杉ちゃんとオペラ隊

増田朋美

杉ちゃんとオペラ隊

雨が降って、ちょっと外出するのはどうかなと思われる日であった。そんな中でも、カールさんがやっている増田呉服店は営業を続けているのであった。お昼すぎ、一人の女性が、着物がほしいと言って、来店してきた。カールさんは、特に客から要望がなければ、接客はしないことにしている。というのはどうしても、接客をすると、囲み商法と言われてしまう可能性があるからである。

「すみません、これください。」

と言って、その女性が一枚の着物を持ってきた。赤に、梅の花を全体に散らした着物で、着やすそうな着物ではあるのだが、

「おう、化繊の着物だな。なんか用事でもあるんかい。梅の花の着物はとても可愛らしいよ。」

と、杉ちゃんが言った。

「はい。ありがとうございます。オペラを見に行こうと思ってまして、そのときに着ようと思っています。」

女性は答えた。

「はあ、お前さん化繊の着物でオペラを見に行こうと思ってたのか。それは辞めたほうが良いぜ。だって、オペラってのは、みんなイブニングドレスとか着て、オペラグローブはめて、ハイヒールはいて来るもんだよ。そんなときに化繊の着物なんて最悪だよ。悪いことは言わないから、礼装の振袖か留め袖を着たほうが絶対良い。ここでは3000円で買えるから、大丈夫だから。」

杉ちゃんが驚いてそう言うと、

「僕も辞めたほうが良いと思います。オペラ鑑賞というのは、洋服でもモストフォーマルが要求される場所ですし、化繊の着物では追いつきません。どこのオペラを、見に行かれるのですか?藤原歌劇団とか、そういうのかな?それなら、かなり高度な歌手が出演したりしますから、化繊は辞めたほうが良いですよ。」

と、カールさんも言った。

「これを囲み商法と取られてしまうのかもしれないが、でも、着物にはちゃんと着物のルールがあるし、洋服のモストフォーマルに相応する着物というのもちゃんとあるんだ。だから着物であればどこでも行けるなんてことはない。着物は着物なりに、着ていくところとか、そういう区別がちゃんとあるんだよ。まあ、最近呉服屋は、悪役呼ばわりされるが、そういう事を伝えたいのだと知ってほしい。」

杉ちゃんは呉服屋の抱えている現状を言った。呉服屋というと、高価なものを押し売りされたり、着付け教室などへ強制入会させられたりとか、そういう事を押し付けられがちなのであるが、杉ちゃんたちのように、着物の事をちゃんと考えていて、それを広めたいと考えている着物屋もいるのだと言うことは、なかなか伝わりにくいものである。

「ちなみにうちの店はリサイクル着物ですから、高価で何十万もするということは全くありません。高くても、一万円程度でやっております。大体の商品は、1000円から二千円程度で、着物は、500円で買うこともできます。」

カールさんは、そう商売人らしく言った。

「オペラを見に行くということでしたら、先程の通り、モストフォーマルという、洋服で言ったら、イブニングドレスに、オペラグローブというスタイルで来る人が多いでしょうから、着物もそれにあわせて、振袖をおめしになったらいかがですか?振袖というと、成人式だけに着るものではなくて、海外の名門オーケストラとか、オペラ鑑賞で使用することも可能です。」

「ありがとうございます。オペラと言っても、市民オペラで有名な歌手とかそういう人が出るのではありませんが、でも確かに、高尚な格好が要求されると思いますので、化繊の着物というのは辞めて、振袖にしようと思います。最も、化繊というのがどういう感じなのか、私は区別ができませんが。」

女性は、その提案に納得してくれたらしく、杉ちゃんたちに言った。

「市民オペラ?へえ、アマチュアのオーケストラみたいなものかな?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ。一応、プロの歌手とかそういうわけではないんですが、歌を歌うのが好きな人が集まって、オペラを上演するという団体なんです。中には楽譜は読めなくても、歌うことや演技することが好きで、市民オペラ隊に入ってしまう人もいますよ。だから、化繊の着物というか、一般的な着物で大丈夫かなと思ってしまったんですけど、違うんですね。」

と、女性は言った。

「ちなみに、最近の化繊は結構賢くなっているからさ、正絹との区別が大変だけど、迷ったら一度クシャクシャにしてみて、皺がすぐ戻るようなら化繊だね。縫う側にしてみたら、化繊は縫いやすくてすぐわかるんだけどね。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうなんですか。そんなこと全く知りませんでした。じゃあ、市民オペラ隊の演奏を聞くときは、どの着物が良いのか教えてください。」

