第22話
控室の中に入ると、二人分の机と椅子が中央に置いてあり、机の上にはメイク用のセットや鏡などが一式準備されていた。その他はすべて教室の後ろに下げられた状態となっており、空いた広いスペースには、大きな姿見と衣装を掛けたハンガーラックが二セット置いてあるのが見える。そして衣装には、それぞれの名前と着る順番の番号札が付けられているようだ。
ちなみにだが、手芸部が全モデル分の衣装を作ることはできなかったため、今回手作りとなるのは僕と姫川さんの三着ずつの計六着となる。西園寺さんも含めて他のモデル役の生徒たちは、皆で持ち寄った市販の服を着て『おすすめコーデ』としてお披露目するらしい。また、モデルは僕たちも合せて二十名おり、皆が三回ずつランウェイを歩くことになっていた――。
「なるほど。こういう感じですか……。素晴らしいです」
すぐに衣装を手に取り確認する姫川さんが目に入る。
しかし……今の僕にはそんな余裕など一ミリもない。なぜなら、どこを見ても更衣室となるような場所がなかったからだ。もしかすると、簡易的なボックスタイプの更衣室が準備されているのかも、などと淡い期待をしていたのだが、そんなものはどこにもなかったのだ――。
「ちょ、ちょっと姫川さん。さすがにこれはまずいんじゃないかな……」
「なにがですの? さぁ、早く準備しますわよ」
「いや、待ってよ。ここで着替えるのはまずいでしょ? 姫川さんはいいの? 僕と同じ部屋で、き、着替えるなんて……」
「わたくしは問題ありませんわ。三郎様はあまりご存じないようですが、モデルの世界では男女同じ場所で着替えるなんて当たり前なのですよ? 舞台裏では次の出番までに急いで着替える必要がありますので、恥ずかしいなどと言ってはいられない状況ですから」
「そうなの?! 知らなかった……」
「そうです。だから、わたくしは同じ部屋で着替えても、なんとも思いませんし大丈夫ですから。それに他のスタッフを入室禁止にして、わたくしと三郎様のみ同じ控室にしてもらったのは、フォローを万全にするためです。突然誰かが入ってきたり衣装でなにかトラブルがあったりしても、わたくしがいればすぐに対応できますでしょ?」
「そういうことだったんだ……。わかったよ。いろいろありがとう」
「で、でも……。その……」
「……ん? なに?」
「い、一応、着替えているときは、こちらは見ないでください……」
「や、やっぱり、恥ずかしいんじゃないか!」
「ち、違いますわ! 一応です、一応! 三郎様はプロのモデルではないのですから、わたくしの着替えを見て……その……発情したり……」
「しないし! は、発情……とかはしなけいど、後ろは絶対見ないようにするから。そ、それじゃ、僕はこっち見て着替えるからね。着替え終わったら言ってね」
そして誰もいない教室で僕たちは、用意された衣装に着替え始めた――。
二人きりの静かな教室。
どこか遠くから聞こえてくる生徒たちの笑い声。
壁の方を見ながら制服を脱ぎ始める僕。
そして背後から聞こえてくる服の擦れる音と吐息の音。
聞いてはいけないと思いながらも、なぜかその音だけを耳が拾ってしまう。
そんな状況に理性を失いそうになった僕は、なにか音楽でもかけようかと思い、震える手でスマホのロックを解除した。
そして気づく。今は呑気に興奮している場合ではなかったということに。なぜなら、舞台袖に集合する時間まで残り十五分を切っていたからだ。
僕は大慌てで、下着姿のまま一番の札がついた真っ白なワンピースを手に取った。それは手芸部が半年かけて作成してくれた衣装。素人が見ても素晴らしい出来だとわかるもので、そのデザインはいつも二心が着ている可愛い系とは違い、大人な女性に似合いそうなデザインだった。そんな初めて着るタイプの服に袖を通しテンションが上がった僕は、姿見で全身を確認しながらスカートの両端をつまみくるりと回転した、そのとき。
「まだ、着替え終わったと言ってませんが」
といつの間にか背後に立っていた姫川さんに注意され慌てて背中を向けた。
「うわぁぁぁ! ご、ごめん! そんなつもりじゃ――」
「わかってます。今終わりましたから大丈夫です」
「ほんと? 振り向いていいの? ほんとに大丈夫だよね?」
とはいえ、なかなか振り向く勇気の出ない僕。すると姫川さんに肩をつかまれ強引に回転させられてしまった。すると目の前には、真っ黒でとても可愛らしいロリータ系の服を着た彼女が立っているのだった。
「ど、どうでしょうか……?」
「うわぁ! 姫川さん、可愛いよ! それ、ゴスロリっていうやつでしょ? 黒い服着てるのは初めて見たけど、似合ってるね! そのカチューシャみたいなのも可愛い!」
「ほ、褒めすぎですわ……! でもありがとうございます。わたくしはこういうタイプのお洋服は着たことがなかったので少々手こずりましたが、面白いですわね。とても勉強になりました。でも、そちらの衣装も二心様なら絶対に選ばないタイプのお洋服ですわね。とてもお似合いですけれど」
「姫川さんもそう思う? 二心がこういうの着てるの見たことないから新鮮だよ。ファンの人って実は、こういうの着て欲しいのかな」
「どうでしょう。今日はお客様に楽しんでもらうため、あえていつもと違う感じにされたのかもしれませんわね。そんなことより、もうお時間がありません。次はお化粧直しですね――」
そのままの流れで姫川さんにもチェックしてもらいながらメイクも完了し、すべてが準備万端だと安堵したときだった。僕はふと、あることに気づく。
「あれ? そう言えば、靴ってローファーでよかったのかな」
すると鏡越しに目があった姫川さんが、近くの机の上に置いてある箱を指差した。
「ローファーなわけございませんわ。靴はその箱の中にあります。箱にお名前が書いてありますでしょ? さすがに靴は作れませんから、市販のものを使うようですわね」
彼女の言う通り、そこには『二心様用』と書かれた箱が一つ置いてあった。そして早速、蓋を開けてみたのだが、僕は再び想定外の事態に直面し言葉を失ってしまう。
「どうかされました?」
僕の変化を察知した姫川さんが心配そうに声をかけてきたので、僕が混乱している理由がわかるように、その靴を箱から出して見せた。すると姫川さんはすべてを察したようで、眉間に皺を寄せながら困ったように呟くのだった。
「ヒール……でしたか」
そう。用意されていたのは、かかとが高い靴――所謂『ハイヒール』だったのだ。しかも、かかとの部分がかなり細いタイプのもので、詳しくはわからないが、これは『ピンヒール』と言われる靴なのだろう。
僕はこの日に合わせ、二心に立ち居振る舞いやウォーキングの基礎をみっちり仕込まれてはいたが、ヒールを履いて練習したことなど一度もなかった。おそらく二心も、高校生のファッションショーでヒールを履くことはないと想定していたのだろう。
生まれて初めて履くハイヒール。それをまさか本番で履くことになろうとは……。
そのときだった。突然扉をノックする大きな音が鳴り響く。
そして外から聞こえてきたのは――。
「もうすぐ出番です! 舞台袖へ移動お願いします!」
時間切れを告げる言葉だった。
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