「やってやれない仕事じゃない? ふざけんなっての」


 呆れたような声を出し、缶ビール片手に、狭いキッチンからリビング兼寝室に入ってきた下着姿のサツキは、真っ裸のままベッドの上に転がってる俺を見下ろすと、



「メチャクチャいい仕事じゃない。どこに文句があるってのよ」


 やっぱり呆れた声で投げやりに言って缶ビールをひと口飲んだ。



 金曜の夜。



 仕事が終わってから会う約束を取り付けたのは、セフレの中で一番付き合いが長いサツキ。



 セックスにプラスして愚痴を零したい気持ちがかなりあったから、サツキを選んだ訳だけど。



「だから、ルカって奴が変なんだって! 今話したろ!? どんなに変な奴かってのを!」


「んなもん、変なうちに入らないっての」


 どうやら選択する相手を間違えたらしい。



 付き合いが長い上に年上だから、黙って愚痴らせてくれると思ってたのに、サツキもサツキでストレスが溜まってたらしく、黙っていちゃくれない。



 そうして考えてみたら、さっきのセックスもサツキの動きは、いつもより矢鱈積極的だったし激しかった。



「いい? 変ってのは自分が伝票の記載をミスしたくせにこっちの所為にして怒ってくる、鼻毛が三本も飛び出してる上司の事を言うの! お前毎朝ちゃんと鏡見てんのかって話でしょ! 普通三本も鼻毛が飛び出してるかって話でしょ! 逆にどうやったら三本も鼻毛飛び出させられるんだって話でしょ!」


「は、鼻毛ってそんなにムカつく事なのか……?」


「当たり前でしょ!? こっちは怒られてんだよ!? 何であたしが怒られなきゃなんないのって思ってても、上辺だけは反省してる振りしなきゃなんないのに、課長が怒る度に鼻毛がそよそよ揺れて反省してる振りどころじゃないでしょうが! そしたら余計に怒られんでしょ!」


「お、おう……」


「つーか、そういう上司ばっかだし! 理不尽な事で怒られまくりで意味分かんないし!」


「お、怒られる事にムカついてんだよな?」


「鼻毛だっつーの!」


「……うん。そうか」


「しかも同僚の女共も他人の陰口ばっか言って仕事しないし! で、こっちには矢鱈と仕事回してくる! お陰でこっちはしなくていい残業させられてんだっての!」


「お、OLも大変だな……」


「そうでしょ!? それに比べりゃあんたの職場は天国でしょ! しかも通勤用にバイクまで買ってもらってんでしょ!?」


「バ、バイクはまだっつーか、納車までもうちょい時間が掛かって……」


「でも買ってもらったんでしょ!? 納車待ちなだけなんでしょ!?」


「う、うん……」


「それに比べてあたしの仕事環境ってどうよ!? マジであたしハゲんじゃない!? そういや最近抜け毛多いし! 仕事でハゲるとか最悪じゃん!」


 ブチギレって感じで言葉を吐き散らかしたサツキは、「週明けまだ鼻毛出てたら殴ってやるから!」と、いない相手に宣戦布告して、今度はビールをかぶ飲みする。



 これは相当ストレスにヤラれてるんだと、その八つ当たりの矛先が向かってこないように密かに願った。



 けどまあ、そんな願いするだけ無駄。


 

「それで?」


 サツキは分かりやすく、何かを期待した声を出して、何かを期待した目を向けてくる。



 それでも何を期待してるのかさっぱり分からない俺としては、「何が?」と聞き返すしかなかった。



「『何が?』じゃないでしょ。とぼけてんじゃないわよ」


「別にとぼけてねえよ。俺に何して欲しいんだよ。ナニならしてやんぞ?」


「ナニはいいから話せっての」


「何をだよ」


「その瑠花って子の事よ」


 ちょっと変わってて面白いじゃない――と、サツキは楽しそうに笑って、ベッドのサイドボードに空になったんであろう缶ビールを置いた。



 ルカの事で面白い事なんて何ひとつないのに。



「もう話したろ。他には何もねえよ」


「んじゃそのアルファスだかアルファズだかってのは何だったの?」


「だから知らねえって。聞いてねえから」


「家庭教師にも聞かなかったの? 聞けば教えてくれんでしょ?」


「教えてくれるけど別に教えてもらいたくねえっていうか、そのアルファズってのは謎の言葉のひとつで、それが特別って訳じゃねえんだよ。ルカの口からは謎の言葉しか出てこねえんだって。だからイチイチ聞いてらんねえんだよ。キリがねえし、どうでもいいし」


「気になんないの?」


「別に」


「ふーん」


「何だよ?」


「何が?」


「何か含みのある言い方したじゃねえかよ。俺、おかしい事言ったか?」


「まあ、おかしいかな」


「何が?」


「だって普通気になるでしょ。訳分かんない言葉言われたら、それって何だろうって思うのが普通でしょ? なのに気になんないって事は、或斗はわざと気にしないようにしてんのかなって思ってさ。って事は、それだけ意識してるって事だなと思って」


