悪夢の静謐
飯田太朗
第1話 親友、かつ相棒
正直言えば思いっきり後悔している。
何にか? この一件に関わったことにさ!
まぁ落ち着け? いいとも。落ち着いたらこの話をゆっくりたっぷりしっかりすることになるぞ。いいんだな?
よし、じゃあ、話そうじゃないか……。
*
出会いは忘れもしない、高校一年生の春だ。
入学式後、一年生は上級生連中の狩に遭う。うちの部活に入らないか? うちの部で青春を過ごさないか? 忘れられない三年間に、薔薇色の三年間に、美しい青春を、そんな言葉で一方的に、狩られる。
僕はこういうのを片っ端から切り捨てていくタイプだと思うだろう?
ところがどっこい、僕よりもずっと性格の濃ゆい連中が集まって青春故の熱さで茹っているのが僕の母校だ。狩への情熱も半端ない。
かくして僕はバレー部の
そいつは背が高かった。道理でバレー部の仮入部なんかに連れてこられるわけだ。
「バックれてぇ」
あいつはボソッと吐き出した。僕は同意した。元より球技は好きじゃない。ましてやチーム競技ともなれば尚更だ。
「逃げるか」
僕もボソッと独り言ちた。それをあいつは地面すれすれのレシーブみたいに見事に拾った。
「休憩時間に水筒をとりに行くフリして逃げよう」
あいつが耳打ちしてきた。
「着替えはまぁ、必要なら。ジャージで帰っても怒られないだろうがな」
かくして僕たちは永久要塞第一体育館を脱獄した。自己紹介は帰りの電車で――奇遇にもあいつも僕も同じ方面だったので、した。
「
「飯田太朗」
「ふっ」
失礼にも、あいつは僕の名前を聞いて笑いやがった。僕が睨むとあいつは弁明した。
「いや、二葉亭四迷みたいだなと思って」
「どういう意味だ?」
「飯田太朗。『いいだろう?』みたいだろ」
なるほど。「くたばってしまえ」が二葉亭四迷。「いいだろう?」が飯田太朗。
「面白いかもな」
かくして僕たちは友達になった。この関係がいずれ親友になり、そして相棒へと変化していくのには、ゆっくり三年かかった。
だが、僕たちは友達だった。親友だったし、相棒だった。それに疑いはなかった。
「小説家になりたい」と僕があいつに告白したのは高校一年の終わりの頃だ。相変わらず帰り道はいつもあいつと一緒で、そういうのが好きな女の子からしたらそういう関係には見えたかもな。
「面白そうじゃん」
僕の告白に対しあいつは笑った。そしてすっと目を細めるとこう返してきた。
「お前何を書く」
「ミステリー」
「……一人で書けるか?」
「……どういう意味だ?」
あいつは再び笑った。
「俺がトリックを考えてやると言ったら?」
悪い提案ではない気がした。僕はあいつと手を組んだ。手を組んで、二人で一人の作家を目指した。エラリー・クイーンみたいに。岡嶋二人みたいに。
時が経ち、僕は一人で作家になった。阪村は今、どうしているのか?
さぁな。
きっとどこかで、元気にしているんじゃないか。
実際あいつは僕より健やかで、趣味はランニングと筋トレ、食事にも気を使う徹底した健康オタクだった。きっと今日も、朝起き掛けにトマトジュースでも飲んでいるのだろう。
――なんて、思っていた。思っていた、のに。
*
衆議院選挙。
衆議院がいつ解散したのか全く知らなかった。というのも、僕は自作『幸田一路は認めない』で扱う即身仏について研究する過程で、山中の寺に籠って断食修行をしていたからである。帰ってくる頃には七キロも痩せていたが、しかし脳みそはいくらかハッキリしていた。久しぶりの自宅。ポストに政治家のマニフェストをまとめた記事が入っていた。
僕はそれをチラッと見つめてからリビングのテーブルに放り出し、長らく電源を入れてなかったスマホを立ち上げた。
スマホのニュースも選挙についてが多かった。何とはなしに東京の選挙区を見る。僕は神奈川県に住んでいたので東京の選挙区なんてのは全く関係ないのだが、まぁ何となくの行動に意味なんていらない。僕はNHKが行った候補者へのアンケート記事を読んだ。一人だけ、どんなアンケートにも「分からない」「回答を控える」を選択しているやる気のない候補者がいて、何がやりたいんだこいつは。と首を傾げた。
それを見つけたのは、画面を下にスクロールしてすぐ。いきなりのことだった。まさしく目に飛び込んできた、といったところか。
阪村将也
そう、あった。
*
僕があいつとコンビを組んで小説を書き始めたのは、大学二年の時だ。一年浪人したあいつは僕より遅れて大学生になった。だから小説の新人賞に応募した経歴も僕の方がたった一年、多かった。
だけどあいつはそんな経験差などものともしなかった。実際あいつは優秀だった。優秀な相棒だった。たった一年の経験値の差などあっという間にひっくり返すくらいには、小説という商売の才能がある人間だった。
「理系ミステリーの波がもう一つ、来る」
