パンケーキ――などという、返事としては訳が分からない、ほんのり殺意すら抱く、ルカの言った言葉の意味が理解出来たのは、別荘を出て二十分ほどしてからだった。



 本人に確認した訳じゃないから絶対にとは言えないが、多分俺の解釈で合ってる。



 ルカはあの時、「パンケーキを食べる」か、「パンケーキを食べたい」と思ってたんだと思われる。



 そうじゃないとしたら、今度は今現在の状況の意味が分からなくなる。



 別荘から歩いて十分ほど行った所に、小洒落たカフェがあった。



 一見してただのログハウスかと思ったのに、カフェだったから驚いた。



 外には看板もボードメニューのような物も出てない。



 どうやらここは知る人ぞ知る、別荘地のカフェらしい。



 そのカフェの、一番奥にあるテーブル席に座るルカは、パンケーキを食らってる。



 生クリームだの、アイスクリームだの、イチゴだの、ブルーベリーだのが載ったパンケーキを黙々と食らってる。



 そのルカの向かい側の席に座る俺の前には、ハンバーガーが置かれてる。



 やけにデカい。



 しかもパテの分厚さもさる事ながら、矢鱈と分厚いベーコンが飛び出てる。



 一緒に添えてあるポテトの量も半端ない。



 朝食として食う量じゃない。



 それを、頼まれた。



 勝手に、頼まれた。



 店に入ってすぐ。席に着くよりも先に、ルカは「ベリーベリーパンケーキと特性ハンバーガー」と頼んだ。



 メニューを知ってたという事は、当然何度か来た事があるんだろう。



 だとしたら、「特性ハンバーガー」とやらがデカい事も分かってたんだろう。



 分かってた上で頼みやがった。



 育ち盛りの男ですらひとりじゃ食いきれないようなデカいハンバーガーを。



 ただの一言も、「ハンバーガーが食いたい」なんて言っていない俺用に。



 朝からがっつり食べる派じゃない俺は、見てるだけで腹いっぱい状態で、ボリュームしか感じられないハンバーガーに手が出せないでいた。



 どう食えばいいのか分からないデカさだった。



 そんな俺を尻目にルカはバクバクとパンケーキを食い続ける。



 相当腹が減ってたらしい。



 見てるだけで胸やけがしてきそうなほどの食いっぷりをするルカから、目を逸らすように店内に視線を向けた。



 俺ら以外に客はいない。



 カウンターの向こうに店主がひとりいるだけ。



 推定四十歳のおっさん店主は、こっちに全く見向きもしないで珈琲豆の分類をしてる。



 そんな状態が気持ち的に楽なのは、納得はしてなくてもルカを守らなきゃならないって思ってる以外に他ない。



 プロでもないのに護衛なんて――とは思うけど、誰もいないんだから仕方ないとも思う。



 実際長男の嫁が襲われてるらしいし、成宮の人間はマジで身の危険があるんだろうと思う。



 なら、家でジッとしてろと強く思うが。



「心配ない」


「あ?」


 ルカの唐突な言葉に視線を戻すと、ルカはすっかりパンケーキを食べ終えて、アイスコーヒーをグビグビ飲んでた。



 コップの中のアイスコーヒーがストローで吸われて物凄い勢いで減っていく。



 腹が減ってた上に喉も乾いてたらしい。



 そうしてアイスコーヒーをほぼ一気に半分以上飲んだルカは、ゆっくりストローから口を離し、



「心配ない」


 もう一度繰り返した。



「心配ないって、何がだよ?」


「誰も襲ってこない」


「あ?」


「あのおじさんにあたしを護衛するように頼まれたんだろ? だから心配ないって言ってる。絶対誰も襲ってこない」


