#28 世は情け
それは
しかし、その長い沈黙を破ったのは、マネージャーである佐藤さんだった。彼女は恐る恐る手を挙げて、一ノ瀬さんをチラリと見る。
「お取り込み中の所、申し訳ありません。天倉さんは、次の現場が……」
「ごめん。そうだったね。まさか、こうなるとは思ってなかったから。
夏樹、どうする? 無理なら別日にリスケ出来ないか聞いてみるけど」
「いえ。やります」
一ノ瀬さんの心配を跳ね除けるように即決した夏樹は、床に置いていたリュックを持って、扉に向かう。それを見て、日向は彼に声を掛けた。
「夏樹くん。あのね……」
日向は必死に言葉を紡ごうとするが、口がパクパクとするだけで上手く言葉が出てこない。その様子を見た夏樹は、玲に向けたあの安らかな笑みで応えると、こちらを振り返ることなく無言で出ていった。
佐藤さんも彼の後を追いかけるように、私達にペコリとお辞儀をして着いていった。
そして、部屋には再び沈黙が訪れる。シーンとした空間で、日向はぐちゃぐちゃとした感情を、残る一ノ瀬さんに当て付けるように言い放った。
「さっきは、ああ言ってましたけど、夏樹くんが辞めること本当は知ってましたよね。
どうして止めなかったんですか」
すっかり険しい表情となった日向は責めるような口調で一ノ瀬さんに怒りをぶつける。
その矛先となった彼は、フゥーと重たい息を吐いて真実を告げた。
「僕はあくまでプロデューサーだ。最終的には君達で決めて欲しかった……なんてのは都合の良い言い訳で、受け止めきれずに逃げただけ。
だから実際、辞めるって聞いた時は流石に僕も止めたよ。それに活動自体はスタジオ稼働を控えて、彼のペースで配信すればいい話だ。それすらも難しいなら休止でも構わないと提案もした。けれど、夏樹はそれでも引退の意志を曲げなかったんだ。
そこまで覚悟が決まっているのなら、僕にはもう、引き留めるようなことは出来ないと思って引退を認めたんだけどね。
玲の話を聞く限り、やっぱり勿体無いなって思うよ。利益とか関係無く、本当に」
物思いに耽るように目を閉じた一ノ瀬さんは天井を見上げた。涙を堪えるようにも見えるその姿は、彼程の力を持ってしても夏樹を引き止めることが難しいのだと認識させられた。
彼の話を聞いていた2人は、それぞれ思考を巡らす。何か出来ることはないだろうか、と。
しかし、どれだけ考えても正しい解答は見つからず、日向が堰を切ったように「あーーー」と叫び出した。
「意味分かんない! パンクしちゃうよ、もう。どうしちゃったの夏樹くん。後さ、玲くんもいつもと全然違うし、怒り爆発してたしさ。
「そう、だね」
日向が混乱する様子を見て、ひたすら同意することしか出来ない私は、助けを求めるように一ノ瀬さんを見る。が、彼も先程と同様に絶望に打ちひしがれたままであった。
そのまま日向は一連の愚痴を言い終わると、やっと収まったようで、深呼吸をして心拍を整えてから、ポツリと本音を漏らした。
「ハァー。これから、どうしようか。ていうか、僕たちどうなっちゃうだろう。
このまま、バラバラになるのかな」
冷静になった今、結局頭に残るのは彼等に対する怒りや呆れでは無く、ユニットとしての今後。そして、
「夏樹くん。玲くん……」
かけがえのない仲間で、ライバルで、大切な友人である者への心配だった。
そして私も、その気持ちは同じで、気掛かりであったことを隙を見て、一ノ瀬さんに問い掛けた。
「あの、玲は」
私の問いに対してパチリと目を開けた彼は、顔を正面に戻して呟いた。
「たぶん大丈夫。では、無いよね。1度溢れてしまった感情は中々整理出来ないから」
僕みたいにね、と笑った一ノ瀬さんは元通りの姿に戻っていた。
そして、遠くを見ながら告げた。
「それに、あの感じ。玲も聞いて無かったみたいだね。これは暫く、そっとしておいた方が良さそうだ」
一ノ瀬さんはズボンからスマートフォンを取り出し、何度か画面をタップする。話の流れとしては玲では無く、どうやら佐藤さんを介して、夏樹の様子を確かめているようだった。
その姿をぼーっと見ていた日向が、ふと頭に浮かんだ疑問を言葉にした。
「幼馴染でも言えないんだ」
「それは幼馴染だから、じゃないかな。それで余計に言えなかったんだと思う。
取り敢えず、夏樹は大丈夫だって。玲の方は暫くしたら、僕から連絡しておくよ」
「ありがとうございます」
まずは心配事が落ち着いたことで、一安心した私は感謝を述べた。だがしかし、相変わらず問題は山積みである。
どうしたら、これからも一緒にいられるのか。それとも既に道は残されていないのか。
私達は早くもV人生の岐路に立たされていた。
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