それどころか、
「約束って何だ!」
約束すら成立してない。
「ですから谷林様と――」
「タニバヤシって誰だ!」
カフェでの記憶がすっぽり抜けてるとしか思えない発言をするルカに、本日何度目か分からない「呆れ」に襲われた。
もしかしてルカは俺が気付かないうちに宇宙人に攫われて、記憶を操作されたんじゃねえかと、ちょっと本気で思った。
人間失格って言葉はルカの為にあるものに違いない。
一体どんな育て方をしたら、こんな人間に育つんだろう。
今まで我儘な女と会った事はあるけど、ここまで酷いのは初めてだ。
ルカの場合「我儘」という言葉の枠の中にすら納まってない気がしないでもないが。
そんな事を考えながらリビングに顔を出すと、すぐにルカに見つかった。
怒りだか空腹を動きで表現しようとしてたらしいルカは、地団太を踏んでた。
そしてその動きのまま、
「おい、ハチ公!」
すっかり「特別捜査官」ではなくなった俺を呼んだ。
直後に、
「それは何だ!?」
俺が持ってる紙袋に気が付いた。
持ち帰りにしたハンバーガーは、カフェの名前がプリントされた紙袋に入ってる。
その紙袋を持ってる俺を見て、ルカは色々察したらしい。
カフェでの記憶がなくなってる訳ではないらしかった。
「ハンバーガーだな!」
むしろ、思いっきり覚えてやがる。
ちょうど食べようと思ってたところだ――などと、訳の分からない事を言いながらルカが近付いてくる。
その背後には見るからにオロオロとする「あのおじさん」が見える。
揉めてる声を聞いた時点から俺にはもうハンバーガーを食う気持ちはなくて、手にある存在すら忘れてた。
だからこのタイミングでハンバーガーを持って現れたのはわざとじゃない。
でも「あのおじさん」はわざとだと思ってるようだった。
俺を見てくる目が少々怨みがましい。
違う、そんなつもりは微塵もない――と、目で訴えたところで全くと言っていいほど伝わらなかった。
そうしてる間に近付いてきたルカに、持ってた紙袋を引っ手繰られた。
早速紙袋を開けたルカは、冷え切ったポテトを口に放り込んで「モソモソする」と言う。
温めるという概念がないらしい。
温めたいという概念もないらしい。
文句を言いながら次々とポテトを口に放り込んだルカは、いよいよハンバーガーを取り出すと齧り付こうとした。
これを全部食ったら、女の胃袋じゃ朝まで腹が減らない気がした。
俺が心配する事じゃないのに、テツとの約束どうすんだよ――と思ってしまった。
だから。
「待て、これは俺の――
ルカの手からハンバーガーを引っ手繰り返したら、思いっきり手を噛まれた。
間違ったとかじゃなく、食い物を取られた腹いせに思いっきり噛まれた。
「飼い主の食べ物を盗るとは何たる無礼! 何たる無礼!」
何故か同じ言葉を二度繰り返したルカは、「無礼犬!」ともう一度言葉を発して、
「半分寄越せ!」
ちょっと謙虚な事を言った。
もうこうなったら「食うな」と言う訳にはいかなかった。
食い物を見せてしまった以上、お預けは心苦しい。
仕方ないからキッチンに行って包丁で半分に切って、それを渡した。
実際は半分より少なめに渡したけど、ルカは気付いてないようだった。
「硬い」
冷え切ったベーコンを食べながら文句を言うルカが、それを食べ終わって残りの半分――実際は半分以上――を狙う前にと、俺は慌てて残りを胃の中に収めた。
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