「……何で言い切れる?」


「あたしがここにいる事は、屋敷の人間しか知らないから。急に思い立って来たから誰も予期してない。屋敷の人間だって、今朝になって知った者が多い」


「だから大丈夫だってか?」


「あたしを襲おうと企んでる奴らが今こっちに向かってるとしても、それより早く護衛が着く。護衛は先にこっちに向かってるはず。もう一時間か二時間もすれば着く」


「『あのおじさん』はそうは言ってなかったぞ?」


「あのおじさんはバカだから」


「…………」


「それにここは今シーズンオフで週末でも人が少ない。別荘使う人間は殆どいない。だからそんなに気を張ってなくても変な奴がいたらすぐに分かる。心配ない」


「……襲われる事前提なんだな? 襲われないとは思ってねえんだな?」


「襲われるよ」


「あ?」


「成宮の中であたしが一番狙われてる」


「ああ?」


「っていうか――」


 出会ってから初めてのルカとの会話らしい会話は、ルカが何かを言い掛けたところで強制的に終わりを迎えざるを得なくなった。



 カフェの一番奥の席に座ってる俺達の近くにある窓は通りに面してる。



 一応窓際を避けたものの、窓は見える。



 その窓の向こうに異変が起きたから、会話の途中にも拘わらず俺とルカの視線が自然と動いた。



 まあ、「異変」と感じたのは俺だけだっただろうと思う。



 ルカにとっては然程おかしな事じゃなかったんだろう。



 それまで野良猫どころか人っ子ひとり通らなかったカフェの前の通りに、黒いロールスロイスが止まった。



 カフェの真ん前で止まったのが視界の端に見えたから、思わず視線を向けてしまった。



 しかもファントムだった。



 実物を見たのは初めてで、思わずポカンとしてしまった。



 でもまあ高級外車にポカンとしてしまったのは俺だけで、ルカはそれに驚く事はなく、俺の視線が動いたから釣られて窓の外に目を向けたって感じだった。



 見つめる先で、ロールスロイスから運転手が降り、後部座席に回る。



 運転手が後部座席のドアを開けてるらしいって事は分かるけど、向かって反対側のドアだからよくは見えない。



 そんな高級外車から一体誰が出てくるのかと興味本位で眺めてた俺の手が、何故か自然とルカを庇うようなカタチに動いてた。



 後部座席から出てきたのは、ふたりの男だった。



 ひとりは若く、ひとりは「あのおじさん」くらいの年齢だと思われる。



 外に出たふたりは、すぐにカフェに向かって歩いてくる。



 この近くに別荘を持つ金持ち――ではあるんだろう。



 ふたりとも身なりはいいし、どことなく気品っぽいものがあるような気がしないでもない。



 ルカと比べりゃ気品に溢れまくってる。



 若い方が先を歩いてる事からして、「あのおじさん」くらいの年齢の男は執事だか護衛だかと思われる。



 だからまあ、この辺りに別荘を持ってるただの金持ちであって、ルカを襲いにきた奴らではない事は間違いない。



 そう思って手を引っ込めた直後。



「瑠花さん!」


 店に入ってきた若い方の男が、入ってすぐの場所でこっちに向かって軽く手を挙げた。



――何だよ、知り合いかよ。



 それならそうと早く言えよ――と思う気持ちでルカに目を向け、



「…………」


 思わず絶句してしまった。



 ルカが憤然とした表情で俺を見てる。



 思いっきり俺を睨んでる。



 何でそんな凶悪な顔されなきゃなんねえんだと心底不思議に思うほど、これでもかってくらいに睨み付けてくる。



