第2章

第8話

 今は五月下旬。外も暖かくなり始め、下敷きを揺らして暑さを凌ぎたくなるそんな頃。だが僕だけは違う意味で全身が熱くなっていた。

 それもそのはず、今すぐ傍に、一昨日僕のことが好きだと告白した女子がいるからだ。こんな状況で、この僕に平常心が保てるはずもない。

 しかし残念ながら、その告白は僕自身にされたものではなく、僕が変装した二心にされたもの。そしてそれは偶然だったとはいえ、彼女を騙したようなかたちで聞いてしまった秘密の話だ。その罪の意識にさいなまれ、僕は激しく後悔していた。

 だがしかし僕も健全な男子高校生。女子から好きと言われて嬉しくないわけがない。変に意識してしまい、気がつけば彼女のことを目で追っているのだ。そしてもし雨宮さんとお付き合いすることになったら……なんて妄想が暴走し、にやけてしまう。

 そんな真逆の感情が交互に押し寄せ、僕の頭はショート寸前となっていたのだ――。


「亜理紗、聞いて! また二心ちゃんと会っちゃったよ!」

 ここは天河高等学院の生物室。それは本日二限目が始まる前のことだった。

 皆が六名ずつの班に別れて実験器具を準備し終わると、雨宮さんはテンション高く、同じ班で向かいの席に座る西園寺さんに、二心と遭遇した出来事を嬉しそうに語り始めた。当然ながら僕が好きだと告白したエピソードはカットされてはいるが。

 ただこれは、別に二人の会話を盗み聞きしているわけではない。六つの班が前後二列に分かれており、その前列中央にある僕の班は廊下側にある雨宮さんの班の隣で、しかも背中合わせの席だった。そのため、聞きたくなくても勝手に僕の耳に入ってくるのだ。

「あ、そうだ。二心ちゃんに亜理紗のこと話したら、今度現場であったときは声かけて欲しいって言ってたよ」

「え? あたしに? マジ?」

「現場ではピリピリしてるから怖い感じになってたかもって。でもそんな二心ちゃん、想像できないなぁ。実際話してみたら、すんごい優しい感じだったしね。だから亜理紗も、今度会ったら声かけてみなよ」

「じゃあ、頑張ってみるよ。や、やべぇ。考えただけで緊張してきた」

「あははは。ほんと、好きなんだね」

「当たり前だよ。あたしがモデルになろうと思ったのも、雑誌で二心の写真見たからだし」

「そうなの? 知らなかった」

「二心って背が高かったろ?」

「うん。びっくりした! 亜理紗より高かったし、一七五以上あるんじゃないかな」

「プロフだと一七三ってなってたから、靴履いてたらそうかもな。だけどさ、可愛い服似合ってるじゃん」

「確かに可愛い系だった。でも変じゃなかったし、すんごい似合ってたね」

「だろ? だからさ、こんなあたしでも可愛くなれるかも、って勇気もらえたんだよ。小さいときから背が高くて、男子にもよくからかわれてたしな。それで自信がついたあたしは、憧れてた二心と同じ事務所に入ったんだ――」

 その話を聞いた僕は、二心との会話を思い出していた。あえて可愛い服を選んで着る意味を説明してくれた、あの会話のことを。そして西園寺さんの話を聞いて、僕は二心のことが誇らしく思えたのだった。

 そのとき、二限目のチャイムが鳴り生物の担任が入ってくる。するとその先生はなぜかすぐに授業を開始せずに、全体を見渡しなにかを気にしている様子を見せた。そして突然、僕に声をかけてくるのだった。

「鈴木は廊下側の班に移動してくれるか? 今日は二人一組で実験してもらうから、鈴木が移動したらどちらも偶数になるからな」

 その指示を聞いた僕は耳を疑った。というのも、先生が移動先として指示したのは、雨宮さんの隣の席だったからだ。今日の欠席者は二名だけで、偶然にも僕の隣と雨宮さんの隣が欠席だったというわけだ。

 しかしその指示を断るわけにもいかない僕は、仕方なく荷物を持って移動しようと重い腰を上げた、そのとき――突如手を挙げた西園寺さんが妙なことを言い出した。

「せ、先生! あたしがそっちに移動するよ! それでも偶数になるだろ?」

「なんだ、西園寺。そんなに鈴木と実験したいのか?」

 その的確な突っ込みに教室内が爆笑となり、同時に僕の顔は真っ赤になった。

 それもそのはず、西園寺さんが移動したいと宣言したのは僕の隣だったわけで、誰がどう考えても『僕と実験したい』という結論になるからだ。

 するとその騒ぎの中、続けて雨宮さんが大きな声を出した。

「ちょっと、亜理紗! 私から鈴木くんを取らないでよ! 彼と組むのは私なんだから!」

 それは明らかに冗談だとわかる言い回しだ。その結果、西園寺さんと雨宮さんが『僕を取り合う』という即興コントをしたようなかたちになったため、教室内は再び爆笑となった。そして他の生徒からの騒がしい突っ込みが飛び交う中、結局僕が雨宮さんの隣に移動することになるのだった。

 しかしそのとき、僕は気づいてしまう。皆に背を向けて座る西園寺さんは笑っていなかったということに。おそらく彼女は冗談ではなく、本気で僕の隣に移動したいと提案していたのだ。だがその真意が僕にはわからない。

 そんなことを考えながら西園寺さんの顔を見ていると、それに気づいた彼女はニヤリと表情を変える。そして口元に手をあてて小声でからかってくるのだった。

「よぉ、三郎……。美女二人に取り合いされた気分はどうだった?」

「……ど、どうもしないよ」

「勘違いして、美月に近づいたり声かけたりすんなよ。もし怪しい動きしたら、鉄壁の亜理紗ちゃんガードで阻止するからな」

 冗談だとはわかっていたが、その言い方に少しイラっとした僕は、ここ最近の二心とのやり取りがクセになっていたのか、思わず反射的に言い返してしまう。

「それじゃ実験できないよ。僕はどういたらいいの?」

 すると西園寺さんの気配が変わるのがわかった。もちろん悪い方向にだ。それに気づいた僕は、虎の尾を踏んでしまったと後悔するが後の祭り。彼女は片方の眉を吊り上げた迫力ある表情で僕を睨み始めるのだった。

「なんだ、三郎……。あたしに喧嘩売ろうっていうのか? てめぇは黙って美月の実験を見てりゃいいんだよ。そこから十歩下がったところでな!」

「それだと僕だけ廊下に出ちゃうんだけど……」

「おいおい、今日はよくしゃべるじゃねぇか。なんかいいことでもあったのか? でも、それ以上調子こいてっと――」

「あ! い、いい方法思いついた」

「は、はぁ? なんだよそれ」

 今ここで胸ぐらをつかまれボコられるわけにはいかず、僕は慌てて話題を逸らす。

「僕と西園寺さんが組めばいいんだよ。だったら雨宮さんに近づくことも声かけることもないから。西園寺さん、僕と実験したかったんだよね?」

「そ、そうだな。あたしと三郎で……って、そんなこと一言も言ってねぇだろ!」

 すると――。

「こらっ! そこ! 静かにしろ!」

 と、先生に注意され、僕たちの会話はそこで途切れる。同時に他の生徒たちも襟を正し、教室内は静寂を取り戻すのだった――。

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