当時は東野圭吾の『探偵ガリレオ』シリーズのドラマ、第二クールが始まろうとしていた頃だった。おそらくだが、一般人が知らない理系の知識を用いた「勉強にもなる」「知的好奇心が満たされる」ミステリーとして盤石の基礎を作る存在になるであろうことは僕の目にも明らかだった。
「これに乗っかるか、あるいは、新たな地平を切り開くか」
将也は眼鏡の奥からじとっとこちらを見つめてきた。不適な顔のまま続ける。
「俺は新たな地平を切り開くのもアリだと思う」
「つまり?」僕はそう、返した。するとあいつがニヤッと笑った。
「文系ミステリー、だ」
そう、何を隠そう。
民俗学……文系分野の一つであるこの学問を根っこに座らせた『幸田一路は認めない』こそ、あいつとの対話の中で生まれた作品だった。あの時あいつは、言った。
「一山当てればぼろ儲けだ」
そして実際、その通りになった。
ただ唯一、あいつが思い描いた未来と違うところがあったとすれば、僕とあいつは喜びを分かち合えなかったということだ。この作品で脚光を浴びる頃には、僕の隣にあいつはいなかったということだ。
大学四年の秋。あいつはまだ大学三年生だった。
あいつは大学院への進学に向けて勉強を始めた。一方僕は大学を出た後の進路など決めてすらいなかった。
彼にとって僕は怠惰に見えたのだろう。情けなく、自分勝手に見えたのだろう。
翌年、彼は広島にある大学院に進んでいった。僕は大学卒業後はWeb小説のコンテストに出まくって賞金を稼ぎ、不定期で高給のバイトをやって食つなぐような生活を送っていた。やくざな生き方をしている僕のことを、彼はどこかで軽蔑していたのかもしれない。
ある日、小説の方針を巡って二人で喧嘩をした。いつもなら笑って済ませるようなことだったが、この日は――僕の記憶が正しければ、あいつの方がいやに突っかかってきたように思う。とにかく、ヒリヒリしていた空気はさらに刺々しくなり、炎症はどんどんひどくなりやがて壊死し始め……ついに、破綻した。
「お前は考えが甘い」
あいつが静かにそう告げたのを覚えている。
「そんな作品じゃ売れない」
「あのなぁ、売りたいだけでやってるわけじゃないんだ僕は」
実際、そう思っていた。
「金や名誉のためにやってるわけじゃない。読者がいるから書くんだ。読者のために書くんだ」
「理想論だ」
一刀両断された。
「長く書くには食っていかなくてはならない。食っていくには売れる道筋を考えながら書かねばならない」
「食っていくことだけを考えるなら僕は就活を頑張ってGAFAにでも就職したよ。少なくとも小説を仕事にしようとは思わなかったね」
「じゃあ君は何のために書くんだ?」
「言っただろ」
僕も一刀両断することにした。
「読まれるためだ」
阪村は呆れたのか、黙っていた。言い忘れたが、この時すでにあいつは広島にいたので、僕とのこのやりとりも全てLINE通話で済ませていた。
「これはまずいな」
あいつがつぶやいた。
僕も返した。
「まずいかもな」
この一言が、最後だった。
あいつはぶつりと電話を切った。
僕は相棒を失った。
*
さて、そんなあいつが、政治家に。
静謐党。
聞き覚えはあった。折しも断食修行の後。宗教的なものに対する感度が少しだが、高くなっていた。
「世界を静かに。静謐は人を真理に導く」
そんなスローガンを掲げて活動している宗教団体。
座禅や黙想を大事にしているらしい。長ければ平気で三十分以上瞑想する修行もあるそうだ。僕は趣味の太極拳で一時間に渡る瞑想なら経験があったので、さほど難しくは感じなかったが……忙しい現代人からすると何もしないし何もできない三十分というのはまるで拷問のように感じるのだろうなとは想像がついた。修行、にもなる。
あいつが新興宗教に。
宗教と理性は合致しない、そんなことを思うつもりはない。元より科学は神への理解から始まった。リンゴが木から落ちるのも、そう神様が決めたからだ。では神が定めたその方程式とはどんなものか? それへの興味が物理学、そうとも取れる。
ただ、ある種の功利主義者的なところがあるあいつが、新興宗教に。
何となくだが暗いものを感じた。胸の奥に澱が堆積していくような気分だった。あいつと僕はもう無関係。縁は切れているはずなのに。
しかし気になるものは仕方がない。
二日ほど、あいつとの思い出に頭を悩ませた僕はついに静謐の教団について調べ始めた。情報はあっさり手に入った。
静謐の教団は神奈川県
さて、翌日のことだ。
自宅で一人で飲んだにも関わらずひどい二日酔いになった僕の元に、一人の女性が訪れた。その人は見覚えのある人だった。
「
マンション入り口。インターホンのカメラが映した画面の中にいた女性。
僕と阪村の共通の知人にして、阪村の元恋人、
少し躊躇った後、僕は解錠ボタンに手をかけた。
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