王女の微笑みは誰のため?

Y.Itoda

短編

*いつも読んでいただきありがとうございます。

 短くおさめるように意識してみました。

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いつの頃からか、「自分で何とかしなければ」という言葉に縛られるようになった。


不機嫌をあらわに、誰かにしようものなら、それは赤ん坊と同じだ。

いい子いい子、よしよし、と、母親に抱っこされてるのと一緒。

私は、自立した大人な人間でありたい。


イリーナはその言葉を思うたび、もっともだと感じていた。嫌なことがあっても、他人に同情を求めるのではなく、自分で気持ちを立て直す。

それが王女である自分に求められていることだと信じていた。


彼女はロセア王国の第二王女。婚約者であるラファエル・セレスティア公爵とは、10歳の頃に政略的な意味合いで婚約が決まった。公爵は五歳年上の端正な青年で、王家の側近として兄王子の補佐を務めている。成績優秀で武勇にも優れ、民からも絶大な信頼を寄せられていた。


ラファエルの銀髪は月光を凝らせたように美しく、冷たい氷のようなブルーの瞳は、見つめる者を魅了する力を持っていた。どこか女性的な美しさを漂わせながらも、剣を手にすると誰も寄せ付けない威圧感を放つ。その卓越した能力により、常に王国の最前線で王を守る役割を果たしていた。


彼の存在は、イリーナにとって誇りであると同時に、常に心をかき乱すものでもあった。


その日、イリーナは宮廷のバルコニーから、王家主催の茶会を眺めていた。庭で行われている社交の場では、女性たちが楽しげに談笑し、上品に微笑む姿が見られた。その中に、ラファエルの姿もあった。


彼の周りには、常に美しい貴婦人たちが集まっていた。ラファエルはその全ての視線を淡々と受け入れ、笑顔を浮かべることはほとんどなかったが、時折口元に浮かぶ微笑みは、人々を夢中にさせた。


その日も、ラファエルは女性たちに囲まれていた。彼女たちは次々と自分のショールや扇子をわざと落とし、ラファエルに拾わせるというゲームを楽しんでいた。ラファエルはそれを笑いながらも、完璧な礼儀で拾い上げ、従者に届けさせていた。


(どうして、こんなことが許されるのかしら?)


イリーナは胸の中にわずかな不安と苛立ちを覚えた。ラファエルが自分の婚約者であるにもかかわらず、彼女たちに囲まれている様子は、イリーナにとって耐えがたいものだった。だが、彼女はその感情を押し殺し、微笑みを保った。


「イリーナ姫様、どうなさったのですか?」


侍女が控えめに声をかけてきた。イリーナははっとして、自分が心ここにあらずの状態でいたことに気づいた。


「なんでもないわ。少し考え事をしていただけよ」


そう言いながらも、胸の内では違う感情が渦巻いていた。彼女が感じていたのは、婚約者であるラファエルが、自分に対してほとんど関心を示していないことへの不安だった。イリーナはラファエルと二人きりで過ごすことがほとんどなく、会話も礼儀に基づいた表面的なものばかりだった。


結婚という大きな出来事が迫っているにもかかわらず、ラファエルとの関係は冷え切ったままだった。彼が公務に忙しいことは理解している。だが、それ以上に、彼が自分に対して恋愛感情を抱いているのか、まったくわからなかった。


(私はただ、あなたの婚約者というだけなのかしら?)


心の奥底で沸き上がるこの疑問は、誰にも口に出すことができない。イリーナは、自分の感情を抑え込み、「王女」としての責務を果たすことが求められていた。


数日後、イリーナは再びラファエルに会った。彼は王宮の廊下を歩いていたが、その時、隣にいたのは一人の若い貴婦人だった。二人は楽しげに話している様子で、イリーナが近づいてきたことに気づいても、彼はまったく表情を変えなかった。


その瞬間、イリーナの胸の中で何かが弾けた。これまでは、自分の感情を抑えてきたが、この場面を目の当たりにした瞬間、彼女はどうしようもない嫉妬と怒りを感じた。


(もう、これ以上は我慢できない……!)


イリーナはその場で立ち尽くし、ラファエルと目が合ったが、彼は軽く会釈をするだけで、そのまま去っていった。まるで、何事もなかったかのように。


(どうして……どうして私はこんなに孤独なの?)


