第12話

「今日はもう遅いしこれくらいにしといてあげる。まだまだ直したいところはあるけど」

「終わったの?! 疲れたぁぁぁぁ! もう限界だったよ」

「体力なさすぎ。モデルの仕事なんて、一日中撮影することもあるんだから」

 僕が二心へと変身するための特別授業が終わり、疲れた僕は二心の姿のまま絨毯の上に大の字になった。対して平気な様子の二心は、ベッド横にある小型の冷蔵庫から飲み物を取り出し口にしている。部屋に冷蔵庫があるのも驚きなのだが、もうヘトヘトなので突っ込むのはやめておくことした。


「今、何時頃だっけ?」

 そう言いながらなんとなくスマホを確認した僕は、二十件もの未読メッセージがあることに驚き、思わず画面を二度見してしまった。というのも、普段は二心か母から数件着信する程度だったので、それはありえない件数だったからだ。

「母さん、なにかあったのかな……」

 心配になり慌てて画面を開いてみたところ、なんとそれは……すべて西園寺さんからの着信であった。数時間もの間、彼女からのメッセージを無視した状態となっていたのだ。

 背筋が凍る恐怖を覚えた僕は生唾をゴクリと飲み込みながらアプリを開き、ゆっくりとスクロールしながら確認してみる。すると画面に流れてきたのは、持つ手が震え出すような恐ろしいメッセージであった――。


『おーい 元気かー?』

《ウサギが手を振る可愛いスタンプ》

《ウサギが挨拶する可愛いスタンプ》

『返事がないぞー』

《ウサギが困った顔の可愛いスタンプ》

『忙しいみたいだな またなー』

《ウサギが泣いている可愛いスタンプ》


 ――その一時間後。

『おーい 既読にならないぞ 未読無視ってか』

《ウサギが少し不満顔の可愛いスタンプ》

《ウサギが少し怒っている可愛いスタンプ》


 ――更にその一時間後。

『ID交換してやったのに』

《ウサギが怒っているスタンプ》

『普通男の方から送ってくるだろ』

《ウサギが激オコのスタンプ》

 ――更にその十分後。

『なんでずっと未読なんだ』

『ID交換した初日だろ』

『あたしからメッセージ来てるかも、とか思ったりしねぇのか』

『月曜覚悟しとけよ』

《なにかわからない生き物が怒っている恐ろしいスタンプ》


 そんな感じで連投されていたメッセージは、今から三十分ほど前の『もういい』という四文字と、ウサギが拗ねている可愛いスタンプを最後に止まっているのだった。

 焦る僕はすぐに『ごめん! 寝ちゃってて! メッセージありがとう!』という文字と可愛いウサギの動画リンクを貼り付けて返答してみたところ一瞬で既読表示に変わった。

 そして手に汗を握りながら西園寺さんからの返信を待っていると、『今回はこの可愛いウサちゃんに免じて許してやるか。明日朝からバイトだからもう寝る』というメッセージが送られてきたのだった。

 ほっと胸をなでおろした僕がスマホから目を離すと二心と目が合った。彼女は様子がおかしい僕をじっと観察していたようだ。

「大丈夫? お母様になにかあったの?」

「えぇ?! な、なんでもない。大丈夫だよ……。あ、そうだ。西園寺亜理紗さんってモデルさん知ってる? 二心と同じ事務所らしいけど」

「西園寺……。知らないけど。なんで?」

「明日会いに行く人が、その人と仲良くてね。この前のモールで二心の姿で会ったときに、西園寺さんのこと知ってるか聞かれたんだ。焦っちゃって、思わず知らない感じで答えちゃったから気になってて……」

「そういうことね。同じ事務所なら会ったことあるのかしら?」

「一度だけ現場で一緒になったことあるみたいだよ。彼女、二心のことすごい尊敬しているみたいでさ。二心に憧れて同じ事務所入ったくらいだから、そのときは緊張して挨拶もできなかったんだって。それで、いつか現場で会ったら話してあげて欲しいってお願いされて、オーケーしちゃったんだけど……。よかった?」

「ったく、もう……。わかったわ。もしその……西園寺さん? に声かけられたら話合わせといてあげる。できる限りだけど」

「ありがとう。でも、その……大丈夫だと思うけど、優しくしてあげてね。威圧したり冷たくしたりしないでよ?」

「しないし! サブは私をどんな人間だと思ってんの? 心配しなくても外での礼節はわきまえてるつもりだから問題ないし。ちなみに、私が初対面の人に言われる感想、第一位がなにかわかる?」

「なんだろ……。『想像してたより、でかいんですね』かな」

「違うわよ! 『想像してたより、優しいんですね』よ! そんなことより、あんたはとりあえず明日の心配でもしてなさい」

「そ、そうだよね。今はそっちのほうが心配だった。でも、本当に二心がいなくても大丈夫かな。自分でメイクするなんて緊張するよ」

「私のお墨付きがあるんだから大丈夫。動画も撮ったから安心でしょ? 仕草とかも前よりは女性っぽくなれたし、普通に立ったり歩いたりするくらいなら問題ないわ。それに! この私が直々に指導するなんて本当ならすんごい高い授業料いるんだから、感謝しなさい」

「ま、まあ、それは確かにそうだろうね。ありがとう」

「そろそろ私も着替えたいから、もう終わりましょう。今日もお母様は遅くなるって言ってたから、そのまま下に行って洗濯カゴにその服脱いで入れといてちょうだい。ついでにお風呂でメイクも落としてきたら?」

