第14話

今日は仕事が休みなので、アラームをかけることなく好きな時間まで寝てしまおうとは思っていたけれど、まさか夕方まで寝ているとは。


自分でも呆れるくらいの体たらくさに、思わず片手で額を抑えた。


せっかくの休みなのに、とことん時間を無駄にした気がする。


しかし、いくら後悔したところで過ぎてしまった時間はもう戻らない。


そう諦めて、スマホの画面を閉じた。


真っ黒になった画面には情けない表情をする自分が映っていて、なんだか気分がまた下がる。


「はぁー…」と溜め息を吐いて、ベッドから這いずるように出るとその足で洗面台まで向かった。


蛇口を捻って水を出し、バシャリッと冷水を顔に打ち付けると、目だけでなく心まで冴えていくような気持ちになる。


また、懐かしい夢を見ていたような気がする。


千宙と関わり始めてからだろうか、最近よく学生時代の夢を見るのだ。


まるで、過去にあった出来事を辿るように、何度も保健室と先生が出てきてあの頃の日常を繰り返す。


しかし、夢から醒めるとあの頃とは違う今の日常が広がっていて、学校を卒業して一年以上の月日が経っていることを目の当たりにする。


学生の頃は、一日でも早く学校を卒業したくて仕方なかった。


けれど、卒業してからも何の代わり映えしない味気ない日々が続き、人生ってこんなものかと少し絶望する。


洗面台で顔を洗ってから居間に向かおうと廊下を歩く、その途中で中途半端に襖が開けられた部屋が目に付いた。


四方八方を本棚に囲まれて、大量の本が並ぶ部屋に気まぐれに足を踏み入れれば、室内に漂う本特有の匂いが鼻を掠めた。


本棚から学生時代に読んでいた小説を適当に手に取り、パラパラとページを捲る。


そして、ふと思った。


多分、私は密かに期待していたんだと思う。


学生の頃、散々読んでいた青春小説の中のような日々とは程遠い私の日常。


それでも、学校を卒業さえ出来れば何か、私にも小説の世界のような奇跡が起こりはしないかと馬鹿みたいなことを夢に見ていたのだ。


学生の頃の私が無意識に青春小説ばかり読んでいたのも、きっとそのいつかを夢見て憧れてしまっていたからだろう。


小説は私にとって、希望の象徴だったのだ。


「はぁー…」起きてから二度目の溜め息を吐いて、持っていた小説をパタンと閉じる。


それを本棚に戻して、部屋を出た。


なんでこんなにも、あの頃のことを思い出すのか分からないけど、酷く胸がざわつく気がする。


そのまま台所まで移動し、いつもの流れで冷蔵庫を確認すれば、中身は可哀想なくらいに空っぽだった。


「マジか…。」


ここの所、面倒臭さがって冷凍食品でなんとか食い繋いでいたけれど、流石に底を尽きたらしい。


今日こそは、スーパーへ買い物に行かないと確実に死活問題だ。


今日食べる夕飯の材料さえも無い。


こんな休日の夕方に、わざわざ動きたくはないけれど仕方ない。


軽く身なりを整えてから、寝すぎて固まった身体を引き摺るようにして私は自宅を出た。











外へ出ると、全身に降り注ぐ太陽の光が眩しかった。


夕方と言えど、随分と日が伸びたように感じる。


木々は青青と生い茂り、季節はもうすっかり夏への入口に差し掛かっていた。


いつも買い物へ行くスーパーは、私の職場のスーパーとは別の真逆の方向にある。


というのも、こちらのスーパーの方が買いたい食材が少しだけお買い得なのだ。


出費はなるべく安く抑えたい。


暫く歩いていると、もう夕方ということもあってか、ちらほら制服姿の学生と擦れ違う。


真っ黒な学ランに縫い付けられた鈍い金色のボタンには、桜の花の校章が彫られていた。


よくよく見れば、千宙が着ている制服と同じものだ。


それは私の母校の制服でもあって、目的のスーパーを少し先に行ったところには私が三年間通った高校がある。


先程まで夢で見ていたからだろうか、再び学生の頃の記憶が蘇った。


そして、そんな自分に呆れる。


私は一体、いつまでこの学生時代の記憶に囚われているのだろう。


そんなことを考えていたら、ようやく目的のスーパーが見えて来た。


すぐに思考を切り替えようと、足を早めたその時。


「千宙ー!」


不意に何処からか聞こえてきたその名前に、ギョッとして思わず足を止める。


すぐさま声の方へと視線を向ければ、髪を派手に金色に染めて制服を着崩したヤンチャそうな奴が一人の男子生徒に向かって走って行った。


「お前、最近ノリ悪くね!?そんな毎日何処行ってんだよ?」


ヤンチャそうな金髪は下校中の学生たちの中でも一際目立っていて、周囲に居た学生も彼の行動が気になるようだった。


どれだけ目立っていても堂々とした態度を崩さないヤンチャそうな金髪は、所謂スクールカーストのトップに居るのだと一目で分かる。


そんなヤンチャな金髪が一人の男子生徒に馴れ馴れしく肩を組めば、乱雑にその手を振り払われた。


「別に、何処だっていーだろ。」


不機嫌そうに眉を寄せて振り向いたのは、三日に一度くらいの高頻度で我が家にやって来る千宙だった。


突然の千宙との遭遇に、何故か私は慌ててすぐ近くにあった電柱の影に隠れた。


そして、電柱の影に隠れながら金髪に絡まれている千宙をコソコソと盗み見る。


千宙は相変わらずの無表情で、ヤンチャそうな金髪を相手にしてもその飄々とした態度を崩さなかった。


派手で存在感のある金髪とは正反対に、艶やかな黒髪に冷たい瞳。


全く違った雰囲気を持つ二人が、道の端で向かい合っている。


二人の関係は分からないが、下校する学生たちの注目の的になっているのは確かだ。


そんな二人の様子を電柱の影から盗み見ながら、ふと私は当初の目的を思い出した。


…あれ?私、こんな所で何やってるんだっけ?


ただ食材を買いにスーパーにやって来たはずなのに、いつの間にか隠れるようにコソコソと男子高校生を盗み見てるなんて、我ながらドン引く。


こんな行動を無意識にやってしまうなんて、普段の私だったら絶対に有り得ない。


自分自身何をやっているんだと思いながらも、こんな学生だらけの場所で千宙に会ったらどう反応して良いのか分からなかった。

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