と女性は言ったのであった。

「そうですね。もちろん、オペラですので、上級の着物が必要なことは疑いありません。ただ、振袖は振袖でも、御所車や椿などが連続している、いかにも日本的な振袖ではなく、ボタンや、バラなどと言った、西洋柄を少し取り入れた振袖でも良いのではないかと思うんですよ。例えばこんなふうに。」

カールさんは、大きなボタンの花を刺繍した、華やかなピンクの振袖を出した。

「こちらは、お値段は3000円になりますが、大きなボタンの花で、あまり日本的な柄に偏らず、バランスが取れた振袖だと思います。いかがでしょう?」

「ほ、本当に3000円で良いのですか?」

女性は少々驚いた顔をした。

「大丈夫大丈夫。それ以外はお金取らないから、安心して買って。」

杉ちゃんがそう言うと、

「本当にそれで良いのでしたら、ぜひ着てみたいです。」

と女性は言った。

「了解です。では、振袖の代金だけで済みますので、3000円でお願いします。」

カールさんがそう言うと、彼女はお財布から3000円を出して彼に渡した。カールさんが、

「領収書を書きたいので、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

と聞くと、

「瀬下と申します。瀬下良子。よろしくお願いします。」

と彼女は初めて名前を名乗った。

「了解しました。瀬下良子さんですね。瀬下は、早瀬川の瀬に、下は下で良いのかな?」

カールさんが聞くと、

「はい、それで大丈夫です。良子は良い悪いの良に、子どもの子です。」

と瀬下さんは言った。カールさんはその通りに、領収書に瀬下良子様と書いて、金額も書いた。

「少しお待ち下さいね。振袖を紙袋に入れますから。」

と、カールさんは領収書を渡して、振袖を備え付けの紙袋に入れた。

「はい、こちらになりますね。オペラ鑑賞楽しんでください。」

「ありがとうございます。今日はとても楽しかった。着物の勉強にもなりました。着物って、みんな同じかと思ってましたけど、意外にそうでもないんですね。振袖も成人式だけでなくて、コンサートに使えるなんて知りませんでした。」

と瀬下さんはそれを受け取った。

「いやあ、知らないのを恥だと思わないほうが良いよ。知らなかったら、勉強すればそれで良いのさ。学校の勉強だって、もとはそんなもんさ。そういうふうに楽しく勉強できると良いよね。」

「本当にありがとうございました。また何かあったらこさせてください。ありがとうございました!」

瀬下さんは、そう言って頭を下げて店を出ていった。店のドアに設置されているザフィアチャイムがカランコロンとなった。

それから数日後のことである。着物にする反物を買いに、骨董市へ行った杉ちゃんとカールさんは、ピンクの振袖を着て、市民会館の前のバス停に立っている女性の姿を目撃した。

「瀬下さん。」

思わず、杉ちゃんが声を掛ける。

「あらどうも。」

瀬下さんはそう頭を下げた。

「その振袖を着ているということは、今日市民オペラ隊の演奏会があったのかな?」

杉ちゃんがそうきくと、

「ええ、そうなんです。しっかり、この振袖を着て、フォーマルな気持ちで行きました。」

と瀬下さんは言った。

「はあ、あまりうれしそうじゃないな。」

杉ちゃんという人は不思議な能力のようなものが備わっているらしく、すぐに人の思っていることを言い当ててしまう癖があった。

「一体何を見に行ったんですか?」

と、カールさんが聞くと、

「市民オペラなので、あまり大作はできませんが、今日上演されたのは道化師です。」

瀬下さんは答えた。

「道化師。あああの、衣装をつけろのアリアで有名なやつね。まああれは、とあるバカ男の妄想のようなオペラだけど、それが現実になったような、事件が結構起きていて怖いよね。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「ええ、あたしはなかなかうまいなと思ったんですよ。市民オペラだから、大したものではないって主催者は言うんですけど、でもあたしは、すごいなと思ったんです。こないだお二人に、説得していただいて、本当にそうだなと思ったので、それで振袖を着たんですから。それなのに、あの人と来たら。」

