第10話

 友達申請が却下された日から数日経った金曜日。

 今日まで僕は、一度も雨宮さんと言葉を交わしていない。あのとき、雨宮さんは僕にまだなにか言いたげではあったが、先生に私語を慎むよう注意されたことで会話が途切れ、結果、あの言葉が最後となっていたのだ。それ以降、僕はずっと意気消沈したままだ。ずっと心がモヤモヤしたままで、吹っ切ることができない。

 そして今日の昼休み。僕は昼食も摂らないままですぐに教室を出ることにした。それは食欲がなかったということもあったが、それよりも雨宮さんと同じ教室にいることが耐えられなかったのだ。


(癒しが欲しい――)


 そう思った僕は、綺麗な草花でも見ようかと花壇のある中庭へ向かう。だが足取りは重い。その姿はまるで墓から這い出たゾンビが歩いているかのようだ。

 そして心の中で自問自答を繰り返す。


(どうしてこんなに落ち込む必要がある? 雨宮さんは男子と友達にはなれないと言ってたんだから、当然の答えだろ? それに、よく考えてみろ。彼女は『好きな人を助けるために殴った』と言っていたが、その『好きな人』って本当に僕のことだったのか? だって、彼らがいじめてた相手は、僕だけだったとは限らないじゃないか。もしかしたら雨宮さんは、僕以外の誰を助けるために彼を殴ったのかもしれない。そうだ。きっとそうだったに違いない。それにだ。雨宮さんと友達になれなかったとして、それがなんだっていうんだ。僕は元からぼっちだったし、今までとなにも変わらない日々に戻るだけ。まったくノーダメージじゃないか。愛の告白をして振られたわけでもあるまいし――)


 そんな強がりで自分を励ましてはみたのだが……。曇った気持ちは晴れやしない。

 そして校舎に囲まれた広い中庭に到着すると、南東の角にある藤棚の下へと向かう。そこにある真っ白なベンチこそが僕のお気に入りの場所。そこからは中庭にある全ての花壇が一望でき、それをのんびりと眺めることで心が癒される場所だったのだ――。


 そのまま三十分ほどが経過しただろうか。

 その間なにかを考えているようで、なにも考えていなかった僕。でもそれがいい。そうしているだけでも、心が少し落ち着いたような気がしたのだ。そして――。

「お腹減ったな……」

 と呟きながら、そろそろ教室へ戻ろうかと思ったそのとき、突然隣に誰かが座った。


(この広い中庭で、どうして隣に? 他のベンチもいっぱい空いてるのに――)


 そう混乱しながらもすぐに立ち上がりその場から離れようと思った矢先、ぐっと腕をつかまれ再びベンチに引き戻される。そして耳に入ってきたのは聞き覚えのある声だった。

「美月になんかしたのか?」

 西園寺さんだ。雨宮さんの姿はない。

 一人でやってきた彼女は、なにやら僕を詰問するつもりのようだ。しかしその意味不明な行動に、僕はイラつきを隠すことができない。

「いきなりなんのこと? 僕はなにもしてないよ」

「しただろ。この前の生物の実験のときだよ」

「だから、なにもしてないよ。どうしてそう思うのさ」

「あの授業のあとくらいから、美月の様子が変なんだよ。本人に聞いても大丈夫って言うだけで、なんにも言わねえしな。もしなにかあったとしたら、あたしが目を離したあの実験のときしか考えられねえんだ。だから三郎! 犯人はお前だ!」

「犯人って……。本人が大丈夫って言ってたんでしょ?」

「いや、あれは大丈夫じゃねぇよ。あたしは長い付き合いだからわかるんだ。停学明けのときと同じで、なんか落ち込んでるけど無理してる感じで――」

「落ち込んでるのはこっちだよ!」


(しまった! つい余計なことを言ってしまった。でも、もう後戻りできない――)


