3
週休二日って話だった。
仕事に就くか決まるまでの、廊下で障子が開くのを待ってた時は、休みなく毎日行ったけど、仕事が決まれば週休二日って話だった。
仕事の時間も朝の九時から夕方五時までで、それでいて週末は休み。
そういう話だった。
環兄ちゃんからはそう聞かされてた。
なのに何だ、これは。
一体何なんだ、これは。
金曜の夜に「宇宙人を捕まえに行く」などという尋常とは思えない理由で呼び出しを食らい。
断る間もなく通話を切られ。
掛け直して断ろうとした電話には、わざと感満載に誰も出ず。
結局サツキに謝り倒して屋敷に文句を言いに行くと、門の前で待ってた屈強な男ふたりに捕まり。
その男たちに屋敷の門の前に停めてあったリムジンに乗せられ。
乗ったと同時にリムジンは走りだし。
挙句の果てに俺は今、そのリムジンの後部座席で、
「ハチ公特別捜査官」
向かい側に座ってる、紺色のパンツスーツ姿のルカに「特別捜査官」と呼ばれている。
ただ「特別捜査官」になっても「ハチ公」は変わらない。
お陰で全然特別な感じがしない。
「これは何事だ?」
思いっきりしかめっ面で問い掛けると、ルカはまるで俺の言葉が聞こえていないかように「ハチ公特別捜査官」ともう一度呼んだ。
俺の予想では、ルカは俺が返事をするまで何度も呼び掛ける気だ。
自分の用事が済むまでは、何があっても俺の質問には答えないだろう。
それが証拠に。
「何事だって聞いてんだ」
「ハチ公特別捜査官」
真っ直ぐ俺を見てるにも拘わらず、俺の言葉を無視し続ける。
「おい、こりゃ何の真似だ」
「ハチ公特別捜査官」
「一体どこに向かってんだ」
「ハチ公特別捜査官」
「お前、いい加減にしろよ?」
「ハチ公特別捜査官」
「俺の質問に答え――」
「ハチ公スペシャルエイジェンシー!」
「…………」
「ハチ公スペシャルエイジェン――」
「何だよっ!」
「今回はかなり情報が錯綜してる」
「お前が何言ってんのか分かんねえ」
「一応情報はまとめてある。あとでファイルに目を通しておくように」
「分かる言葉で喋れ、バカ野郎」
「作戦はまだ考えてない。でも案はいくつかあるから安心していい」
「話を聞け、この野郎」
「今回こそは絶対に宇宙人を捕獲しよう」
「これ、俺いらねえよな? こんだけ話聞かねえなら、俺いらねえよな?」
「よし、とりあえず今は休もう。現地に着くまでかなり時間がある」
「だから、どこに向かってんだって聞いてんだろうが」
「フリータイム」
「あ?」
「あたしは寝る。おやすみ」
「おい、コラ! 待て!」
――と言って、待つような相手じゃない。
常にフリータイムでいるルカは、言うなり座席に寝転がって目を閉じた。
そしてそのタイミングを待ってたかのように、明るかった後部座席の照明が落ちて薄暗くなった。
どうやら話を聞いてた運転手が消したらしい。
これは一体どういう事態なんだ。
勤務時間は終わってる。
つーか、もうあと一時間もしたら日付が変わって、俺は休みであるべき日になる。
なのに何が悲しくて、実物を見たのが初めてのリムジンの後部座席で、ルカの寝顔を見なきゃなんねえんだって話だ。
しかもこの野郎、速攻でマジ寝したどころか、
叩き起こそうかと思ったけどすぐにやめた。
起こしたところで話は通じないし、万が一通じたとしてもルカが俺の分かる言葉で説明する事は有り得ないから意味がない。
むしろ意味不明な言葉を並べ連ねられてイライラするか、起こした事に対して
だから後部座席と運転席の仕切りの所まで移動して、「すみません」と運転手に声を掛けた。
ルカよりまともな相手に聞くしかなかった。
呼び掛けた直後に仕切りがゆっくりと開いて、「はい」と返事が聞こえてくる。
でもその返事は運転席からじゃなくて助手席の方からだった。
後部座席から前が見える仕切りの窓は小さくて、誰がいるのか分からなかった。
