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とどのつまり俺が「お譲様の犬」という仕事に就けるかどうかの最終決定は、成宮の可愛いと噂のお嬢様の判断待ちという事で。
当然、通勤用である新車のバイクも決定してからしか貰えない訳で。
だから、色んな事に腹立たしかったり納得いかなかったりしながらも、面接の翌日成宮の屋敷に行かざるを得なかった。
仕方ない。
この時はまだ俺の中の天秤で「新車のバイク」が勝ってたから。
正式に雇われないと専用の身分証明書を作れないって理由で、初日は門の前で警備の奴に止められた。
昨日も来てただろ、見覚えあるだろ――と言ったところで、はいそうですかって訳にはいかず、結局30分も身許確認の為に足止めされた。
もちろん、ボディチェックもきっちりされる。
個人宅のくせに厳重さが半端ない。
俺だからこうもしつこくされるのかと思ったけど、どうやら来訪者にはこうするもんだと決まってるらしい。
仮令その来客者が代議士であろうとも、身許確認とボディチェックは必ず行うと、警備の人間が言っていた。
すんなり門の中に入れるのは成宮の家族だけらしい。
それもこの家に住んでる家族だけで、親類縁者の場合でも身許確認とボディチェックをされる。
俺が専用の身分証明書を作ってもらっても、毎朝ボディチェックはされるらしい。
何でそんなに厳重なんだと聞いてみたら、ザッとした事だけ教えてくれた。
どうやら金持ちってのは、よく脅迫を受けるらしい。
まあ、金持ちってだけで誘拐される確率は、俺ら一般人よりも遥かに高いんだろうけど、脅迫まで受けてるとは知らなかった。
更には最近家族のひとりが家の近くで暴漢に襲われたらしく、それでこうして厳重な警備をしてるんだと言ってた。
でも誰が襲われたのかまでは教えてくれなかった。
門を入ってすぐの駐車スペースにバイクを停めて、玄関まで行くと四十代くらいの無愛想な男が俺を待ってた。
そいつは俺が「おはようございます」と挨拶をしても頷くだけで、黙って靴を脱ぐのを待ってた。
上がり框に上がって、廊下を昨日の場所に向かって歩き始めると、無愛想な男が数歩遅れてついて来た。
無言だった。
咳払いひとつしやしない。
ガン見してくる視線を背中に思いっきり感じた。
どうやら俺の予想では、見張ってるらしい。
屋敷の中のどっかの部屋に入って何かを盗むとでも思ってるらしい。
これが仙人爺様の差し金だったんなら、俺の事も俺を紹介した環兄ちゃんの事も何ひとつ信用してねえじゃねえかと思った。
無愛想な男はどこまでもついて来た。
あの開かない障子の前に辿り着くまでついて来た。
俺が障子の前に座ると、無愛想な男は戻っていった。
ずっと見張られるのかと思ってただけに、戻っていったのは意外だった。
障子の前に座って程無くすると、今度は温厚そうな顔の五十代くらいの男が、盆を手に近付いて来た。
その男は「おはようございます」と俺に挨拶をすると、廊下に盆を置いた。
盆にはデカいペットボトルのお茶とコップと灰皿が置いてあった。
「お昼になりましたら昼食をお持ちします」
そう言った男は、「トイレは来た廊下を戻られて最初の角を曲がった所にありますので」と、便所の場所を告げて去っていった。
廊下に面した庭に目をやると、庭全体に春の陽気が射し込んでた。
暇だった。
すこぶる暇だった。
障子の向こうからは何の物音もしない。
開く気配なんか一切ない。
聞こえてくるものといえば、近くにある鹿威しからの「カーン」だか「コーン」だかって音と、庭のどこかに遊びに来てる雀であろう鳥の「チチチ」って鳴き声。
隠居した爺の如くボーッと庭を眺め続け、どうにか昼までの時間を潰した。
昼になるとさっきの温厚そうな顔の男がまた盆を手にやって来た。