心の中で叫びたくなる思いを押し殺しながら、イリーナは廊下に残されたまま、呆然と立ち尽くした。


その夜、イリーナは王宮の自室で、一人静かに涙を流していた。誰にも見せることができない感情が溢れ出し、彼女は自分自身を保つのがやっとだった。


「自分で何とかしなければ……でも、それができないことだって、あるじゃない……」


心の中で、感情が爆発した瞬間だった。

イリーナはその日、初めて自分が「王女」ではなく、ただの一人の女性として、ラファエルに愛されたいと思っていることを認めざるを得なかった。


(私は王女だからといって、すべてを一人で抱え込む必要なんてないのよ……)


イリーナは、自分が抱えてきた孤独と、婚約者への複雑な感情に正面から向き合い始めた。


翌朝、イリーナは決意した表情でラファエルに会いに行った。彼が公務を終えて王宮に戻ってくるのを待ち、廊下で彼を呼び止めた。


「ラファエル、公爵」


彼は振り返り、彼女の存在を確認すると、少し驚いた表情を浮かべた。


「姫様、どうなさいましたか?」


「私は……あなたに伝えたいことがあります」


イリーナは勇気を振り絞り、感情を抑えることなく言葉を口にした。これまでの彼女なら、決して口にしなかったであろう言葉が、自然と溢れ出していた。


「私はあなたに愛されたいの。婚約者としてではなく、ひとりの女性として」


ラファエルの表情が少し硬くなったが、彼は冷静にイリーナを見つめ続けた。


「姫様……」


彼の言葉が続く前に、イリーナは言葉を続けた。


「私はずっと、王女としての義務を果たすために、自分の感情を押し殺してきました。でも、それでは私はただの人形のようだわ。私も、ひとりの人間として生きたいの。あなたに、本当の私を見てほしい」


ラファエルはしばらく沈黙していたが、やがて深く息を吐き出し、穏やかな表情を見せた。


「姫様、私は……あなたを尊敬しています。婚約者としてだけでなく、ひとりの女性としても。ですが、私もまた、王家に仕える身であり、私の感情を自由に表すことは許されていませんでした。しかし、今こうしてあなたが心の内を明かしてくれたことで、私も自分の気持ちに正直でいようと思います。」


ラファエルは一歩、イリーナに近づいた。その瞬間、彼の冷たいようでいて優しい青い瞳が、まっすぐに彼女を捉えていた。


「イリーナ、あなたのことを大切に思っています。それは、王女だからではなく、あなた自身を尊敬しているからです。」


イリーナの胸の奥が温かくなった。これまでの冷たい距離感が、初めて柔らかな温もりに変わったように感じた。


「でも、私が王に仕える身である以上、すべての感情を公にすることは難しい。それでも、あなたが望むのなら、私はもっと誠実に向き合うつもりです。」


彼の言葉は真摯で、そこに嘘はなかった。イリーナは息を呑み、静かに頷いた。ラファエルに自分の思いを伝えたことだけでも、彼女の心には軽さが生まれていた。


その日の夜、イリーナは再びバルコニーから庭を見下ろしていた。庭には誰もおらず、静寂が広がっていた。だが、彼女の胸の内には、以前とは違う感情が流れていた。


彼女はこれまで「完璧な王女」として振る舞うことにこだわり、感情を押し殺してきた。しかし、ラファエルとの対話を経て、ようやく「自分の気持ち」を認めることができたのだ。


(私は、王女である前に一人の女性であり、人間なんだ)


その瞬間、彼女は自分の中で何かが解き放たれたように感じた。王族であることの重圧と義務、そしてそれに伴う孤独。イリーナはその全てを一度は受け入れ、抱え込もうとしていたが、今は違った。彼女は、もう少しだけ自分に優しくなろうと決めた。


「自分で何とかしなければ。それはひとりで抱え込むことではないのね」


そう、時には甘えたっていい。


彼女は静かに自分に言い聞かせるように呟き、夜空に輝く星々を見上げた。

空は広く、限りなく続いているように感じられた。自分の未来もまた、同じように広がっているのかもしれない、と。


数日後、宮廷の人々は驚いた。これまで冷静沈着で感情を抑えていた王女イリーナが、少しずつ笑顔を見せ始めたのだ。彼女の周りには、いつしか自然と人々が集まり、彼女に笑顔を向けるようになった。


ラファエルもまた、以前よりもイリーナに寄り添うようになった。公務で忙しい日々が続いていたが、彼は時間を見つけては彼女に手紙を送り、時折王宮の庭で共に過ごす時間を作った。彼が見せる笑顔は、少しずつ温かみを増していた。


「私はまだ、王女としての義務を果たし続ける。でも、これからは少しずつ、自分の感情にも向き合っていきたい」


そう心に決めたイリーナは、自分がこれからも進むべき道を見据え、前に進んでいく覚悟を持っていた。ラファエルとの関係はまだ完全に解決したわけではなかったが、それでも彼女は、これまでとは違う新しい自分として生きていけると感じていた。


(私は、王女であることと、自分自身としての感情を大切にしながら、これからも歩んでいく)


心の中でそう誓いながら、イリーナはバルコニーから見える広い世界に向けて、一歩を踏み出していくのだった。



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