 それで、分かった。



 分かってしまった。



 どうしてルカの発する言葉の殆どが理解出来ないのに、表情を読む事が出来るのか自分でも不思議で仕方ない。



 でも分かってしまった。



 分かって、物凄く嫌な気持ちになった。



 嗚呼、嫌だ――と、本日二度目の感情が襲ってきた。



 俺を思いっきり睨み付けてくるこの野郎は、声を掛けてきた相手の名前を知らない。



 声を掛けてきた感じからして、相手は思いっきりルカの事を知ってるどころか、確実に何度か会った事がある風なのに、ルカは名前を知らない。



 いや、この場合は知らないっていうよりも、覚えてないんだろう。



 どっちにしろ現時点で「知らない」という事には変わりないんだが。



 そんな覚えてないだか知らないだかの男に声を掛けられて、フリーダムのみで形成されたフリーダム人間のようなこいつは困ってる。



 困ってる顔がこの凶悪さってどうなんだって思うけど、確かに困ってる。



 困ってるって事は、顔を知ってはいるんだろう。



 顔は知ってるのに名前が分からなくて俺に助けを求めてるんだろう。



 つまりは「あのおじさん」の時みたいに、「名前を知らない」と言っていい相手じゃないんだろう。



 フリーダム界にも僅かに常識ってもんがあるらしい。



 入口に背を向ける格好で座ってた俺がチラリと後ろに振り向くと、ふたりの男はこっちに歩いてきてた。



 実際は、若い方の男がこっちに来るから、年配の男がついて来てるって感じだった訳だけど。



 とにかく、手を振り返して終わるって感じじゃ全くなかった。



 ルカに視線を戻すと、顔の凶悪さが増してた。



 眼力で俺を殺す勢いだった。



 一体俺にどうしろって言うんだ。



 教えてやろうにも、初対面の奴の名前なんて分かる訳がねえ。



 この「お嬢様」は、マジで、どうしようもなく、手が焼ける。



 近付いてくる男たちの気配が、あと数歩って所まで来て仕方なく腰を上げた。



 若い男がルカに次の声を掛けるようも先に、こっちから声を掛けるしかなかった。



 突然立ち上がって振り返った俺に、ふたりの男が少し驚いたよな表情をつくり、足を止めたから助かった。



 前を歩いてた男は、近くで見ると童顔だった。



 体つきとかから考えてルカと同じ年か少し上くらいに見えるけど、もしかしたら俺より年上かもしれない。



 童顔の人間は年が分かりにくくて困る。



 年齢の推定が出来ないから、とりあえず丁寧に挨拶しておく事にした。



 女をナンパする時くらいしか使わない柔らかい笑みを浮かべて、小さく会釈をした。



 そして。



「初めまして。俺は――」


「ああ、新しい犬だね?」


 或斗です――と名乗ろうとした矢先に、またしても「犬」と言われた。



 さも当然のように。



 そこに微塵の疑問も抱いていない風に。



 ここまで来ると「犬」って言葉は何かの隠語なんじゃねえかと思ってしまう。



 成宮の人間が言うならまだしも、他人――しかも金持ち――が言うくらいだから、「犬」ってのは何かの隠語で、「犬」を持つ事は金持ちのステータスなんじゃねえかとすら思う。



 でもそれは。



「僕は、谷林たにばやしてつです。こっちは僕の執事」


 希望的観測に過ぎない。



 このテツって奴が後ろに控えてる男の事を「僕の犬」だと言えば俺の予想は当たったって事になるが、思いっきり「執事」って言っちゃったもんだから、予想はただの予想で終わった。