「はあ? 何でそうなるんだよ」


「普通にしてりゃ気になるもんだから。あたしメチャクチャ気になってるし」


「そりゃ、ひとつふたつ聞いただけだからだろ。毎日毎日訳分かんねえ事言われてたら気にしなくなるっつーの!」


「今は自然とそうなってんのかもしれないけど、最初の頃は意識して気にしないようにしてたんでしょ? まさか最初から気になんないって事はないでしょ」


「そ、そりゃまあ最初は……」


「ほら、意識してんじゃん」


「意識してるとかそういう言い方やめろよ! 何か変な感じに聞こえんだろ!」


「変な感じって何よ?」


「俺があいつを気になってるみたいに聞こえんだろうが! そういうの絶対ぜってえないからな! あんな変な奴、気に障る事はあっても気になる事は全くねえ! 何言ってんのか分かんねえし、話し方も変だし!」


「話し方が変?」


「おう。女らしくねえっていうか、男みたいな話し方しやがる」


「偉そうって事?」


「違う。偉そうなのは金持ちだったらまあそんなもんだろって感じで聞き流せるけど、そういうんじゃない。例えば誰かを呼ぶ時って女は『ねえ』とか『ちょっと』って言うだろ? 偉そうな言い方だったとしてもそうだろ? でもルカは『おい』って呼びやがる」


「それは確かにちょっと変――っていうか、逆にお金持ちのお嬢様がそんな喋り方でいいの?って感じね」


「だろ? 家庭教師が言うには、育った環境の所為だと」


「どんな環境?」


「あ? ああ、家族構成ってのか? それが男ばっかなんだよ」


「男ばっか?」


「家族構成が、ルカの祖父の仙人爺様――この爺様が成宮財閥の会長な。んで、社長してる父親。それと兄貴がふたり。以上」


「母親は?」


「ルカが小さい頃に死んだんだと。事故でっつってたかな? 婆さんはルカが生まれる前にもう死んでたらしい」


「そういう男だらけの環境で育ったから話し方が変なの?」


「その上、甘やかされてるから」


「甘やかされてる?」


「おう。ルカって家族みんなにメチャクチャ可愛がられてんだと。そりゃもう溺愛って感じらしい。確かに仙人爺様もそんな感じだったしな。それで、ルカをメチャクチャ甘やかしてる家族は、ルカがどんな話し方しようと注意しねえ。結果、男みたいな話し方のまま育って今に至る」


「甘やかしてるからってそんな感じでいいの? お嬢様でしょ? ちゃんと話せなきゃヤバいんじゃないの?」


「いいんじゃねえの? 知らねえよ」


「父親ってどんなよ?」


「知らね。会った事ねえ。仕事が忙しいらしくてあんま家にいないんだと。つか、俺あの屋敷でルカの家族に会った事ねえんだよ。仙人爺様に会ったのも面接の時だけだしな」


「兄ふたりにも会った事ないの?」


「ない。んでも次男は海外にいるって言ってた。長男はあの屋敷に住んでるらしいけど、やっぱ仕事が忙しくてあんま家にいないってよ」


「長男、何歳?」


「無理だぞ」


「無理って何よ」


「お前今、長男紹介してもらおうと思ったろ? 残念ながら長男は結婚してんだよ。あの屋敷に長男の嫁も住んでんだけど、そいつとも会わねえ。子供もいるって聞いたんだけど、子供も見ねえ。デカい屋敷ってそういうもんか?」


「住んだ事ないから知らないわよ」


「まあとにかく、言ってる事の半分以上が理解出来ない、甘やかされ放題の変な話し方の女、気に障る事はあっても気になる事は絶対にない。マジで環兄ちゃん尊敬する。よくあんな女の傍に八年もいられたなってな」