見えるように体を傾けさせると、助手席に温厚そうなあの男いた。
どうやらこの男もルカに狩り出されたらしい。
被害者という立場は同じらしい。
ただいつもと同じ澄ました顔をしてるから、同じ被害者には到底見えない。
「どこに向かってるんですか?」
助手席に向かっての問い掛けは、一応丁寧な言葉にしたけど、声は完全に無愛想だった。
本当は「どうして俺がここにいなきゃなんねえんだよ」って言いたい気持ちが声に表われてた。
それでも温厚そうな男は一切表情を変えずに、
「別荘に向かってます」
眠ってるルカを気遣うように小さな声で答える。
そして。
「別荘!? 何で!?」
「宇宙人を捕まえる為です」
がっかりするほどバカな事を言う。
いい歳したおっさんが真顔で何言ってんだって話。
それを本気で言ってんなら、かなりやべえぞって話。
成宮の屋敷にいる人間は、家族も働いてる奴も揃いも揃ってロクな奴――ってより、まともな奴――がいねえ。
言うに事欠いて、「宇宙人を捕まえる為に」はねえだろうが。
それでも温厚そうな男は、自分がバカな事を言ってるってのを微塵も分かってない様子で、「ああ、忘れていました」と言って脇に置いてあった鞄の手に手を入れた。
そうして男が鞄から取り出したのは、革張りの黒いファイルだった。
もしやと思った矢先に、そのファイルを差し出された。
「瑠花様がこれを
そう言った男は、「別荘には三時間ほどで着きます」と告げて正面を向いた。
もう俺とは話す事はないって態度だった。
俺としては「引き返せ!」と怒鳴ってやりたかったけど、無駄だと分かってるから言わなかった。
何を言っても無駄だ。
ルカだけじゃなく成宮の屋敷にいる人間には、俺の言葉は通じない。
俺からしてみれば成宮の屋敷にいる人間全てが宇宙人だ。
座席に座り直して、渡されたファイルを開いてみた。
薄暗い後部座席で見るファイルには、マジで宇宙人のあれこれが載っていた。
どうやらネットで情報を集めたらしい。
色んな口コミサイトの書き込みやブログなんかをプリントアウトしてファイルされてる。
どれもこれも別荘地で有名な、とある土地の宇宙人に纏わる話。
ただ、そりゃ絶対飛行機だろうって物をUFOだと言ってる目撃談や、どう見たってトラクターの走った跡をミステリーサークルだと言ってる写真や、夢だか妄想だろうとしか思えない宇宙人拉致説ばかり。
よくある話ばかりだった。
引くほどよくある話ばかりだった。
いや、余りにも粗雑な情報ばかりでよくある話以下だった。
これを見て、宇宙人を捕まえに行こうと思う奴の気が知れない。
ロズウェルに行こうってならまだしも、近場で宇宙人を捕まえようと思う意味が分からない。
つーか、捕まえてどうしようとしてるのか分からない。
ルカなら宇宙人と普通に会話出来そうだけど。
むしろ、ルカを拉致って宇宙の果てに連れてってくれって話だけど。
ファイルからチラリとルカに目を向けると、ルカは思いっきり鼾を掻いて眠ってた。
女の鼾を聞いたのは初めてで呆れに呆れた。
成宮の家族に溺愛されるお嬢様は、羞恥ってものが全くないらしい。
この野郎、半開きの口から涎まで出してやがる。
膨大な脱力感に襲われて、座席に深く腰掛けた。
口から出るのは溜息ばかりだった。
ふとサツキが、俺の事を面倒見がいいと言ってた言葉を思い出して、それは違うと思った。
俺は面倒見がいいんじゃなくて、付き合いがいいんだろう。
だから今もこうして然程抵抗もしないまま、別荘に連行されてんだろう。
いや、違うな。
やっぱそうじゃねえな。
ルカって奴は短い期間で俺を完全に洗脳したに違いない。
抵抗しても無駄だって事を、一ヶ月にも満たないうちに俺の頭と体に植え付けた。
ルカのやる事成す事に、こうして脱力感だけを抱かせるようにして、抵抗出来ないようにしやがった。