瀬下さんは、困った顔で言った。

「あの人って、誰か想い人でもいたか?」

杉ちゃんがすぐにそう言うと、

「ええと、まあそんな感じなんですけどね。でもあたしが一方的に思いを寄せているだけだから、たいしたことないのかもしれないですけど。」

瀬下さんはすぐそういった。

「オペラには悲恋がつきものであるが、現実でもそういうことがあるんだねえ。そのお前さんの想い人というのは、」

「ええ、市民オペラで、主役を演じている、雨宮達夫さんです。」

瀬下さんは杉ちゃんの問いかけにそう言ってしまう。

「あたし馬鹿だから、その人に敬意表して、こんな振袖で行ったんですけど、その人から見たらいい迷惑だったみたいで、振袖でなくてもいいって言われてしまったんですよ。」

「はあなるほどね。それは大変だったね。ちなみに、道化師を演じたのはその人だったの?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ、衣装をつけろのアリアも歌ってました。」

と、彼女は答えた。

「まあ、相手にそう言われちゃうのは悔しいけどさあ、でも、お前さんは、振袖をきて、見に行ったんだから、それができたっていうことは、自信を持っても良いんじゃないか。それができたってことは、良いんじゃないの?」

杉ちゃんにそう言われて、瀬下さんは、そうですねといった。

「少なくとも、お前さんの想い人には届かなかったとしても、他の人にはなにか届いているかもしれないよ。」

「そうですね。杉ちゃんいいこという。」

カールさんはすぐに言った。

「それよりお前さんは、バスでこの会場に来たの?」

「ええそうです。ですが、一時間に一本しかないので、ずっと待ってるんです。まあ車の運転できないので、それは慣れてるんですけどね。」

瀬下さんは再度気持ちを強くしていった。

「そうなんだねえ。そういうことなら、あと30分くらい待たなければならないが、バスは必ず来るから焦らずに待ってろや。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。すると、一人の男性がバス停に向かって走ってくるのが見えた。この男性、杉ちゃんのように車椅子利用者ではないが、歩くのが不自由であるらしい。足を内側に曲げて、よたよたと走ってくる。

「誰だいあんたは?」

と杉ちゃんが言うと、

「はい。勝長富雄と申します。」

とその男性は言った。

「勝長富雄さん。なんか名前にあわなさそうな顔してるけど、なにかようがあるの?」

杉ちゃんが言うと、

「ええありますとも。この、Suicaカード、そちらの振袖の方が落としたものだとわかったので、追いかけてきたんですよ。これ、あなたのではありませんか?瀬下良子さん。」

と勝長富雄さんと名乗った男性は、一枚のSuicaカードを差し出した。

「ああ、ごめんなさい、これ確かにあたしのです。気がついて拾ってくださったんですね。忘れて帰るところでした。気がついてくれて本当にありがとうございます。」

と、瀬下さんは頭を下げて、それを受け取った。

「いえいえこちらこそ。とても素敵な振袖でしたよ。よく似合っていらっしゃって、着物の似合う方だなと思いました。また、来年もオペラを上演したいと思っていますので、よろしければまた振袖で見に来てください。」

勝長さんは、そうにこやかに笑っていった。

「ありがとうございます。」

瀬下さんはそう言うが、隣にいた杉ちゃんが、

「お前さんもネッダに告白するように、彼女に思いを伝えてみろ。」

と、勝長さんに言った。

「その顔でちゃんと分かる。お前さんは、瀬下さんに一目惚れしてる。それは間違いない。だからこそ、こうして追いかけてきたんだろ?そうでなければ、追いかけては来ないもんな。」

「杉ちゃんまた変なこと言うんですね。」

カールさんはそう言ったが、

「いや、お前さんの態度は変わらないさ。それはネッダに対する、足の悪いトニオくんの思いでもある。それをちゃんと告げて、悪役をやっつけろ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「いやあ、こんなところでそんなこと言えませんよ。他の人が見てるかもしれませんし。それに僕は、足が悪いので、そんなことはできません。オペラではないのですから。」

と、勝長富雄さんはいうが、

「いや、言っちゃって良いんじゃないの?」

杉ちゃんは平然としていた。

「今言えなかったらいつ言うんだよ。」

「いえ僕は、そんなことできる資格ありません。だってご覧の通り、足も悪いし、日常生活もできないので、そういうことは無理ですよ。」

勝長富雄さんは申し訳無さそうに言った。それを眼の前で聞いていた、瀬下さんが、

「あたし、勝長さんの気持ち受けようと思います。」

と、にこやかに言った。

「もうあたしが思いを寄せていた人は、振袖を着ていた事を何も褒めてもくれなかったのですから、おそらくあたしの事を愛してくれるなんてことはありませんから。それよりもずっと、あたしにSuicaカードを届けてくれたあなたのほうがずっと良いわ。」