「ありがとう。そうするよ」

 二心に追い出されるように部屋を出て階段を降り、風呂場へと向かう僕。

 しかし喉がかわいていたことを思い出し、先に冷蔵庫へ向かおうとリビングの扉を開けた、そのとき――僕はまったく想定外の最悪な事態に遭遇してしまった。

「か、母……様? と、一蓮……お姉様?!」

 そう。なぜかそこにいないはずの母と長女が、テーブルで食事をしていたのだ。

 その瞬間、僕は頭の中をフル回転させる。


(まずい、まずい、まずい、まずい! これは非常にまずいぞ! この状況、どう言い訳する?! 二心で押し通すか? いや、通せるのか?! さすがにこの二人を騙すには無理がある! まずは、向こうの一言目を待つしかない――)


「あら、二心。どこか行くの?」


(よぉぉぉぉし! 母さんは、気づいてない! 一蓮姉さんも驚いた顔はしてないから、大丈夫だ! 二人とも完全に、僕を二心だと思ってるぞ。少しだけ会話して、ボロがでる前に上に戻ろう――)


「二心? 聞いてる?」

「ご、ごめんなさい。誰もいないと思ってたから、ちょっとびっくりして」

「今日は外で一蓮と食事する予定だったんだけど、行きたかったお店の予約が取れなかったから帰ってきたのよ。二心はこんな夜遅くからお出かけなの?」

「え? ど、どうして? 私はどこにも行かないけど……」

「そうなの? 綺麗なお洋服着てるから、どこかに行くのかと思ったわ」

「これは衣装のチェックをしてて……。あ、一蓮お姉様も久しぶり。来てたんだぁ」

「うふふ。二心さん、相変わらずお可愛いですね。学校とお仕事は順調ですか?」

「うん。どちらも問題ないよ。充実してる」

「それはよかった。でも……。お風邪ですか?」

「風邪? 私は元気だよ?」

「それならよいのですが……。なんだか、いつもと違うお声のような気がして――」


 僕の姉、鈴木一蓮――本来、母の会社を継ぐはずだった人だ。母はそのつもりで、一蓮姉さんには二心以上の英才教育をしていたらしい。しかし両親の離婚を機に、姉は父と暮らすことを選択し、そのときに後継ぎの話も断ったと聞いていた。その表向きの理由は父の家が大学に近かったからということだったが、本当の理由はだらしない父を一人にするのが心配だったからだと僕は思っている。というのも一蓮姉さんは『聖母様』というあだ名をつけられたことがあるほどの優しい人で、困っている人を放っておけないタイプだったからだ。同時に、そのおっとりした性格に似合わずとても頑固で、一度決めたことを曲げることがない人だった。母もそれがわかっていたため、彼女の決断を仕方なく了承したのだろう。

 しかし一蓮姉さんと別れて暮らすと決まったときの二心の反発はすごかった。姉が大好きだった二心は納得できず、一緒にこの家を出て行くと言い出すほどだったのだ。

 そのあと一蓮姉さんが数日説得してなんとか承諾させたらしいが、今でもそんな二心が心配なのか、もしくは後継ぎを任せたことに負い目を感じているのか、なにかと理由をつけては頻繁に顔を見せに来てくれている。

 そんな一蓮姉さんは、はっきりとした洋風な顔立ちの二心とは真逆の和風美人。また、いつも笑顔を絶やさない人で、今まで一度も怒ったところを見せたことがない。口調もゆったりとした癒し系タイプといえよう。

 ただ、二心以上にお嬢様として育てられたことが原因なのか、超がつくほどの天然だからなのか、なぜか僕たちにも敬語で話す変わった人でもあった――。


「二心さんが大好きな、いつものケーキ買ってきましたよ。三郎さんも呼んで一緒にいただきませんか?」

「やった。あ、でもちょっと用事思い出したから、一回部屋に戻るね。あとでまた来る」


(やったぞぉぉぉぉぉぉぉぉ! うまく回避した! しかし危なかった。声が違うのも気づかれそうだったし、もう限界だ。あとは早く部屋に戻って二心と入れ替わろう――)


 そう安堵した瞬間。非情にもガチャリと開くドア。

 それは更に最悪な事態を引き起こす。

 なにも知らない二心がリビングへ現れてしまったのだ。

「あぁ、お腹減ったわ。冷蔵庫になにかあったかしら――」

 まるでドラマのワンシーンかのように、箸でつまんでいたおかずをポトリと落とす母と長女が目に入る。もしかすると二人は『うちの双子は一卵性だったかしら? いや、そんなはずないじゃない』なんてことを考えながら混乱しているのかもしれない。しかし今、確実にこの部屋には二人の二心がいる。

 同時にそれは僕の努力、その全てが水の泡と消えた瞬間だった。

 四人ともが口をあんぐりと空けたまま、数秒沈黙が続く。

 そして最初に口を開いたのは二心だった。

「あ、あらぁ、一蓮お姉様、久しぶりぃ! 来てたんだぁ……」


(ちょっと二心さん? それ、僕がさっき言ったし。いやそんなことより、この状況わかってる? どうして、そんな冷静に話しができるんだ? あまりの衝撃に頭がおかしくなったのか? いや、待てよ……。これはもしかして『別に普通のことですよ』的な感じで押し通す作戦か? なるほど、さすが二心だ! よし! 僕もその策に乗っかろうじゃないか――)


 なんて考えは甘かった。そんな策が母に通じるわけがない。

「あなたたち、どういうことか説明してもらおうかしら……」

「やっぱ無理かぁぁぁぁ!」

 そう叫びながら、膝をつき崩れ落ちる二心。同時に僕も腰が抜けたように座り込む。

 そして一連姉さんは……。

「お母様。説明いただく前に、どちらが本物の二心さんか当てっこしませんか?」

 楽しそうに、そう提案するのだった。

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