おぞましいったら無い。
手元のファイルに視線を戻すとまた溜息が出た。
何が楽しくて週末の夜に、いるはずのない宇宙人を捕まえに行かなきゃなんねえんだ。
そんな気持ちを抱え、ルカの鼾を聞きながら、三時間のドライブを終えて着いた別荘は、バカにデカかった。
辺りはすっかり暗くて外観ははっきり見えなかったけど、成宮の屋敷と違って別荘は洋館。
入ってすぐ、その広さにポカンとしてしまった。
まあまず玄関ドアからしてデカかった。
通常の家のドアよりも遥かにデカかった。
それを開けると目の前に玄関ホールが「広がった」。
マジで「広がった」。
一体どういう了見で、こんなにも広いスペースを取ったのかと思うほど、だだっ広い玄関ホール。
俺の部屋の三倍はあるくらいに広いのに、天井が二階まで吹き抜けてるから更に広く見える。
床は当然大理石で、立ってる俺の姿が写るんじゃねえかってくらいピカピカに磨き上げられてた。
俺が抱いてた別荘の雰囲気と明らかに違った。
週末とか長期休暇とかにフラッと遊びに来るような、ちょっと小じんまりとした物だと思ってたのに、これは違う。
メインの家ばりの気合いの入れよう。
つーか、一般人が住んでるメインの家の何戸分あるんだって感じ。
これを別荘だって言うなら、俺の家は犬小屋レベル。
成宮が金持ちってのは、あの屋敷を見て分かってたけど、いくら何でもこんな物を建てて所持出来るほどの金持ちだとは思わなかった。
玄関ホールを見ただけでこんなにも呆気に取られるんだから、中を見たら気絶すんじゃねえかと思った。
でも今夜は気絶する事はなかった。
温厚そうな男が先に立って中に入っていって、近くにあった階段を上がっていく。
そのあとについて行くと、二階の一番手前の部屋を手で指され、「この部屋を使って下さい」と言われた。
「あー、ルカは……」
そう言いながら振り向いた場所にルカはいない。
ルカは未だリムジンの後部座席で爆睡してる。
別荘に着いてすぐに起こしてみたけど起きなかった。
温厚そうな男に「起こさなくてもいいですよ」と言われたから、それ以上は起こさなかった。
「瑠花様は、わたくしがお運びしますので」
男の言い方から察するに、ルカは起こさず中に入れるらしい。
背負ってくるのか、抱き抱えてくるのか知らないが、とにかく起こすつもりはないらしい。
という事は、俺がルカと次に顔を合わせるのは夜が明けてからって事になる。
完全に、週休二日のうちの一日が消えた。
しかも超超過勤務だ。
考えただけで立ち眩みがするくらいに疲労感に襲われたから、もうルカの事は放っておいて部屋に入る事にした。
ドアを開けた直後に温厚そうな男が、「瑠花様は隣の部屋です」と、どうでもいい情報を与えてきた。
それに適当に返事をして入った部屋は、これまたバカに広い部屋だった。
部屋に備え付けられてる家具は然程多くない。
ビジネスホテルとかに置いてある物と変わらない。
まあ、家具の質は違うんだろうけど、広いからってゴチャゴチャと家具を置いてある訳じゃなくて、だから余計に広さが強調されてた。
こういうのをゲストルームって言うんだろうけど、それこそビジネスホテルの部屋くらいの広さでいいんじゃないかと思う。
ベッドまで何歩歩かせる気だよって距離を、失った気力を引きずるような気持ちで歩いた。
いつもの週末なら、まだこれから遊ぶ事だって出来るくらい元気な時間なのに、辿り着いたベッドに倒れ込むようにして寝転がり、すぐに目を閉じた。
ベッドはふかふかだった。
言われなくても高級だって分かる質感だった。
こんな寝心地の好いベッドは、これから先の人生でもう二度と寝る事が出来ないだろうと思った。
思ったが最後、ストンと眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。