 「執事」が「羊」じゃない限りは動物の線もない。



 って事は、この金持ち然としてるテツもバカなんだ。



 バカの周りにはバカしか集まらないって事だ。



 でもまあとりあえず、当初の目的は達成出来た。



 この男の名前が分かった上に、自然な感じでルカに伝える事が出来た。



 何で俺がここまでしなきゃなんねえんだって気持ちは充分にあるけど、放っておく事も出来ないから仕方ない。



 やっぱり俺はサツキの言う通り、面倒見がいいらしい。



 ルカを見遣るとその顔からは凶悪さが消えていた。



 でも「いつも」の表情をしてる訳でもなかった。



 ルカは今まで見た事もない笑顔をつくってテツに頭を下げる。



 その仕草はまるで「普通の人」だった。



 非常識って言葉しか入ってない辞書を持ってるようなルカが、常識人に見えてしまった。



 ただ会釈をしたってだけなのに、とんでもなく立派な事をやったような気になるのは、ある意味いつものルカに洗脳されてる所為かもしれない。



 しかも厄介な事に俺はどういう訳か、この立派な事をやってのけたルカが気に入らなかった。



 別に俺には笑わないくせに他の奴に笑ったからって訳じゃない。



 俺にはまともに挨拶もしねえくせに、他の奴とは会釈というカタチで挨拶をしたからって訳じゃない。



 そういう次元の事が気に入らないんじゃないけど、何が気に入らないのかよく分からなかった。



 とにかく気に入らないと、何故か思ってしまった。



「久しぶりですね、瑠花さん」


 使い慣れてる感たっぷりのほがらかな笑顔をつくるテツは、俺越しにルカに挨拶をする。



 そしてルカが何か言うよりも先に俺を追い越し、今の今まで俺が座ってた席に腰を下ろした。



「いや本当に久しぶりだ。三ヶ月前のパーティー以来かな? いや、あのパーティーは四ヶ月前だったかな? とにかく久しぶりですね。お変わりなく元気そうで何よりです。僕はあのあと、風邪を引いて暫く寝込んでたんですよ。あっ、いや、今はもう大丈夫です。ご心配なく、物凄く元気です。風邪なんて滅多に引かないんですけど、ほら、あのパーティーの日はやけに寒かったでしょう。なのにガーデニングパーティーだったから。あの寒さで外はいけない。主催者側も考えるべきですよね。本当に。あれは誰が主催してたんだったかな? というか、何のパーティーだったんだろ?」


 座るや否や矢継ぎ早に話し始めたテツは、身振り手振りで話すもんだから五割増しに騒々しく思える。



 ルカはそれをほんのりと口許に笑みを浮かべた表情で見つめ、時折相槌を打つように小さく頷く。



 そして俺は、突っ立ったままだった。



 座ってた場所を取られたから座れねえって事もあるけど、テツの執事が全く座る様子もなく、数歩下がった場所で背筋を伸ばして立って待ってるから、俺だけ座る訳にもいかない。



