第13話
私の言葉を静かに聞いていた先生は、「そっか。」と小さく呟いた。
そんな先生の反応が少し怖くなって、私は遮るように言葉を続ける。
「でも、どうせ辞められないし。私にはそんな度胸もないから、辞めようとは思ってないですけど。」
学校を辞めたい。
そう思ったところで、現実的にそれが難しいのは分かっている。
きっと両親はそんなこと許さないし、もし学校を辞めたとしてもこの先の人生どうするのか、自分自身解決出来ない問題の山積みで逃げ場など何処にも無い。
いくら悩んでも、結果は同じだった。
結局、私は学校を辞めることなんて出来ないのだ。
【高卒】という証は、何の能力も持たない私が生きていくために必要な証だということは頭では理解しているつもりだ。
それでも、心が追いつかない。
「こんな場所を卒業したら、なんか変わるんですかね?」
別に酷い虐めに遭っているわけじゃないし、病気を抱えて大変な学校生活を送っているわけじゃない。
それでも、毎日自分が擦り減っていく苦痛に耐えられなくなりそうだった。
こんな思いしてまで必死に学校へ行った先に一体何があるのか、それはどんな意味を持つのだろうか。
「うーん、どうだろう。」
先生は私の言葉について少し考え込むように、顎に片手を当てて首を傾げた。
そして、暫くすると何か決意したように口を開く。
「こうゆうのは人それぞれだから、何が正しいとかは無いと思うの。学校辞めて良かったという人も居れば、学校辞めて後悔したという人も居ると思うからね。」
先程、教室で授業を行っていた数学教師の神経質な声よりも、先生の穏やかなソプラノの声の方がよっぽど耳に馴染む。
「私も高校生の頃ね、学校を辞めようと思ってたの。」
「え?」
先生の意外な言葉に、私は思わず目を見開いた。
「実は、私ね。昔から身体が弱くて、よく学校休んだりとかしてなかなか友達が出来なくて…。賑やかな教室で一人ぼっちで居るのって凄く居心地悪いし、体育とか休むとすぐサボりとか言われたりして。」
知らなかった先生の過去の話に、少し驚く。
確かに先生はいつもカーディガンを羽織っているにも関わらず、腕なんて折れてしまいそうな程に細身だった。
線の細い輪郭は触れたら消えてしまいそうでいて、その肌は太陽の光を知らないように白い。
美しいけれど少し病的にも感じる先生の見た目は、身体が弱いというのも納得がいく。
「こんな風に、なりたくてなってるわけじゃないのに。皆から見たら、私は世界に馴染めない部外者みたいなね。アウトサイダーって言うのかな?」
その言葉に、酷く共感した。
私も、いつだって世界に馴染めない部外者だからだ。
その疎外感と孤独の中で、何も感じぜずに生きていけるほど強くはなかった。
だからこそ、生きづらくて仕方ない。
「でも、今はあの時辞めなくて良かったと思ってるよ。」
あっさりとそれでいて噛み締めるようにそう言った先生の言葉に、私は落としていた視線を上げる。
何処か遠くを見つめながら話す先生の横顔は、やっぱり穏やかなままだった。
「学生時代を思い返せばね、確かに良い思い出よりも大変だったなと思う事の方が多かった。でも今になって、学校を卒業してなかったら、もっとこの世界に馴染めてないような気がしてたようにも思うの。」
「………。」
私はただひたすらに、先生の話を聞いていた。
先生の話すことを全て理解することは出来なかったけれど、絶対に聞き漏らしてはいけない大事なことのような気がする。
「きっと星守さんは真面目な人だから、色々考えて自分にとって良い選択をすることが出来ると思う。だから、いつか先の未来でその選択をして良かったなって思える日が来たらいいね。」
そう言うと先生は、私に向かって緩く瞳を細めて微笑んだ。
窓から差し込んだ柔らかい光が先生に当たって、その色素の薄い髪を照らす。
その光景が酷く、眩しく見えた。
先生に見惚れるように自然と無言になっていた私を見ると、先生はハッとしたように慌てて口を開く。
「…って、なんか全然質問の答えになってない?上手く答えられなくて、ごめんなさい。」
先生はやってしまったと言うように自分の頭を片手で押さえて、「たかが養護教諭にこんなこと言われてもだよね…」なんて見当違いなネガティブな発言をしている。
その姿は私が憧れるちゃんとした大人の理想像に、人間らしさが垣間見えて私はもっと先生のことが好きになった。
そんな先生に向かって、私は素直に口を開く。
「いえ、先生に話してみて良かったです。」
子供扱いでも大人扱いでもなく、ちゃんと私を一人の人として扱ってくれる。
それが、ただ嬉しかった。
こんな風に親身になって話を聞いてくれる大人なんて、私の身近には先生しか居ない。
私の言葉に先生は少し目を見開いてから、眉をハの字にして照れたように「それなら良かった。」と溢す。
「…先生でも、そんな事思うんですね。」
「当たり前じゃない。人間だもの。」
ふふっと笑った先生は、凄く格好良く見えた。
こんな大人になりたいと思った。
キーンコーンカーンコーンと授業の終わりを知らせる鐘が鳴り、次第に校内が騒がしくなり始めても、私と先生は暫く肩を並べたまま長椅子に座っていた。
カァーカァーという烏の声で、現実に戻されるように目を覚ます。
視界に映ったのはぐちゃぐちゃに皺の寄ったシーツと、ベッドの端に移動していた枕だった。
パチパチと瞬きをしてから目を擦り、ベッドに寝転んだままの体勢でグッと背を伸ばす。
その拍子に枕元に置いてあったスマホに手が当たり、なんとなくそれを掴んで画面を確認すれば時刻は十五時半を示していた。
それに驚いて、バッと勢い良く起き上がる。
「もう、こんな時間なんて嘘でしょ…?」
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