第3話
結局その日は雨宮さんと話せないまま放課後となった。なぜなら彼女はずっと、西園寺さんをはじめとした友人たちとたむろしており、一人になる時間がなかったからだ。それならばと下校時を狙ってみたのだが、雨宮さんは放課後すぐにどこかへ行ってしまった。
仕方なく今日は諦めて、明日の朝に校門前で声をかけようと決めた僕は、誰もいない静かな下駄箱前で溜息をつきながら靴を履いた、そのとき――。
「おい、三郎! ちょっと待てよ!」
突然、背後から呼び止める声。驚き振り向くと、そこにいたのは西園寺さんだった。雨宮さんはおらず、彼女一人で下駄箱に背を預けるようにして立っている。そしてその顔は……明らかに不機嫌そうで、僕を睨んでいるように見えた。
「てめぇ、いったいどういうつもりだぁ?」
「え……。ど、どういう意味……かな」
そう冷静を装い返答しながらも、僕の内心は穏やかではない――。
(『てめぇ』っていつの時代の人?! 僕をいじめてた奴らよりガラ悪いんですけど! いや、ガラが悪いだけならまだよかった。『どういうつもりだ』と確認しにきたということはやはり、あの写真の二心は僕の変装だとばれたということだ。だとしたら、この状況は本当にまずい……。単に女装してただけなんて言い訳が通用するのだろうか。いやいや、それが通用したとしても、なにも解決しないじゃないか。でも、どうして一人で来たんだろう。もしかすると、まだ雨宮さんには言ってない? ってことはまさか、ばらされたくなかったら……なんて脅されるのか――)
そんな僕の不安をよそに、彼女の口から出たのは予想外の言葉だった。
「しらばっくれんなよ! 美月のことに決まってんだろうが! なにも言わずにこのまま帰るつもりか? 助けてもらったんなら、礼の一言くらいあってもいいだろ!」
「……え? そっちだった?」
「そ、そっちって、どっちだ! な、なんだよ、それ!」
彼女の反応を見て、僕は全てを理解した。
おそらくだが西園寺さんは今日一日、雨宮さんにお礼を言いにくる僕を、首を長くして今か今かと待っていたのだろう。しかしチキンな僕がなにも言わずに帰ろうとしたのを見て、業を煮やして声をかけてきたのだ。
本来ならこの流れは、怖い彼女に恫喝された僕が泣いてお詫びするような場面になるはずだったのかもしれない。しかし今の彼女を見ていると、思わず笑ってしまいそうになる。
というのも、西園寺さんとは小・中も同じ学校で、実は彼女は根が優しくて情に厚く、純粋で天然っぽいところがある人だと知っていたからだ。そのため、予想外の答えにオロオロしてしまう彼女は微笑ましく見えたのだ。
今でこそ彼女の見た目はヤンキーのようだが、中学に入るまではクラス代表に選ばれるほどの真面目な生徒だった。また、同じクラスになったときには、今みたいに友達を思って行動する場面を何度も見たことがあった。そういうところもあってか、僕は彼女を恐く思ったことはない。ただ、口が悪くなければよかったのだが――。
「おい! 聞いてんのか?!」
「ご、ごめん……」
「それ言う相手は、あたしじゃねぇだろ?」
「うん……」
「三郎のことは昔から知ってるし、いじめられてたことには同情するよ。美月が望むなら、あいつらが手出しできねぇように助けてやることもできるさ。でもな。その態度はおかしいんじゃねぇか? おめぇからしたら、美月が勝手にやったことかもしんねぇけどな……。でも、美月はおめぇを助けて停学になって、学歴に大きな傷が付いちまったんだ。なにか一言くらいあってもいいだろ!」
「……うん。ごめん」
僕は『明日言うつもりだった』という言葉を口に出すのはやめた。どんな理由だったにせよ、それは僕の身勝手な言い分だからだ。
「だから、あたしに謝ったって仕方ねぇって――」
そのときだった――。
「亜理紗。もういいから」
その声は雨宮さんだった。下駄箱の裏から突然現れた彼女が、割って入ってきたのだ。
僕たちの話をいつから聞いていたのかわからなかったが、その表情は今の状況を理解しているように見えた。
「亜理紗。私は大丈夫だから。言いたいことがあったら、自分で言うからさ」
「勝手に動いて悪かったよ……。でもなぁ。こいつの態度が許せなかったからさ。今日も美月のことチラチラ見てたクセになにも言ってこねぇし」
「でも、もしかしたらさぁ。鬼怖い亜理紗がずっと私の横にいて目を光らせてたから、鈴木くんも声かけ辛かったのかもしれないよ? あははは」
「まじかよ。あたしのせい? でも、そこは勇気だして声かけるべきだろ?」
「でも、亜理紗も二心ちゃんが恐くて声かけられなかったって言ってたじゃん」
「うっ! それとこれとは話が違う……と思うけど」
「あははは。ごめん、ごめん。今のは冗談。本当は亜理紗じゃなくて私が悪いんだよ。さっき亜理紗が言ったように、あれは私が勝手にやったことだし、逆に迷惑かけたかもしれない。だから、私はお礼言われるようなことしてないし、お礼言ってもらうために助けたわけでもないからさ。鈴木くんはなにも悪くないんだよ。ね?」
「……わかったよ。じゃ、この話はこれで終わりだ」
「いいね! そのわかり易い性格! 亜理紗のそういうところ好きだな!」
「もういいって。……んじゃ三郎、そういうことで。引き止めて悪かったな」
「あれ? 下の名前で呼んでるんだ……」
「こ、こいつとは小学校から一緒なんだよ。鈴木って何人かいてややこしかったから、みんな下の名前で呼んでただけで――」
「へぇー」
「な、なんだよ!」
「ううん。なんでもない。それじゃあ、行くね」
(雨宮さん、一度も僕と目を合わせてくれなかった……。彼女は『僕は悪くない』と言ってくれたけど、本心では僕の態度に失望したんだろうか。でもそれ以前に、彼女との間には大きな隔たりがあるように思う。それはやはり僕が男だからからもしれない。もし僕が西園寺さんのような女子だったら友達になれたのにかもしれないのに――)
ふとそんなことを考えながら、去って行く彼女の背中を見たとき、会話できるチャンスはこれが最後かもしれないと思った僕は、思わず大声で叫んでいた。
「雨宮さん!」
その言葉に足を止める二人。
そしてなぜか雨宮さんだけは振り返らずに背を向けたままだ。
「どうした? 美月」
不思議そうにする西園寺さんが声をかける。すると雨宮さんは、一瞬の間を置いたあと、ゆっくりと振り向き僕の方を見た。
「えっとぉ……。鈴木くん……。どうしたの?」
「あ、雨宮さん、助けてくれてありがとう! まだちゃんと、お礼言えてなかったから」
その言葉に、雨宮さんの表情は、ぱぁっと明るくなったように見えた。
「……うん。よかった! そう言ってもらえるならよかったよ。こちらこそありがと!」
そう嬉しそうに答えてくれた雨宮さんだが、なぜかあまり僕の目を見ようとしない。
ここで心折れそうになるが、なんとか踏ん張って次の言葉を搾り出す。
「そ、それで……。も、もし……その……」
「……ん? なに?」
「な、なんでもない! お礼が言いたかったから。さよなら!」
また逃げるように走り去ってしまう情けない僕。
『友達になって』、そのたった一言を言える勇気が欲しい。
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