夢から醒めても。

第12話

「えー、次の問題はXが…」


そう呑気に続ける数学教師の声が響く教室内で、何処からかヒソヒソと嗤う声が混じってきた。


「武田、お前負けたから罰ゲームな。」


「マジかよ!?お前のやつ容赦ねぇじゃん!」


まともに勉強する奴の方が少ない授業中は寝ている生徒が大半だけど、時にこうやってくだらない賭けやゲームに勤しむ輩もいる。


「罰ゲームはクラスの陰キャに告る。」


「はぁー!?キッツ!無理だし!」


「うわー、エグいってそれ。」


密かに話しているつもりだろうけど、数学教師の神経質な声よりも荒っぽい彼らの話し方は教室内で分かりやすく浮いていた。


数学教師もその声には気付いているとは思うけど、面倒なのか教科書に視線を落とし、気付かないフリをして授業を続けている。


よくあるいつもの光景だ。


廊下側の後ろの席にまとまった男三人は、だらしなく制服を着崩して椅子にふんぞりながら会話を続ける。


「で、誰にする?」


「他人事だと思って!」


彼らと同じ後ろ席だからか、聞きたくもないろくでもない会話が嫌でも耳に入ってきてしまう。


学校特有のこうゆう雰囲気が、本当に苦手だ。


「じゃあ、星守さんとかは?」


そう一人の男が言った瞬間、息が止まった。


サァッと血の気が引くのを感じる。


「いいじゃん!いけよ!」


「うわー、それキツいってマジで!」


チラチラと廊下側の席から感じる視線を、気付かないフリをして必死に耐える。


授業をやっている数学教師の声の方が、彼らの声なんかよりも全然小さく感じた。


これだけ大きな声で盛り上がってる彼らの声は、きっと周りのクラスメイトにも聞こえているだろう。


そう思ったら、一気に周囲の視線も怖くなって無意識に呼吸が浅くなる。


板書をノートに書き込んでいた手には震えるほど力が入り、掌に爪先が食い込んで痛かった。


こんなの、公開処刑だ。


そんな私の様子など、知りもしない彼らはまた楽しげに話し出す。


酷く、気分が悪い。


確かにクラスに友達いないし、いつも一人ぼっちで息を殺して過ごしている私は、彼らが言う【陰キャ】なんだろう。


でも、なんで私がそこまで馬鹿にされなきゃいけないんだろう。


別に悪いことをしてきたわけじゃない、誰にも迷惑かけてない。


行きたくもない学校なんかに、毎日必死に行ってる。


それなのに、こんなに惨めな気持ちにさせられるなんてあんまりじゃないか。


こんな場所、さっさと辞めたい。


こんな奴らの顔なんて、二度と見たくない。


苦しい、苦しくて仕方ない。


早く、こんな場所から出してほしい。


死ぬ程そう願っているのに、私の心からの声はきっと誰にも届くことなんてないのだろう。


今日も誰かに助けを請う自分を、また心の中で殺す。


こんな場所にいたら、いつか本当に死んでしまいそうな気がする。


握り締めていたシャーペンの芯がノートに押し付けられて限界を迎えたのか、まるで私の心のように呆気なくポキッと折れた。


「先生、お腹痛いので保健室行っても良いですか?」


私は授業を続ける数学教師に、早口でそう言うと素早く立ち上がる。


例えその必死な様子を可怪しく思われたって、この空間から逃げ出せるなら何でもよかった。











シャーペンを強く握り締めていたせいか、若干痺れている右手でガラッと保健室のドアを開ける。


ドアを開けた先にはいつものように白い壁に囲まれた空間が広がっていて、その安心感からか先程まで苦しかった呼吸が少し落ち着いた。


「あら、星守さん。どうしたの?」


保健室内に置かれた机の上で、パソコンに向かって作業をしていた保健室の先生が、突然の私の訪問に顔を上げる。


保健室全体を見渡すと二つ並んだ白いベッドは無人で他の生徒の気配はなく、今ここに居る生徒は私だけのようだった。


窓から入り込んだ風が、ふわりとカーテンを膨らませて揺れる。


そよ風のような緩い時間が流れる保健室で、一人の時間に浸れる先生を少し羨ましく思った。


「ちょっと、お腹が痛くて。」


保健室に来る常套句のようにそう言えば、「確かに、少し顔色悪いかもね。」と先生は心配そうに言う。


体調が悪いのは、嘘じゃない。


それが病的なものなのかは分からないけど、学校に来て体調が良いと思った日なんて一日だって無い。


先生はパソコンに向き合っていた机から静かに立ち上がると、「座る?」と保健室に置いてある長椅子に手招きした。


その穏やかで耳馴染みの良い声に、教室で張り詰めていたものが少し緩んで溢れそうになってしまう。


それをなんとか耐えるようにグッと押し込んで、私は保健室の中へと足を踏み入れた。


先生が手招く長椅子に座ると、体温計を渡される。


それを、もう慣れたように受け取った。


保健室に体調不良で訪れた生徒は必ず体温計で体温を計り、氏名と共に用紙に書き込むことになっていた。


黙って脇に体温計を挟んでいると、先生が何気なく口を開く。


「最近よく保健室に来るけど、何か悩み事でもあるの?」


さり気なくそう聞いた先生は、私の座っている長椅子の隣にゆったりと腰掛けた。


先生と肩を並べて座るなんて、なんか不思議な感じだ。


【悩み事】多分これを聞いたのが先生以外の他人なら、私は重く口を閉ざしていただろう。


踏み込まれたくない領域に勝手に踏み込んできて、人の話も聞かずに自分の結論ばかりを話すような大人ならば、私は心なんてものを絶対に開かない。


それでも何の嫌悪感もなく、素直にこの言葉を聞けたのはきっと先生の人柄が素敵だからだ。


「…悩んでる事は、無いです。」


そんな先生に導かれるように、私はポツリと言葉を落とす。


「ただ、学校辞めたいなって思います。」


先程の耳障りなクラスメイトの声や容赦の無い視線が刺さる教室から離れて、私と先生しか居ない保健室は信じられないほどに穏やかで、思わず誰にも言えなかった本音を吐き出したくなってしまう。

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