 まあこういう場合、カタチは違っても金持ちに仕えてる者としては、後ろに控えておくのが常なんだろうとは思う。



 俺の場合、決して後ろではないけど。



 テーブルの真横に突っ立ってんだけど。



 逆にこんな場所にいるのは邪魔でしかないんじゃないかと思う場所に突っ立ったまま今更動けなくなってんだけど。



 でもまあ、



「それにしても今日は天気がいいですね。散歩日和だ。僕も今日は散策なんかをしようと思ってるんですよ」


 俺がどこにいようと、テツには関係ないらしい。



 アウトオブ眼中とでも言うべきか、全くこっちを見ないでルカに話し掛けるテツは、どこか「必死」って感じがした。



 全面にそれを出したりしてる訳じゃないけど、そんな印象を受けた。



 元々そういう話し方なだけかもしれねえけど。



 とにかく身振り手振りが大きくて、見てるだけで疲れてくる。



 ルカに目を向けると、相変わらず口許にほんのりと笑みをつくったまま小さく頷いてた。



 らしくないその態度に不気味さすら感じた。



 ただ「らしくない」っていうのがどういう意味だか自分でも分からない。



 「いつもらしくない」のか、「ルカらしくない」のか。



 どちらにしても俺は「らしくない」と思うほど、ルカと一緒にいる訳じゃないのに。



 そんな風に、俺に妙な気分を抱かせるルカが俺の視線に気付いたらしく、不意にこっちに目を向けた。



 それに気付いたテツも俺に視線を向けたらしい。



 俺はルカを見てるからテツが見えてる訳じゃないけど、向けられた視線を感じた。



 そうしてテツがルカから視線を逸らすタイミングを見計らったのか、それともただの偶然なのか、ルカが僅かに眉を顰めて俺を睨み付けた。



 今度は一体何なんだと、その表情から真意を読もうとした矢先。



「ああ、すみません。話に夢中で存在を忘れてました。さあ、座って下さい」


 テツが俺にルカの横に座るようにと手で促した。



 存在を忘れてました――などという腹の立つ言葉が混じってたけど、何とか耐えた。



 余計な言葉を吐くってのは金持ちの道理なんだろうと、無理矢理自分を納得させて耐えた。



 金持ちってのは基本的に庶民を見下してんだろう。



 その気持ちがちょいちょい言葉に表われる。



 そういう奴らなんだと思えば、耐えて耐えられないものじゃない。



 なんて自分に言い聞かせてみても、やっぱり腹立たしい気持ちをすっかり抑えられはしなくて、ルカの隣に座った態度に怒りが少々含まれてた。



 ドカッと荒々しく座った俺は、直後にテツの執事と目が合った。



 見るつもりはなかったんだが、ちょうど俺が座った場所の、視線の直線上にいたんだから仕方ない。



 執事は俺と目が合うと微笑みを浮かべて、頷くように僅かに顎を引いた。



「あれは執事だからいいんです」


 突然そんな言葉を投げ掛けられ、きょとんとしてテツに目を向けると、



「執事が座る必要はない」


 テツは説明するようにそう付け加える。



 俺が執事を見てたから、座らないのかと疑問に思ってると思ったらしい。



 特にそこまで考えてなかったが、俺がそう考えてると思って親切に説明をしてくれたらしい。



――だとしても、「あれ」ってどうなんだ。



 ルカといい、このテツって奴といい、執事を何だと思ってんだ。



 自分より遥かに年上の人を掴まえて、「あのおじさん」だの「あれ」だのとよく言えたもんだと思う。



 常識がないのか、金持ちとはそうする事が常識なのか分からないが、正直聞いてて気持ちのいいもんじゃない。



 それでも視線の先にいる執事は、「あのおじさん」のように何ら気にする様子もなく、表情ひとつ変えずに同じ姿勢で立ったまま。



 だから俺には絶対出来ない仕事だと思った。



 しかもテツの言い方からすると、「執事」より「犬」の方が扱いがいい感じだから、この場合に於いては「犬」でよかったとちょっと思った。



 チラリと隣に目を向けると、ルカはもうさっきまでの表情に戻り、テツの方を向いていた。



 それに倣ってテツに視線を向けたら、どういう訳かテツが俺を見てたから目が合った。



 テツは何故か興味津々って感じで俺を見てる。



 その中には珍しいものを見るようなものも混じってる。



 そう感じたのは気の所為じゃなかった。



「今回の犬は今までの犬とはまた少し毛色が違いますね」


 吐き出された言葉に「珍しい」って思いが十二分に含まれてた。



「あー、今までの犬と違うって事は、俺以外の犬も知って……?」


 話し掛けていいのか分からないけど、ルカが笑みを浮かべて頷くだけだから、場を繋げる為の気遣いで口を挟んだ。



