クソガキでした。
第4話
ふわりと、風に揺れた白いカーテンが膨らむ。
消毒の微かな匂いを漂わせたこの空間は、私にとって唯一のオアシスだった。
ベッドが並ぶ真っ白な壁に掛けられた時計は、午後一時過ぎを指していて、ちょうど昼休みの真っ最中だ。
遠くから聞こえてくる賑やかな学生達の声を聞きながら、ペラリと手に持った本のページを捲る。
「また、本を読んでるの?」
穏やかなソプラノの声に視線を上げれば、肩口で髪を揺らした保健室の先生が此方を伺っていた。
「まぁ、やることもないですし。」
学校に友達の居ない奴の昼休みの過ごし方なんて、大抵は本を読むか寝るかのどちらかしかないだろう。
私の少し投げやりな返答に、先生は納得するように「それもそうね。」と呟く。
「今回は何の話を読んでるの?」
充実した高校生活を送れなかった私はそれに伴って、一気に読書をする時間が増えた。
賑やかな教室から逃げ出すように保健室に来ては、静かに呼吸を整えるように本を読んでいた。
持っていた栞を視線で追っていた活字の上に置き、パタンと本を閉じて口を開く。
「んー、夏に人が死ぬ話ですね。」
「なんだか物騒ね〜」
「でも、なかなか面白いですよ。」
少し顔を引き攣らせた保健室の先生の反応が可愛らしくて、自然と笑いながら言葉を返す。
あぁ、やっぱり此処は居心地が良い。
保健室の先生はベッドを軽く整えながら、私に向って微笑んだ。
「
その言葉に、何故か一瞬戸惑う。
「…好きっていうか、活字を読んでいる時は何も考えなくて済むから。」
そう、別に本が好きなわけではないと思う。
なるべくこの世界と向き合いたくなくて、何も考えたくなかっただけなのだ。
ただ脳内を活字で埋め尽くせば、少しは楽になれると錯覚しているだけ。
「ふふっ、素直じゃないのね。」
私の言葉に、保健室の先生はまた笑う。
それはまるで、私よりも私のことを知っているような表情だった。
キーンコーンカーンコーンと、昼休みの終わりを告げる鐘が校内に響き渡る。
その音に、深い絶望感に包まれる。
またあの場所に戻らなければいけないのかと、晴れていた心は一気に曇っていく。
あの頃、この時間がずっと続けばいいのにと叶わないことを必死に願っていた。
「おい、」
あまり聞き馴染みのない、低い声が聞える。
なんだか、懐かしい夢を見ていた。
高校生の頃の夢だった。
夢と現実を行ったり来たりしながら、ぼんやりと聞こえてきた声の主を考える。
「おい、起きろ。」
男。
これは確実に男の声だ。
深い微睡みから、急激に目が覚めていく。
パチッと目を開けば、目の前には傷だらけの男がいた。
「うわぁ!?」
思わず声を上げて飛び起きれば、傷だらけの男、近衛千宙は「うるさ、」と小さく悪態をつく。
その様子に一気に昨日の記憶が、頭に流れ込んで来た。
昨日、集団リンチに遭って、ボロボロだった近衛千宙を放っておけず、自宅にまで連れてきたのだ。
傷の手当てをした後、カレーを一緒に食べたりなんかして、なんとも不思議な時間を過ごした。
それから私は仕事やイレギュラーな出来事により疲れていたのか、溜まった洗い物をしたりといつものルーティンをこなしつつ、近衛千宙をどうしたら良いのかと考えていたら、いつの間にか居間の座布団の上で眠ってしまったらしい。
ベッドよりも硬い畳で寝た為に、ガチガチに固まった腰が痛い。
これまでの出来事を把握するように周囲を見渡せば、近衛千宙は座布団の上で片膝を立てて座り、私をジッと見つめていた。
近衛千宙は相変わらず傷だらけだったが、あれだけ出ていた鼻血は止まったのか、もう鼻栓はしていなかった。
男子高校生を勝手に自宅に連れてきた挙げ句、そのまま放置するなんて本当に最低だ。
あれから、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。
もう夜はとっくに明けていて、縁側からは眩しい朝日が差し込んでいる。
自分のあまりの不甲斐なさに、思わず両手で顔を覆った。
何故、こんなことに。
まだ上手く働かない頭でひたすらに焦っていれば、不意に目の前の近衛千宙が口を開いた。
「あのさ、」
「へ?」
「時間大丈夫なわけ?」
「嘘っ!?」
近衛千宙にそう言われて時計を確認すると、仕事に遅刻するギリギリの時間だった。
アラームもセットし忘れていたため、見事に寝坊したようだ。
慌てふためいて立ち上がり、洗面台へと走る。
洗面台の鏡には、化粧も落とさずに寝てしまったヨレヨレの酷い顔が映っていた。
本当に最悪だ。
物凄く落ち込みたいけれど、今はそんな時間さえ無い。
速攻でシャワーを浴びて軽く化粧を施し、これまた近衛千宙のことを後回しにして仕事へ行く支度をする。
「ごめん!私もう行くから!」
居間に居た近衛千宙に叫ぶように告げると、鞄を引っ掴んでガサゴソと中身を漁る。
目当てのキーケースの中から一つの鍵を取り出して、座っていた近衛千宙の手に無理矢理に握らせる。
「鍵!渡しとくから好きに出てって!出て行く時は鍵閉めて、外のポストに入れといて!」
「は?」
「じゃあ!行くから!」
ポカンとした顔の近衛千宙に申し訳なく思うも、今はそれどころではない。
その勢いのまま、私は全速力で自宅を飛び出した。
遅刻だけは、本当に勘弁してほしい。
私がバタバタと慌ただしく家を出ていった後、近衛千宙は畳の上に落ちた社員証を静かに拾っていた。
鍵を渡すために鞄の中を漁った際、知らぬ間に落ちてしまったようだ。
近衛千宙は、社員証に記載された名前を視線で追う。
「…
そう呟いた近衛千宙の声が、家主の居なくなった家の中に小さく漂った。
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