第23話
結局僕はハイヒールを手に持ったまま、裸足で体育館へと移動した。なぜなら控室で試しに一度履いてみたのだが、バランスが取れず五メートル先へもまともに進めない状態だったからだ。そしてかかとの低い靴に変えてもらおうと生徒会長を探してみたのだが、舞台袖が暗すぎて誰がどこにいるのかわからない。更に舞台では既にオープンニングは終わっており、演劇部の生徒が次々とランウェイを歩いている状況となっていた。そんな騒々しい中すれ違ったのは、舞台から戻ってきたばかりの西園寺さんだった。
「お先! 二心姉のランウェイ見れないの残念だよ! 頑張って!」
彼女に靴のことを相談しようかと思ったのだが、声をかける間もなく控室の方へと行ってしまう。仕方なく後ろ髪を引かれる思いで彼女を見送った、そのとき――。
『小豆さん、こちらで準備お願いします!』
(え?! もう姫川さんの番?! てことは、僕はその次じゃないか!)
そんな叫び声が大音響と歓声にかき消される中、とりあえず僕は暗い中で姫川さんの後ろを必死について行く。そして彼女が舞台袖でピタリと足を止めたとき、今が助けてもらえる最後のチャンスだと考え背後まで近づいたみたのだが、僕は声をかけることができなかった。
なぜなら、今の彼女は目の前のショーだけに集中し、周りが見えていないとわかったからだ。無表情で自分の出番を待つ彼女は、楽しそうに舞台袖を行き来する他のモデルたちとは違って、真剣勝負のプロの顔に見えたのだ。もしかすると特別参加として呼ばれた彼女は、本物の二心がいないこの状況で、自分だけはプロとして恥ずかしい姿は見せられないと考えていたのかもしれない。これまでそんなプレッシャーなど微塵も感じさせない彼女だったが、その気合いの入った表情を見た僕は、今更ながらそれに気づいたのだ。
『小豆さん、どうぞ!』
その指示のあと目を閉じ深呼吸した彼女は、ゆっくりと目を開けて舞台中央を見た。そして前を向いたまま、『二心様、お先です』と僕に一言告げて出て行くのだった――。
『次は、皆さんお待ちかねぇ! 特別参加、小豆さんの登場でぇす! 衣装は両校の手芸部が協力して手作りしましたぁ!』
派手に盛り上げるアナウンスが流れる中、舞台袖から覗いてみると、全身黒のゴスロリファッションできめた姫川さんの登場に会場が沸いていた。時折笑顔を見せ大騒ぎの観客に手を振りながらも颯爽とランウェイを歩いて行くその姿はとても格好いい。その姿勢、指先、足の伸ばし方、シルエット、ポーズ……どれをとっても他のモデル役より数段上に見えたのだ――。
そうして自分がピンチであることも忘れ、その姿に目を奪われていたときだった。ついに僕への指示が出る。
『二心さん、準備お願いします!』
慌ててヒールを床に置き、つま先をすべりこませる僕。だがやはり、ぐらぐらと全身が揺れてしまいバランスが取れない。その場に立っているのがやっとの状況だ。
しかしもうどうすることもできないと覚悟した僕は、なんとか心を落ち着かせようと頭の中で自分の動きを反復するしかなかった。
(姫川さんがランウェイ中央を過ぎたら、僕は合図をもらってスタートする。そのまま舞台中央まで歩き、着いたら止まって待つ。次に、彼女がランウェイを折り返したら、僕はランウェイに向かって歩き出す。そして僕たちはランウェイ中央ですれ違う――)
そのときだった。ランウェイ中央を通過した姫川さんの姿が目に入る。
同時に『二心さん、どうぞ!』という指示が飛んだ。
その合図をきっかけに最初の一歩を踏み出した僕――だったのだが、その瞬間に不安が現実となってしまった。やはりヒールを履いた状態では普通に歩くことができなかったのだ。結果、よちよち歩きで舞台中央までたどり着いた僕には、絶望しか見えない。
(だ、駄目だ! やっぱりうまく前に進めない! 緊張で足が震える! 緊張で心臓が爆発しそうだ! 唯一の救いは、まだ僕に照明が当たっていなかったことだ……。ここに来るまでの僕の姿は、誰にも見えていなかっただろう。でも、姫川さんがランウェイを折り返したら僕にも照明が当たる。そのあと僕はどうなるんだ……? こんな状態でランウェイを歩けるわけないじゃないか! も、もう駄目だ……。呼吸ができない……。緊張で……。吐きそうだ……。頭がくらくらする……。もう……立ってられない――)
「みんな、ごめんね」
そう呟いて、その場に崩れ落ちそうになった瞬間だった。
「二心ちゃん!」
(雨宮さん――)
幻覚を見ているのかと思った。しかし舞台上で倒れそうになっている僕は今、間違いなく雨宮さんに肩を抱かれていたのだ。
「亜理紗から聞いてたよ! 体調悪いんだよね?!」
(いったい、どこから……。いつの間に――)
「今、倒れそうだったでしょ?! 大丈夫?!」
(そっか。写真部は舞台下から撮影するって言ってたな。僕の様子がおかしいことに気づいて助けにきてくれたんだ。でも、やっぱりすごいな。雨宮さんは。これだけ多くの人が注目してる舞台に躊躇なく上がってくるなんて――)
「一旦、下がろう! ね?!」
(雨宮さん。僕は大丈夫だよ。元気もらえたから。もう一度頑張ってみるよ――)
「誰かぁ! 二心ちゃん運ぶの手伝って! ……駄目だ。みんな聞こえてない。舞台も真っ暗だから見えてないんだ……」
(駄目だよ! 人を呼んだら駄目だ! まだ僕はやれる。僕はやれるよ! やらないと駄目なんだ! この舞台を作ってくれたみんなのためにも、楽しみにしてくれている観客のためにも、西園寺さん、姫川さん、二心、それに……雨宮さんのためにも僕は歩かないと――)
僕は雨宮さんの手を振りほどき、自分の足で立ってみる。するとぼんやりと見えるランウェイの折り返し手前に姫川さんの姿が見えた。本当ならとっくに向こう側へ到達していたはず。おそらく彼女は僕のために少しでも時間を稼ごうと、ゆっくり進んでいてくれたのだろう。その気持ちを察した僕は、頑張らないとという思いが更に強くなった。
しかし――僕の心はもう限界だったのかもしれない。
気持ちとは裏腹に、足に力が入らず膝が折れ、その場に膝をついてしまった。
「二心ちゃん!」
(まずい……。もう少ししたら僕に照明があたる。早くなんとかしないと。こんなところをみんなに見せてしまったら、ショーが台無しになる――)
「二心ちゃん! 大丈夫?!」
「あ、雨宮さん……。ここに照明が……」
「照明?! 舞台が明るくなるってこと?! 確かリハのときは、前の人が向こう側に着いたときだったよね……。よし、任せといて!」
そう言いながら腕まくりした雨宮さんは、突然僕の両脇を抱えたかと思うと、そのまま引きずるようにして舞台脇まで移動し始める。そして間一髪、姫川さんがランウェイを折り返したときには、舞台上から消えた状態になれたのだった。
舞台に二心がいない――本来ならここで皆が混乱しショーがストップしてもおかしくなかっただろう。しかし放送部や演劇部の生徒たちがこの異変を素早く察知し、うまく機転をきかせ誤魔化してくれたようだ。
結果、大きな騒ぎにはならないままショーは進行されたが、僕は自分の不甲斐なさに情けなくなり、舞台袖で雨宮さんに肩を抱かれながら涙が止まらなくなるのだった。
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