「はい、出た」


「あ?」


「あんたの環話はもういいって」


「どういう意味だよ?」


「何かある度に環環環。あんたが環好きなのは知ってるけど、そこまで崇拝するほどの男じゃないでしょ」


「崇拝じゃねえ、尊敬だ! つか、憧れだ! そりゃそうだろ? 環兄ちゃんに憧れない奴いねえだろ。あんなに格好いいのに」


「あんたの場合は崇拝だって。それにね、あたしは環よりあんたの方が格好いいと思うよ」


「は?」


「あたしは、あんたみたいなヤンチャ顔の方が好きだって事。環は何か綺麗すぎて逆に気持ち悪いわ」


「全然気持ち悪くねえぞ」


「崇拝してるからでしょ」


 そう言ってクスクスと笑ったサツキは、「でも環は人を見る目あんのよね」と意味深な事を言う。



 そして俺を横目で見ると、



「或斗の仕事、或斗に合ってる」


 意味ありげに口許を緩めた。



「合ってる?」


「うん」


「何でだよ? 俺、マジで嫌なんだぞ? これが環兄ちゃんの紹介じゃなかったら絶対辞めてるような仕事だぞ?」


「或斗、面倒見いいし」


「は?」


「口は悪いけど、何だかんだ言って優しいしね。だから瑠花って子の相手してんの、合ってると思う。環もそれを分かっててあんたに仕事任せたんだと思うよ」


「俺、別に面倒見よくねえし、優しくねえよ」


「優しいよ。だってさっきもあたしの愚痴聞いてくれてたじゃん。そのあとだってあたしの気持ち紛らわせる為に瑠花って子の話聞かせてくれたし」


「それは――」


「あのね、或斗。普通の男は女の愚痴をあんな風に聞いちゃくれないの。もっと嫌そうな顔するか、面倒臭そうな顔して適当な感じで聞くか、端っから聞いてないの。でもあんたはそんな事しないでしょ。たかがセフレの愚痴をちゃんと聞いてくれんじゃん」


「愚痴聞くくらい別に――つーか、俺も愚痴ってたし。それに、『たかがセフレ』って言うな。『たかが』じゃねえだろ」


「ほら、優しい事言うじゃん。或斗のそういうところ好きよ」


「褒めても何も出ねえぞ」


「出るでしょ?」


「あん?」


「どっちかって言えば出せって感じかな」


 あん?――と、二度目の疑問は口に出す直前で意味を理解して呑み込んだ。



 ベッドに座ってたサツキが覆い被さるようにして唇を重ねてきたから意味が分かった。



 背中に腕を回して引き寄せると、ベッドに突いてた腕の力を抜いた、サツキの重みを体に感じた。



 直接肌が触れ合ってる部分を気持ちいいと思った。



 細い背中を何度か撫で、体勢を変えた。



 サツキの体を反転させてベッドの上に仰向けに寝かせ、その体に覆い被さる。



「あたし、ストレス溜まってんのよ」


 離れた唇から吐き出された言葉には、ほんの少し色気が混じる。



「全部発散させてやる。スローセックスするか? 二時間くらい掛けて」


 笑った俺にサツキは少し目を開き、



「あんた、そんなの誰に教わったの」


 クスクス笑って、「期待しちゃおっと」と目を細めた。



 本当に期待してるって感じの表情してる。



 期待して、興奮してるのが伝わってくる。



――嗚呼ああ、やべえ。



 女の期待に満ちた表情や、興奮から上がる体温を感じると、酷く可愛いと思ってしまう。



 メチャクチャかせたいと思ってしまう。



 柔らかくて弾力のある胸に触れると、サツキはその薄い唇から甘い吐息を吐き出した。



 その声に、俺の体温が上昇した。



 髪を撫で、唇を舐め、柔らかい胸に触れる。



 サツキがうっとりとした表情で俺を見つめる。



「二時間喘ぎっぱなしにしてやる」


 そう言った直後だった。



 電源を切り忘れてたスマホからの着信音。



 何でこのタイミングで鳴るんだよって思っても、着信音の所為で今の今まであったエロい雰囲気が失せたのを帳消しには出来ない。



 目が合ったサツキは、「スマホの音切り忘れるなんてバカだね」って顔してる。



 本当にバカだと思う。



 バカすぎる自分が腹立たしい。



 それでも無視して続行する気ではいた。



 けど。



「いいから、出ちゃいなよ」


 サツキにそれを阻まれた。



「出ないからってまた掛かってくるかもしんないじゃん」


 まあその言い分も分かる。



 このまま続行しても、このあと何回も電話掛けてこられたんじゃ、そのうち本当に白けてしまう。



 だからって、電話が切れた直後に電源を切るのもどうかと思うし。



「……悪い。すぐ終わらせる」


 結局「電話に出る」っていう選択肢しかなくて、サツキから離れてベッドの下に脱いであったジーパンのポケットからスマホを取り出した。



 そしてすぐに悟った。



 この通話をすぐに終わらせる事は不可能なんじゃないかと。



 俗に言う、嫌な予感ってのがスマホの画面に出てた。



 着信相手、「成宮」。



 登録してる番号は屋敷の電話だから、掛けてきてる相手が誰なのかは分からない。



 仙人爺様かも知れねえし、もしかしたら他の家族からかも知れねえ。



 家庭教師って可能性もある。



 お手伝いだか使用人だかからかも知れねえ。



 そう思ってるのに何故だろう。



 物凄く嫌な予感がする。



 その予感は通話ボタンを押す直前に、かなり大きく膨れ上がった。



—―そして。



『おい、ハチ公! 早く来い! 今すぐ来い! 急いで来い! 宇宙人を捕まえに行くぞ!』


 スマホの向こうから、嫌な予感が音となって聞こえてきた。

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