盆の上には小さい二段の重箱があった。
弁当だった。
弁当の重箱を置いた男は一度立ち去って、一時間くらいしてから食べ終わった重箱を取りに来た。
俺は庭を眺めながら煙草を吸って、只管時間が経つのを待ち続けた。
成宮の屋敷は少し変わった造りをしてる。
門の方から見ると二階建なのに、俺が開くのを待ち続けてる障子がある建物には一階しかない。
二階部分が途中でなくなる。
それは庭に面した廊下に出た時点でなくなる。
玄関を入ると当然そこは屋敷の中で、廊下を挟んで左右に壁やら扉やらがある。
その廊下を右に曲がったり左に曲がったりしてると、突然外に出る。
実際は、左側の壁がなくなって庭に面して廊下が伸びてるってだけなんだけど、体感的には「外に出た」って感じがする。
そこから二階部分がなくなる。
その、二階部分がある場所とない場所の境目に、無愛想な男がいた。
約束の五時になって、初日の暇な時間をようやく終え、やっと帰れると喜び勇んで玄関に向かうと、朝玄関にいた無愛想な男が立ってた。
男はまた無言でついて来た。
玄関先までついて来た。
俺が靴を履き終えるのを待って、玄関扉を開けて出ていくのをガン見してた。
これは俺の予想だが、多分あの無愛想な男、朝からずっとあの場所にいたに違いない。
盗まれて困る物は二階がある建物部分にいっぱいあるんだろう。
俺が無断でそっちに入らないように見張ってたんだろう。
全く以って信用されてない。
信用してないってのを思いっきり態度で示されてる。
成宮に信用されたいと思ってる訳じゃないけど、こうもあからさまな態度に出られると、少々気分が悪かった。
二日目も初日と同じだった。
門の前で警備の奴に身許確認とボディチェックをされて。
玄関先に無愛想な男が立ってて。
その無愛想な男があの障子の部屋の前までついて来て。
無愛想な男が去ったと思ったら入れ替わりに温厚そうな顔の男がお茶と灰皿の載った盆を持ってきて。
その温厚そうな顔の男は昼に弁当を持ってきて。
一時間後に弁当を回収していき。
俺は暇な時間を持て余して、欠伸ばっかする。
帰りも同じで無愛想な男があの場所に立ってて。
見送りとは言い難い嫌な視線を感じながら追い出されるように外に出る。
三日目も同じだった。
何の変わりもなかった。
でもこの日はもしかしたら障子が開くんじゃないかと期待してた。
環兄ちゃんが「三日か四日」って言ってたし、とりあえず障子が開けばこのどうしようもなく暇なこの状況からは脱出出来る。
雇われりゃ何かしら仕事はあるだろうし、ダメだったとしてももうこんな風に暇を持て余す事はない。
でも障子は開かなかった。
物音もしなかった。
四日目も同様に障子は開かなかった。
それでもまあ、環兄ちゃんは「長くて一週間だろう」とも言ってたから、それくらいは待たなきゃならないんだろうと思った。
暇な「待つ」という時間で唯一の楽しみは弁当だった。
成宮の屋敷で出される弁当は矢鱈と美味い。
五日目ともなるともういい加減慣れてきて、廊下で昼寝をするようにもなった。
DVDプレイヤーを持参して、近くの壁にあるコンセントを無断で使いDVDを見るようにもなった。
六日目には俺の中の天秤が動き始めてた。
新車のバイクは別にいらねえんじゃねえかと。
今のバイクで充分だし、こんな時間の無駄遣いをしてまで手に入れなくてもいいんじゃねえかと。
そうしてようやく「長くて一週間」の一週間目になって、まあその日はそれなりに気合いが入ってた。
今日で終わるって解放感もあったし、どうなるかって緊張感もあった。
午前中、障子は開かなかった。
言うまでもなく物音もしなかった。
昼飯を食い終わって、チラチラと障子の方を気にしてた午後、どういう訳か障子は開かなかった。
もう一度言う。
開かなかった。