「おめでとう!良かったね!」

そういった瀬下さんに、杉ちゃんはでかい声で言った。

「まあ、こういうところというか、恋愛は、変なところで始まることもありますからね。」

とカールさんが思わず呟く。

しかし、バス停に向かって、一人の人物が走ってくる音が聞こえてきた。誰だろうと思ったら、あのオペラで主役をやっていた、あの男性であった。

「すみません。仲間が彼女がせっかく振袖を着てくれたんだからというので、お礼に来てみたら、、、。足の悪い男にもう盗られてしまったのか。」

流石に、オペラをやっているだけあって、声も迫力あり、張りのある声ではあったのだが、どこか魅力的ではなかった。

「残念でしたね。カニオくん。ネッダはもうトニオくんに盗られてしまったぜ。」

と、杉ちゃんが言った。

「それは素直に敗北を認めようね。お前さんは、瀬下さんの事をバカにして、振袖を着なくてもいいと、そういったんだよね。それで彼女はえらく傷ついてしまったこともお前さんは知らないだろう。でもここにいるトニオくんは、彼女の大事なものを届けてくれたぜ。」

「配役と一緒にしないでくださいよ。そんなこと関係ないじゃありませんか。彼女は、少なくとも、俺と一緒にいたことは確かなんですから。」

ということは、やはり付き合っていたということを示していた。

「はあなるほどね。カニオくん、お前さんが信頼を取り戻すのであれば、もうちょっと、人を大切にしようね。市民オペラ隊では歌がうまくて尊敬されても、人間的にうまくなければ、世渡りはうまく行かないんだぜ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「なんだか、オペラ道化師が現実になったような。」

とカールさんは言った。

「でも、これは現実の人間関係だ。オペラみたいには行かない。それに、お前がこの足の悪い人間に簡単に心変わりしてしまうとは、それは、どういうことなんだろうか?」

と、カニオくんこと、相手の男性は言った。

「だから事実トニオくんは優しかったからだ。それはオペラ道化師でもそうだったじゃないか。それは、現実世界でも同じ。もちろん優しさだけでは生きていけないこともあるけど、でも、優しいってのは、大事なことだよ。」

と、杉ちゃんに言われて、カニオくんは悔しそうな顔をして、

「でも、良子、君の気持ちはどうなんだ。本当にこんなみずぼらしくて、なにもない男が好きなのか?それは、本当にそうなのか、聞いてみたい。」

と言った。

「ええあたしは。」

と良子さんこと、ネッダさんは答えるのであった。

「あたしは、オペラの筋書きとはちょっと違って、優しい人が好きです。あたしが、一生懸命着付けた振袖を、だめだと言う人よりも、こうしてあたしのSuicaカードを見つけてくれた人が好きです。」

「そうそうネッダ。そういうふうに正直に言わなくちゃだめ。オペラでもそうだった。はっきりした態度をとらないせいで、犠牲者が出ちまったじゃないか。それと同じことが現実で起きたら、それこそ行けないよね。」

と、杉ちゃんが、良子さんを援護するように言った。

「そうですよね。ありがとうございます。着物を着るようになってから、自分に正直になっていくようになりました。着物って、本当に着るのが大変だから、自分に正直でないと着れないんですよ。」

「ま、そういうわけで、カニオくんの敗北で、勝負はトニオくんの勝ちだ!まあ、今までやったことを反省して、ちゃんと恋をできるようになろうね。」

杉ちゃんがそう言うと、定刻通りにバスがやってきた。バスが定刻通りにやってくるのはよほど田舎でないとできない。バスは三人の眼の前で止まった。運転手が、スギちゃんを、車椅子席へ乗せている間、瀬下良子さんは、すぐにバスに乗り込み、

「じゃあ、ありがとうございました。勝長さんどうもありがとう。」

と言った。

「これで恋のお話は、幕引きかな?」

とカールさんがそう言って自分もバスに乗り込む。同時に運転手が手早く杉ちゃんを乗せる作業を終了して、運転席に座った。そしてエンジンを掛ける。バスのドアが閉まり、運転手はバスを動かした。バスは、二人の男を残して、そのまま走り去って行ってしまった。

きっと、また雨が降ってくるのかなと思われる空模様だった。なんか、不思議な出来事は、長続きしないという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

杉ちゃんとオペラ隊 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る