「三郎が? なんでお前が落ち込むんだ」

「それは……その……断られたからだよ」

「こ、断られた……って、まさか! 告ったのか?!」

「こ……ここここ、告ってないよ! ち、違うから!」

「はぁ? そんじゃあ、なにを断られたんだよ」

「それは……と、とも……だちに……」

「なんだって? よく聞こえねぇ」

「友達さ! 友達になりたいって言ったんだ!」

「……え? 友達? 恋人じゃなくて? 友達?」

「そうだよ……。友達だよ」

「友達になりたいって言ったのか? 実験中に?」

「だから、そうだって! だけど断られたんだ! 実験中に!」

「なんだよ……。そういうことか」

「はいはい。今、陰キャ野郎のクセに無謀なことするからだって思ったんでしょ? 笑いたかったら笑えばいいさ! 自分でもわかってるから!」

「いや、別に笑ったりしないから興奮すんなって。どうしたんだよ、いったい」

「どうもしないよ! ぼっちが勘違いして調子に乗って撃沈した。よくある話さ!」

「三郎……。もしかして泣いてるのか?」

「たった今、西園寺さんに泣かされたんだよ!」

「あたしが泣かせた? そりゃ悪かったから落ち着けって。ほら、これ使っていいから」

 そう言ってハンカチを差し出す西園寺さん。しかしそれは柄に合わない、ウサギの刺繍が入った可愛いピンクのハンカチだった。それを見た僕は思わず吹き出してしまう。

「なんだよ。今度は笑ってるのか? お前、頭大丈夫か?」

「いや、ごめん。もう大丈夫だよ。西園寺さんのおかげでちょっと落ち着いたから……」

「はぁ? 泣いたり笑ったり意味わかんねぇ。情緒不安定すぎるだろ」

「それにしてもこのハンカチ、めっちゃ湿ってるね」

「なっ! ハ、ハンカチなんだから使ったら濡れるし、仕方ねぇだろ! っていうか、思っても言うなよそれは! 失礼だから!」

「ご、ごめん。でも、これビチョビチョだから。こんなビチョビチョなの借すかな。普通」

「ビチョビチョって何回も言うな! 嫌なら返せよ!」

 そんなふざけた言い合いをしながら、僕たちは笑いが止まらなくなるのだった――。

 一頻り笑ったあと、西園寺さんは少し真面目な顔になる。そして続けて口に出したのは、いつになく優しい言葉だった。

「元気だせよ。三郎」

 それは短いながらも心に響く言葉だった。やはり西園寺さんは根が優しい人なのだろう。

「うん。もう元気でたよ。ありがとう」

「ああ。……それでさ。嫌なら言わなくていいけど、断られた理由ってなんだったんだ?」

「理由は聞けなかったな。単純に僕が嫌なのかも」

「まあ……これは推測だけど、三郎自身の問題じゃないと思うぞ。だって美月は、男子の友達一人もいないからな。男子とつるんでるの、あんま見たことないだろ?」

「確かにそうだね。でも、実は僕にも教えてくれたんだ。その理由については」

「美月が……話した? 三郎に? なんだって?」

「男性恐怖症だって教えてくれたよ」

「そうなった理由も言ったのか?」

「ううん。それは聞いてないよ。聞かない方がいいと思ったし。それと、男性恐怖症のことは家族以外だと先生と西園寺さんだけが知ってて、誰にも内緒って言ってたね」

「そっか……。美月があたし以外に教えるなんて驚いたな。でもなんで三郎には話したんだろう」

「それはわからないけど、僕も不思議だった。でも雨宮さんは、男性が苦手だけど僕だけはなぜか平気だって言ってた。だから話してくれたのかもしれないね」

「へぇ……。でもなんか、わかるな。確かにあたしも三郎は話し易い気がする。異性として見れない、みたいな? お前のいいところかもな」

「それって、褒めてくれてるんだよね?」

「でもさぁ。なんで美月とダチになりたいって思ったんだ?」

「この前、自分を犠牲にして僕を助けてくれてさ。あの姿にすごく感動したんだ。それで、この人と友達になりたいって思ったから。それと、僕はこんなだから女子とは緊張してうまく話せないんだけど、雨宮さんとはなぜか普通に話せたんだ。そんなの初めてだったし」

「なるほどなぁ。でも……それって、あたしもじゃね?」

「あたしもって、どういうこと?」

「だって、あたしとも普通に話せてんじゃん」

「……ほ、本当だ。確かに!」

 すると西園寺さんは、出し抜けにスマホを取り出したかと思うと僕に差し出してきた。そのぶっきら棒で目も合わせない仕草に、僕は思わず勘違いしてしまう。

「なに……? も、もしかして、新手のかつあげ?! 電子マネーで?!」

「ちげえよ! んなわけねぇだろ!」

「じゃ、じゃあ、なに?」

「わかるだろ?! 連絡先!」

「……え? ぼ、僕と交換してくるの?!」

「美月が駄目だったんなら、あたしがダチになってやるってことだよ。あたしとなら普通に話せるんだろ? べ、別に、あたしは美月みたいに可愛くないし、女っぽくねぇし、嫌なら無理にとは言わねぇけどよ……」

「嫌じゃないよ! 全然嫌じゃないから! ありがとう!」

「わ、わかったから、ほらっ! 誰かに見られたら恥ずいし、早くしろ! このアプリのIDくらい持ってんだろ?」

「う、うん。持ってるけど、登録の仕方がわからなくて……」

「ったく、仕方ねぇな。ちょっと貸してみろ。ほら、こうやってやるんだよ。簡単だろ? なんだ、この女の子のアイコン。アニメのキャラか? 期待裏切らねぇな! あははは」

「西園寺さんは……。ウサギの写真って……」

「な、なんだよ! 家で飼ってるモコちゃん三歳だよ。可愛いだろ?」

「モコちゃん? もしかして西園寺さんが名前付けたの?」

「そうだよ。モコモコしてっからモコちゃんで……。悪いか!」

「あははは。全然悪くないよ。可愛いね。でも僕は西園寺さんには裏切られっぱなしだよ。いい意味でだけど」

「そりゃ、どういう意味だよ……。そんなことよりダチになった記念に二人で写メ撮ろうぜ。写メ」

「ぼ、僕と?!」

「他に誰がいるんだよ。ほらっ。もうちょっと近くに来いって――」


 そんなやり取りをしているうちに、僕の心はいつの間にか晴天になっていた。

 なぜならそれは、高校生になって初めての友達ができたからだろう。

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