 もしかしたら無視されるかもしれねえな――と思いながら話し掛けた訳だけど、



「もちろん」


テツはルカよりはいい奴らしく、分かる言葉で答えてくれた。



「なら、環兄ちゃんにも会った事が?」


「タマキ――ああ、前回の犬。会った事あるよ。あれは綺麗な犬だった。パーティー会場ではご婦人方の噂の的だった」


「パーティー? 環兄ちゃんが?」


「何? 僕、何かおかしな事言った?」


「いや、そういう訳じゃなくて、環兄ちゃんがパーティーに行くってイメージ湧かなくて……」


「イメージとかよく分からないけど、瑠花さんの犬なんだからそりゃ行くよ。瑠花さんが行く所にどこでも一緒に行くでしょ。君だって今ここにいるじゃないか」


 テツのその言葉に、「来たくて来てんじゃねえんだよ」と本音を言いたかったけど、テツがルカに目を向けたから何も言わないまま会話は終了した。



 ルカは相変わらず笑みを浮かべてる。



 もうどうしても不気味に感じて仕方ない。



 まさか高熱でもあるんじゃねえだろうかという疑いすら湧いてくる。



「それより瑠花さん、ご提案があるんです」


 ルカは笑ってる。



「了承して頂けると嬉しいんですが」


 気絶してんじゃねえかと思うくらいにずっと同じ表情のまま、テツの話を聞いてる。



「今夜は僕の別荘で一緒にディナーをしませんか?」


 ルカはずっと笑ったまま――。



「昨夜瑠花さんが別荘に向かわれたって聞いてすぐ僕も急いでこっちに来たんですよ。あのパーティー以来ずっとお会いしてなかったからお会い出来るかなと思って。出来れば食事なんかを一緒に出来たらなと思ってね」



――バレてんじゃねえか!



 何が別荘に来てる事は屋敷の人間しか知らないだ、バカ野郎!



 めちゃくちゃ外部に漏れてんじゃねえか!



 しかも昨日の時点でバレてんじゃねえか!



 更には追い掛けて来られて、護衛が着く前にこうして会ってんじゃねえか!



 知り合いだったからよかったものの、これが暴漢だったらどうするつもりだったんだ、この大バカ野郎!



 何が「心配ない」だよ!



 心配事しかねえじゃねえか!



 お前、何やってんの!?



 マジでお前何やってんの!?



 悠長にパンケーキ食いに来てる場合じゃ――。



「…………」



――少しは動じろ、この野郎!



 思わずそう叫びたくなるくらい、ルカはさっきと全く同じ表情のままだった。



 こいつ絶対テツの話を聞いてねえって思った。



 聞いてる振りして聞いてないに違いない。



 聞いてりゃもう少し何かしらのリアクションがあるに決まってる。



 俺もバレてた事に気を取られてちょっと聞き流しがちだったけど、テツは思いっきりストーカー発言をしてる訳で。



 そんな事を言われたら普通は何かしらのリアクションが起こって然りなのに、ルカは微塵の変化も示さない。



 そんなルカをテツは微笑みながら見つめてた。



 今夜のディナーの誘いの返事を待ってるんだろう。



 執事を見ると執事も微笑みながらルカを見つめてた。



 こっちも主人の誘いに対しての返事を待ってるんだろう。



 俺もルカに視線を戻した。



 ルカは同じ表情のままだった。



 全員の視線が集まってる事には気付いてるようだった。



 ルカの唇が微かに動く。



 言葉を発するつもりらしい。



 話を聞いてないのかと思ったけど、実はちゃんと聞いていたらしい。



 ルカが小さく息を吸い込んだ音が聞こえた気がした。



 そしてその息を吐き出すのと同時に、



「お久しぶりです。谷林さん」


 ここでまさかの挨拶が飛び出した。



 ルカはずっと挨拶するタイミングを計ってたんだろう。



 いつ言ってやろうかと思ってたんだろう。



 その挨拶が出来たからちょっと満足げだ。



 しかも「谷林」と名前を言えた事で、ちゃんと苗字を覚えてたってアピールが出来てちょっと得意げになってるらしく、鼻の穴が僅かに膨らんでる。



 そうか。



 そうだったんだな。



 最初に会釈してからずっと挨拶するタイミングを計ってたんだな。



 俺の奇策に助けられてテツの苗字が分かって、「よし、これならちゃんと挨拶出来るぞ」的に思って、挨拶してやろうって張り切ってたんだな。



 そうか。



 そうだったのか。



 俺、全然気付かなかったよ。



 これまでの時間、まさかずっとそんな事を考えてたなんて、微塵も気付かなかったよ。



 そうか。



 そうなんだな。



 うん。



――バ カ ヤ ロ ウ !

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