確か「長くて一週間」のはずだったのに、帰る時間になっても開かなかった。
そりゃもう当然何の物音もしなかった。
無性にムカついた。
ムカついてると言ったら初日からムカついてたんだけど、腹の底に溜め込んでたムカつきが浮上してきた。
長くて一週間だと思ってたから我慢してただけに、そうならなかった事にムカつきは一気に浮上。
期待を裏切られたら誰だってそうなるはずだ。
それでも次の日から行かないって訳にはいかなかった。
もう新車のバイクはどうでもよかったけど、環兄ちゃんの紹介だから行かない訳にはいかなかった。
俺が環兄ちゃんの顔を潰す訳にはいかない。
障子が開かないからもう来ません――とは、いくら何でも言えない。
お嬢様だか何だか知らないけど、そいつが俺をいらないと言わない限り、成宮の屋敷に行く事はやめられない。
その上ムカついてる俺は、障子の向こうにいる「お嬢様」と称されるクソ女の顔を見てみたかった。
可愛いって噂だからじゃない。
こうも俺をムカつかせた相手を全く知らないまま終わるのは気に入らなかった。
だから八日目も成宮の屋敷に行った。
障子は開かない。
ムカつきが増える。
九日目も障子は開かず、ムカつきが増えた。
そういう経緯があって、十日目の午後とうとう我慢の限界に達した俺は、開けちゃいけない障子を開けて怒鳴り込んだ訳だが。
「どこ行きやがった、クソ女!」
人っ子ひとりいない部屋を見て、そう叫ぶ羽目になった。
そりゃ叫びたくもなる。
ずっといると思ってた場所に誰もいないんだから。
ここにいると思ってたからこそ、障子の前で十日間もバカみたいに待ってたんだから。
唯一納得出来るのは、物音がしないのも当然だって事で、それ以外の事に関してはもう腹の底から怒りが込み上がってくる。
つーか、こうして障子の向こうの光景を目にして、今更ながらにおかしいと思う事が浮かんできた。
十日間障子が開かなかったって事は、誰の出入りもなかったって事。
そう言や温厚そうな顔の男が持ってくる弁当は俺のだけ。
誰ひとり、障子の向こうに食事を届ける事はなかった。
百歩譲って昼飯は抜いてるんだって事にしても、出入りがないって事は便所に行きたいのも我慢してるって事になる。
いくら何でもそれはない。
朝の九時から夕方五時まで俺がきっちり障子の前にいたんだから、その間ずっと我慢し続けるなんてのは無理だ。
そうして考えると、この部屋には初日から誰もいなかったって事が分かる。
しかもそれを成宮の屋敷にいる人間は分かってた。
分かってなかったら食事を運ぶ。
飲み物だって運ぶだろう。
つまりは成宮の屋敷にいる人間がグルになって俺を騙してたって事だ。
ブチギレた。
未だかつてないほどにブチギレた。
ふざけやがってこの野郎、ナメた真似してんじゃねえぞ――と喚き散らして部屋の壁を殴ってやろうとした瞬間。
部屋の左右の壁にある襖の、向かって左側の襖が突然開いた。
スパンッ――と、跳ね返ってまた閉まってしまいそうな勢いで開き、その向こうから女がひとり現れた。
まさか襖が開くなんて思ってなかった俺は、意表を突かれた所為でその女を凝視した格好で体が固まった。
黒髪で色白の女だった。
顔は決して可愛くなかった。
不細工って訳でもないけど、全然普通の女だった。
並の女だ。
高校生くらいであろう、並の女。
どういう訳か憤然としてる。
その憤然としてる女は、まだ我に返ってはいない俺に向かって、
「やああ!」
掛け声のような叫び声を上げるや否や、白くて丸い物を投げ付けてきた。
大福だった。
粉だらけの大福だった。
呆気に取られてた俺は交わす事が出来ずに、その大福を思いっきり顔面で受けた。
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